グラナドス ヴァイオリン・ソナタ:近代フランス音楽へのアプローチ

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グラナドス ヴァイオリン・ソナタ


グラナドスのヴァイオリン・ソナタに関する情報は恐ろしく少ない。少ないが故に話題にする人もおらず、たまにインターネット上で見かけても、詳しく語っているものはほとんどない。
しかし、この曲の演奏の録音を聴いて、あっという間に魅了されてしまった。こんなにも美しい名曲が埋もれたままだなんて勿体ない!
そこで今回ブログで取り上げることにした。多分このページが、素人の音楽ファンの中では日本一正確で詳しく、そして世界一熱くこの曲について語っているページだろう(普段は適当だが、今回は情報が正しいという証拠に文末に参考文献を付したので、興味のある方はどうぞ)。


そもそもグラナドスのピアノソロ・ギターソロ作品以外の演奏を聴く機会はめったにない。「スペイン舞曲集」(1892-1900)や「ゴイェスカス」(1911)など、スペインの香り高い音楽で、グラナドスは当時のスペインで最も有名な作曲家という地位を得た。
これらのソロ作品の功績が大き過ぎたせいで、グラナドスの室内楽曲は軽視されていたという事実がある。ヴァイオリン・ソナタを含めピアノ三重奏曲やピアノ五重奏曲も、グラナドスの死後もしばらく出版されず、1970年代になってようやく出版されたのだ。
パリで学んだグラナドスがピアニスト・作曲家として活動を始めた19世紀末頃は、フランコ=ベルギー楽派が隆盛期を終えて次世代へと移行していた時期であり、また印象派たちが登場する少し前の時期。グラナドスも、初期作品ではフランス音楽の影響はそれほど顕著ではないものの、多くの作品においてやはりフランス音楽の伝統から受けた影響を無視することはできない。特に重要なのがガブリエル・フォーレと、パリで直接ピアノを指導したオーギュスト・ド・ベリオ、そしてもう一人はドビュッシーやラヴェルの初演者として名高いリカルド・ビニェスである。
これらの影響が非常に大きく現れているのが、ヴァイオリン・ソナタであり、この曲はジャック・ティボーに献呈されたと言われているが、もし本当にティボーだとしたら、作曲されたのは1908年11月以降であろう。このときにグラナドスは始めてティボーと共演している。スペイン音楽の研究者で、グラナドスをはじめフャリャなどの伝記も書いているキャロル・ヘス博士は、ヴァイオリン・ソナタは1910年の作と推定しており、これは「ゴイェスカス」の完成とほぼ同時期である。確かに音楽的には「ゴイェスカス」と重なる部分もあるだろう。
グラナドスは生前、自作の室内楽曲を自分で演奏することはほとんどなかったらしいが、他の作曲家の室内楽曲はよく演奏していた。1897年にバルセロナに新しく作られた室内楽のためのフィルハーモニー協会では、同年に協会設立者でヴァイオリニストのマシュー・クリックブームとルクーのソナタを、またカザルスを加えてベートーヴェンのトリオを演奏して以来、25年以上もここで演奏をすることになる。サン=サーンスのソナタのバルセロナ初演なども務めた。また、彼が非業の死を遂げる前年の1915年には、スペインの名ヴァイオリニスト、フアン・マネンと共にバルセロナでベートーヴェンのソナタを演奏する。ヴァイオリン・ソナタの演奏はグラナドスのライフワークのひとつでもあり、彼にとって室内楽は決して軽視される音楽ではないとわかるだろう。
ときどきこの曲の紹介で単一楽章のソナタと書かれることがあるが、グラナドスは4楽章構成の伝統的なヴァイオリン・ソナタを想定しており、今一般に演奏されるグラナドスのヴァイオリン・ソナタはその第1楽章にあたる。他の3楽章はスケッチのみが見つかっている。


「旋律」と「調性」の巧みな混合こそ、この曲で発揮されているグラナドスの驚くべき楽才である。楽譜上はイ長調。ピアノの左手でAとEの完全五度の低音から始まり、そこに重なるのが右手のロ短調の三和音。ヴァイオリンが登場するのは5小節目からで、ぼかしの効いた調性の上に、ダイアトニックな旋法的メロディが現れてくる。ゆっくりとしたテンポで、非常に弱いダイナミクスで、伸ばしのピアノと揺れ動くヴァイオリンで、聴く者はリズム感を意識することはできない。
このような調性の曖昧さと旋法的な要素の融合はフォーレの影を彷彿とさせる。7度と9度の和音など特にそうだ。またこの曲ではヴァイオリンの第1主題が曲全体を支配するひとつのテーマになっており、それがヴァイオリンとピアノの双方に変奏形として現れるのだが、その様子もやはりフォーレと近いものがある。『ニューグローヴ世界音楽大事典』では、フォーレについて「メロディの展開技法における究極の達人」と紹介されているが、グラナドスもまたこの達人なのだ。一つのモチーフを変奏・展開する仕方という点では、信じられないほど素晴らしい創造力を持った作曲家だ。
それでいて、単なる変奏曲なのでなく、提示部、展開部、再現部、コーダと伝統的なソナタ形式の第1楽章のアイデンティティを捨てていない。ただ展開部に一番の強調が置かれているのと、この曲のクライマックスはコーダではなく展開部である。
ヴァイオリンとピアノの有機的な合わさりも見事なものだ。ヴァイオリン優勢のソナタではない。ピアノ作品で名を馳せたグラナドスである。この曲のピアノも嘆息するほど美しい。
グラナドスも、初期の作品では、ヴィルトゥオーゾ的な要素はほんのわずかに見られる程度で、「ロマンティックな情景」(1904)や「演奏会用アレグロ」(1904)など20世紀初めの頃の作品になると、リストのようなピアノ書法が見られるようになる。ヴァイオリン・ソナタでは、リスト的なピアニズムはあまり顔を出さないものの、アルペジオ風の旋律からリストの面影を感じる人もいるだろう。和声においては、ドビュッシーからの影響と思われる半音階旋律・増三和音の多用や、ラヴェルのピアノ書法を彷彿とさせる、3オクターブにも渡るアルペジオや、素早いオクターブのパッセージなども登場する。近代フランス音楽の影響は計り知れない。
グラナドスの初期作品からは感じることのない円熟味があるし、テクニカルなパッセージがあっても、決してヴィルトゥオーゾを最終的なゴールにしているのではないと感じさせる魅力がある。グラナドスは、スペインの民俗的要素を19世紀のロマン派音楽の語彙に融合させた作曲家として現代でも評価されているが、実はそんなことはヴァイオリン・ソナタやゴイェスカスを完成させる十年二十年も前にグラナドスは達成しているのだ。
ではこのヴァイオリン・ソナタの、もっと言えばグラナドスの音楽の、究極の意図するところは一体何なのだろうか。まあそんなことも、彼の他の室内楽作品やピアノ作品を語る際にまた考えてみるとして、今はひとまず、この美しい真の名曲に耳を傾けてみていただきたい。


【参考】
Clark, W.A., Enrique Granados: Poet of the Piano, Oxford University, 2005.
Hess, C.A., Enrique Granados: A Bio-bibliography, Greenwood Press, 1991.
Nectoux, J.M.,“Fauré, Gabriel,”The New Grove Dictionary of Music and Mucicians, 2001.
Ruiz, S.H., The chamber music of Enrique Granados, Rice University, 2004.

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