ベートーヴェン 交響曲第2番 ニ長調 作品36
かつてこのブログで交響曲第3番「英雄」を取り上げた際、「英雄」は交響曲の革命児だと書いた。ということは、その1つ前の第2番は革命を起こす直前、いわばアンシャン・レジームの真っ只中にいるわけだ。ものは言い様かもしれないが、確かにこの作品には熟れに熟れた古典派交響曲の魅力が詰まっている。
ハイドンやモーツァルトの交響曲の様式から脱却してオリジナリティを表出させようとするものの、まだその様式を破壊して異形の英雄を生み出すこともない。古典派の交響曲らしい様式美、均整のとれた、しっかりした骨格を持った構造。そういう部分がこの第2交響曲の最大の聞き所だ。
とは言え、そういう「構造」やら「様式」やらは、初めて聞く人はそう簡単に理解できるものではない。何度もこの曲を聞いていれば自ずと見えてくるものだが、わざわざスコアを見て「提示部が何小節、展開部が何小節、再現部が何小節、このバランスが!」といったことは、熱狂的なファンや演奏者でないとやらない。
しかし、こういうのはもっとサブリミナルなところで生きてくるものなのだ。黄金比を用いた美術作品だって、わざわざその数値を意識して見ることなく美を認識する訳だし、音楽の構造の持つバランスの良さが、リスナーに感動や聴いた後の心地よさに多分に影響をもたらすということは指摘しておこう。
30分ちょっとの長さで4楽章構成。1楽章は印象的な序奏のついたソナタ形式のアレグロ、2楽章はメロディの美しい緩徐楽章、3楽章スケルツォはベートーヴェンが最初に交響曲に用いたスケルツォで、4楽章はロンドソナタ形式のアレグロ。こうやって文字にしただけで美しい(本当か?)バランスである。
この曲が完成したのは1802年3月頃だが、この頃のベートーヴェンは難聴が悪化し、10月には有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」も書いている。その割にはどんよりした雰囲気が漂っていないのは、耳の故障に冒されていく中にあった希望の光が、この曲に現れているからだとする説もある。
14才年下で、ベートーヴェンのピアノの弟子となった伯爵令嬢ジュリエッタへの恋は、ベートーヴェンの生きる希望になっていたに違いない。シンドラーの伝記で「不滅の恋人」と称されたジュリエッタは、月光ソナタを献呈された相手として有名だ。ベートーヴェンが第2交響曲を作曲・初演した頃、彼女はベートーヴェンと同業の作曲家ガレンベルク伯爵と婚約・結婚する運びとなる。叶わぬ恋は生きる力にもなりうるし、死を望ませることもあろう。
そんなことを思いながら、この曲の第2楽章を聞くと、イタリアのオペラも真っ青になるほど、甘美な歌、歌、歌、最高傑作と言っても良いほどの緩徐楽章である。ワルターの指揮する第2交響曲の緩徐楽章を聞いていただきたい。圧倒的な美しさ、ここだけでも聞く価値があると言っていい。
全体を見通せばセルやクレンペラーもいいが、カラヤンやワルターの緩徐楽章を聴けば、この曲の甘い魅力にも囚われてしまう。
古典派の交響曲としては少々熟れ過ぎかもしれないが、そのくらいの方が美味しいという人もいる。均整を保つか、臨界点を超えるか、演奏も選り取りみどり楽しめるだけの懐の深い曲であることは確かだ。
ベートーヴェン:交響曲第2番 他 クレンペラー(オットー),ベートーヴェン,フィルハーモニア管弦楽団 ワーナーミュージック・ジャパン |
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more