シュニトケ バレエ音楽「エスキース」
クリスマスイブに更新するべきロシアのバレエ音楽と言ったらあれしかないのだが、どういうわけかこうなってしまった。
アルフレート・シュニトケ(1934-1998)はソ連生まれ、ドイツ・ユダヤ系の作曲家である。あまり話題に挙げないが、実は僕の結構お気に入りの作曲家である。この人も天才の部類に入る作曲家だよなあと思いつつ、ブログで初めて取り上げるならなんだろうかと考えた結果、12月24日だしバレエにしようと、そういうことである。
しかし、シュニトケのことを全く知らない人でも、おそらくすぐに聴いて楽しめるだろう。明快なメロディーもありながら、シュニトケらしい強烈な諧謔や、グロテスクさ、遊び心満点の音楽性を味わえる。
シュニトケはモスクワのタガンカ劇場のために、ロシアの文豪ゴーゴリをモチーフにした管弦楽作品「ゴーゴリ組曲」を過去に作曲しており、それを基に、1985年にボリショイ劇場のゴーゴリ生誕175周年記念公演作品としてバレエ作品に改められた。エスキースとはスケッチのこと。
ゴーゴリ組曲からの転用と、バレエ音楽「エスキース」のために新たに作った曲と、さらに1曲目と終曲はデニソフとグバイドゥーリナ、さらには指揮者のロジェストヴェンスキーの手も加わり、14曲のバレエ音楽となった。1985年1月16日、ロジェストヴェンスキーの指揮でボリショイ劇場でお披露目。
第1曲は行進曲「白鳥とカワカマスとザリガニ」、これはイヴァン・クルィロフの同名の寓話から取っている。3者で荷馬車を動かそうとするも、白鳥は空に、カワカマスは水中に、ザリガニは後方に引っ張り、荷馬車は動かない、という話。音楽との詳しい関連は不明だが、好き勝手なマーチであることは確かである。冒頭のファンファーレのダサさも良い。
第2曲が「序曲」で、元のゴーゴリ組曲の序曲である。ラチェットとフレクサトーンなど、打楽器の多用も楽しい。突然ベートーヴェンの「運命」の冒頭が出てきたり、エレキギターのベンド音など、ハチャメチャ。
第3曲は「チチコフの幼少期」、チチコフはゴーゴリの『死せる魂』の主人公チチコフのこと。ソビエト当局は、かつてシュニトケが『死せる魂』の舞台音楽を作曲した際、帝政ロシアの腐敗を描いた同作は風刺に過ぎるとして公演禁止にしいるが、ゴーゴリ組曲を経て、ついに劇場音楽として返り咲く。なお、バレエ音楽「エスキース」の抜粋を用いて、アコーディオン奏者たちによって編曲された“Revis Fairy Tale”という組曲があるが、そこでも取り上げられている。なるほどアコーディオンにもふさわしい。詐欺師チチコフの幼少期を描こうというシュニトケらしい視点である。ハイドンのびっくり交響曲のパロディとは、人を驚かせるのが好きな少年時代だったのかしら……なんて思ったり。
第4曲は「肖像画」、これもゴーゴリの傑作のひとつ。変則的なイントロ、ヴァイオリンの旋律はオーソドックスなロシアン・ワルツ、チェンバロの伴奏は絵画がテーマの同作によく似合う。ティンパニの強打から鳴く木管たち。原型を留めないくらい奇妙な変奏を遂げるのは、同作の怪奇を彷彿とさせる。
第5曲「コヴァリョフ少佐」、ここで有名な『鼻』が登場。コヴァリョフ少佐のテーマ、ということだろうが、なんとなく時代劇「大岡越前」のテーマに似ている。いや、本当。トランペットが吹いているからなおさら「必殺仕事人」っぽくて、それで時代劇を思い出したのかも。
第6曲が「鼻」、ここではストーリーを追っている。バレエ自体を見たことはないが、劇中劇のような形だろうか。鼻がなくなっている朝で幕開けの音楽、怪しいファゴットにティンパニの強烈なドンが続く、理不尽な事態に憤慨しながら鼻を探しているのだろう。失意のコヴァリョフ少佐のテーマがチェロで悲しく奏でられる。鼻が見つかった(しょうもない)喜びは、この曲全体で多用されている鍵盤楽器群の様々な音色と弦楽器のピチカートが奏でる。クラリネットの歌も滑稽だ。どんどん楽器が移り変わり、テンション上がっていく。劇中劇のフィナーレだ。
