オッフェンバック チェロ協奏曲「軍隊風」
初めて聴いたのは割と最近で、「おお、すごく良い曲じゃん!」と思ったのと同時に「え!40分超えるの!」と驚いた。ドヴォルザークやエルガーの協奏曲に匹敵する大作である。これをあの「天国や地獄」などの軽快な音楽で有名なオッフェンバックが……?と思ったが、よく考えればオペレッタだって短くても小一時間あるものだし、驚くような話ではない。それに長いとはいえ、ドヴォルザークやエルガーの協奏曲のように、なぜか開始早々から重苦しい雰囲気を醸し出しはしないため、ずいぶん聴きやすい。その辺、さすがはオッフェンバック。
この曲について検索してみたら、個人ブログなどで意外と多くの記事を発見した。あれ、これって有名曲だったのか……。というのも、10年以上も前に、クラシック通(?)の方々の間で非常に評価の高いマルク・ミンコフスキ指揮によるCDが出ていた。ミンコフスキはオッフェンバック復古運動(?)の権威でもあるようだ。僕のような素人はそういうメインストリームを知らないので困る。
何しろ僕がこの曲を知ったのは「グルダの協奏曲の新録を聴こうと思ったらカップリングにあった」のがきっかけである。エドガー・モローという若いチェリストが弾くグルダの協奏曲のCDである。僕はこの曲が好きで、以前に記事を書いた(グルダの曲についてはこちらから)。
正直、知らない人が聴いたら正統派クラシック音楽であるオッフェンバックと、金管が吹き散らかしてドラムとベースがドンドコ入って最後はズンチャッチャマーチになるグルダのどっちが「軍隊風」なのか間違えるだろうと思うようなカップリングだが、演奏はどちらも素晴らしかった。
オッフェンバックは作曲家として有名になる前、チェロ奏者として活躍していた。1847年、オッフェンバックが28歳のときの作品である。
3楽章構成で急緩急、1楽章と3楽章が長大という、伝統的な協奏曲の形式。マーチ風であったり、3楽章でスネアドラムが活躍したりするので「軍隊風」と付いている。まるでリストのピアノ協奏曲第1番のトライアングルのようだ。そう言えばリストの協奏曲も作曲年代は近い。オッフェンバックは「チェロのリスト」と呼ばれる程のヴィルトゥオーゾだったそうだ。直接関係はないだろうが、同じような打楽器の使い方はちょっと興味深い。
1楽章でチェロが奏でる主題は、どこか新大陸風で(どうしてもドヴォルザークが頭から離れないのか……)、スティーブン・フォスターの歌曲のような哀愁があるが、それでも重苦しくはない。古典派~初期ロマン派の香り。
2楽章は後にオペレッタ作曲家として名を馳せるのを予見するような、美しい歌、メロディーメーカーとしての才能が爆発する。もうアリアだと思って聴く以外ない。最後の高音の美しさ。
3楽章はテクニックが炸裂。この音域でこれをやるのか……と、さすがはヴィルトゥオーゾだっただけはある。カデンツァもしかり。
この3楽章に関しては実際にオッフェンバック自身が演奏した記録はない。そもそも記録が少なく、1848年に全楽章通しての演奏があったようで、その後の詳細は不明。後にオッフェンバックの孫が公開した写本を元に、チェロ奏者のジャン=マックス・クレマン(1958年のバッハの無伴奏の録音で有名である)がピアノのスケッチなどをオーケストレーションして、難しすぎる3楽章を改編した。改編バージョンの録音もあり、こちらはちっとも軍隊風ではなく、もっと短いし、ひたすらにアリアを歌う2楽章に似ている。ワシントンの図書館などで完全版が発見されたのは21世紀になってからで、この高度に技術的な協奏曲が復活を遂げてからの歴史はまだ浅い。これからの曲だ。
ハイドンのチェロ協奏曲なんかが好きな人にはオススメできる。しかしどうかな、これから流行るかしら。結局のところ、みんなチェロには、ドヴォルザークやエルガーのような、濃厚で彫りが深い音楽を求めがちな気がする。チェロの音色ってどうしても、そういう哀愁や陰影があって欲しいと思わせるところがあるよね。まあそういう中での一種のカウンターとして、復活させた意義は大きいだろう。3楽章の独奏チェロのテクニックと、太鼓やラッパが活躍する軍隊風の表現が、この曲の面白さの肝である。
2019年はオッフェンバック生誕200年。10月にはエドガー・モロー独奏と都響によってこの曲の日本初演があるそうだ。 今後もレパートリーになれるか、乞うご期待である。
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都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more