ディーリアス 弦楽四重奏曲:ともにあらんことを

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ディーリアス 弦楽四重奏曲


作曲者自身がそう表明していない限り、「この曲はこんな情景・場面を描いている」というようなことを書くのは誤解を招くのでなるべく避けるようにはしている。しかしあくまで個人的な感想のブログに個人的に思い描いたことを書かないのもおかしな話なので、書くときは書いてしまうこともある。
標題音楽ではない音楽に、個別のストーリーや場面描写を付けることを断罪する人もいるかもしれない。それはそれで真摯な態度だと思う。語られていない作曲者の真意を捏造するのは悪に違いないが、また同時にそれについて自分の中で作曲者そっちのけで考えを巡らせる行為自体は、人間らしいというか、憎めない性というか、まあ、僕もやってしまうんだなあ。
むしろ作曲者の意図を超えて空想を引き起こすような音楽には畏敬の念を覚えるものだ。


なんでそんなことを言ったかというと、今回取り上げるディーリアスの弦楽四重奏曲は、どうにも掴みどころがない曲で、聴いているとその度に何か違う景色が見えてくるような、そのどれもが長く記憶に留まることなく消え去っていくような、そんな感覚の曲だからだ。
ディーリアスが残した唯一の弦楽四重奏曲。1916年、ディーリアスが53歳の頃に作曲し、その年の11月にロンドンで初演。3楽章構成だったが、1917年に改訂し4楽章構成に。一般的にこちらの改訂版が演奏される。全体で30分弱の演奏時間。
第一次世界大戦が大きく影響した時期の作品でもある。フランスのグレ=シュール=ロワン村に住んでいたディーリアスは、戦争が始まるとオルレアンに避難せざるをえなくなり、その後一時帰宅するも、ビーチャムの説得で渡英。1915年末にようやくフランスに帰国、1916年1月にはグレ=シュール=ロワンに帰れた喜びをグレインジャーに宛てて書いている。その春から弦楽四重奏曲の作曲を始めたそうだ。
この曲の3楽章は、ディーリアスが都市部でも多く目にしたという負傷した兵士や難民たちの姿に心痛め、家に巣を作っていたつばめと自身の心情を重ね、“Late Swallows”という副題を付けたとされている。「去りゆくつばめ」という邦訳もあるようで、エリック・フェンビーが弦楽合奏に編曲しているものが有名だ。録音はノーマン・デル・マー指揮ボーンマス・シンフォニエッタのものがあり、ディーリアス作品集に収録(1977年録音)。これもまた、編曲したくなる理由もわかる得も言われぬ美しさである。



戦争の悲惨さと、帰郷した喜び。それらが現れた音楽である……と言い切ることはできない。先に述べたように、作曲者自身は何も言及していない。しかし、聴いていると、ときに悲哀も感じられ、ときに歓喜も感じられるような音楽だと思った。そんな複雑さや、嬉しくもあり悲しくもあり、あるいはそのどちらでもないかもしれない……と、不思議な感覚に包まれるのが、ディーリアス作品の魅力なのかもしれない。
1楽章With animation、陽気というのは憚られるが、穏やかな喜びや安堵のような気持ちも察せられる旋律が、少し居心地悪そうに絡み合っている。不意にピッツィカートが挿入されるるが、むしろパッセージの不自然さを整えるために入れられているようにさえ思う。テーマは様々に姿を変えながら、特に最後の方は細かくテンポや強弱を入れ替える。最終的には丁寧にホ短調で終わるのだが、それがかえって不気味なくらいである。
2楽章はQuick and lightly、どこか英国の民謡風を思い起こさせる。他の3つの楽章と比べると最も短い。中間部のCantabileではヴァイオリンとチェロが朗々と歌う、これもディーリアスらしいメロディ。
3楽章Late SwallowsはSlow
and wistfullyと書かれている。実を言うと、先述した家にツバメがいてどうこうという話は、様々なところで書かれているものの、いまいち裏が取れない話で、なぜディーリアスが“Late Swallows”と付けたのかははっきりしていない。これは2016年のThe Delius Society Journal 掲載の、音楽学者ダニエル・グリムリーによる論考“Chasing Late Swallows”に詳しいのだが、ディーリアスは詩的な引用を好む割には引用元がはっきりしないということが多々あるそうで、そうした何かの詩なのか、あるいは「春初めてのカッコウの声を聴いて」でもわかるように鳥への愛好で付けているのか。グリムリー教授も決定的なことは不明としている。なお「春初めてのカッコウの声を聴いて」は、2012年にブログで取り上げているので、興味のある方はぜひ。


ちなみに、3楽章Late Swallowsの中間部の主題、with much expressionと付されて第2ヴァイオリンとヴィオラが順に奏でるメロディは、なんとディーリアスの初期の名曲、フロリダ組曲からの引用が指摘されている。譜例は先にも名前を挙げたグリムリー教授の著書“Delius and the Sound of Place”(2018)から抜粋、フロリダ組曲の3楽章「夕暮れ」の終わり近くに現れるオーボエのフレーズ。


このフレーズはここで一度出ただけで、組曲中で繰り返されることはないのだが、ディーリアスはお気に入りだったようで、コアンガや魔法の泉でも引用している(フロリダ組曲の引用はコアンガのラ・カリンダだけじゃないのだ)。このフレーズにどんな意味があろうと(なかろうと)、僕はなんとなく、フロリダ組曲では次の終曲「夜に」に繋がる、夜の近づきを告げるしるしのような印象を抱いていた。これが弦楽四重奏曲の3楽章でどんな意味合いを持つかはわかりようもないが、50代のディーリアスが25歳の頃に書いたフレーズをわざわざ引用したということは、それなりに作曲者本人にとっては大きなことなんだろうと思う。
ちなみに
フロリダ組曲は僕の大大大好きな作品で、2009年にブログに書いている。記事の内容は薄いけど、曲は本当に良い曲なのでぜひ聴いていただきたい。


4楽章Very quick and vigorouslyと指定された序奏を経て、With bright and elastic movementではチェロの主題から始まる。ここでも情緒不安定なくらいに和声が移り変わり、よほど注意して聴いていないとリズムだけに一時音楽を支配されてしまうほどだ。途中でペザンテも挟まり、民謡調の旋律の美しさに耳を傾けられない。それでも、なぜか妙に前向きなカデンツァで曲は終わる。正直言って、何なのかさっぱりわからないが、よく考えてみると僕自身も自分の人生が何なのかはさっぱりわからない。勝手にシンパシーを感じて嬉しくなってしまう。
その時々の自分が反映されるかのごとく、まるで病める時も健やかなる時も、何か大事なことを気づかせてくれたり、逆に何も理解できず突き放したりもしてくる、変わった音楽である。妙に愛おしいものだ。

【参考】
Grimley, D. M., Chasing Late Swallows, The Delius Society Journal, No.160, 2016, pp.37-51.
Grimley, D. M., Delius and the Sound of Place, Cambridge University Press, 2018.


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Author: funapee(Twitter)
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