第7曲、鼻が終わると今度は「外套」、名作続き。ここでも楽器の多彩さに目が回る。ピアノ(プリペアド)、チェンバロ、チェレスタ、エレキオルガン、ついでにエレキギターもある。これに鍵盤打楽器も入るから、音色としては相当数だ。オルガンはほぼシンセサイザー的な扱いでもあり、チートかってくらい使われている。ギターのバッキングのような音もかすかに聞こえる。しかしクラシック音楽らしさもあるロシア民謡風の音楽。この「まぜこぜ」感は、シュニトケの「多様式主義」を手っ取り早く味わってもらうのにちょうどいいだろう。ちなみにこの曲は「ポルカ」という曲名でオーケストラやアコーディオンのアンコールピースなどに使われることもある。
第8曲は「フェルディナンド8世」、これはゴーゴリの『狂人日記』でポプリシチンがサインした名前であるが、ここでは気味の悪いBGMで『狂人日記』の朗読が入る。
第9曲「役人」は『狂人日記』の続きと捉えるべきか。何しろ解説が見当たらないもので。モーツァルトの「魔笛」と、チャイコフスキーの四羽の白鳥の踊りのパロディである。この曲を聴いて役人と書かれていればどういう風刺があるのか大体わかるだろう。
第10曲「見知らぬ女」、まだ『狂人日記』が続いているようだが、今まで出た『狂人日記』の音楽はゴーゴリ組曲にもあるもので、これはオリジナル。主人公である役人ポプリシチンはストーカーまがいに一目惚れの女性を追いかけるので、そのことだろう。ロシアで「見知らぬ女」と言えばクラムスコイの絵画を思い浮かべる(上の絵)。意識していないことはないだろう。手回しオルガンに始まり手回しオルガンで終わるのは、ここも「鼻」同様に挿話であることを示唆している。何はさておき、このパ・ド・ドゥの絶望的な美しさよ……!今までのおふざけの中の白眉中の白眉、こんなにもわざとらしい曲想とは、恐れ入る。ピアノのイントロ、いやらしいくらいチープな感動的メロディ。オーボエとフルートも入って、ヴァイオリンとチェロもかけあって、パ・ド・ドゥらしく作られている、この作り物感たるや。そして不穏な終わり方、電子音で強調されるハ音も良い。いやー、さすがシュニトケ。ソースはないが、個人的にはロイド・ウェバーの『キャッツ』(1981)の「メモリー」のパロディなのではないかと思っている。そんな気しませんか?
『狂人日記』はどんどん狂人化に拍車がかかる話だが、音楽もそう。エレキの世界の精神崩壊っぷり、別世界にイッてしまうのが電子音の強みだが、踊れるだけバレエ音楽はまだ理性的である。電子音の後には、しっかりクラシック楽器も逆襲。これはこれで怖い。フィルインのタムも頭おかしいのかと。速い踊りでどんどん盛り上がる。フレクサトーンも大活躍。
第11曲は「スペイン王国の行進曲」、まだ『狂人日記』かな。正直、詳しい解説がないのでわからないが、おそらくそうだろう。このマーチもまたふざけている。ここまでくると、フレクサトーンはもう活躍というか酷使され過ぎにも思う。
第12曲「大舞踏会」、第13曲「遺言」はゴーゴリ組曲より。今までのメロディー再集合。一応前者は大ワルツという様式のようで、部分的にアコーディオン組曲でも用いられている。後者はウクライナ民謡も入っているそうだ。そして第14曲で再び行進曲「白鳥とカワカマスとザリガニ」で大団円。
さくっと書くつもりが、意外とボリューミーな文章になってしまった。ゴーゴリ組曲も含め、おそらく日本語でここまで詳しく書いたものは少ないのではないだろうか。まあ、需要なさそうだしね。それでも、音楽は一聴の価値あり。クリスマスにあえてのシュニトケ、皮肉っぽくていいじゃない。
岩波書店
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都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more