メトネル ヴァイオリン・ソナタ第2番 ト長調 作品44
ニコライ・メトネル(1880-1951)という作曲家はさほど有名ではないが、ピアノ好きの人はよく目にする名前だろう。彼がピアニストだったこともあり、多くのピアノ作品を残している。そのため、だいたいメトネルについて語られるときはピアノの話題である。ので、このブログでは敢えて少し外してヴァイオリンの話題にしよう。
メトネルのヴァイオリン・ソナタはさほど有名ではないが、室内楽やロシア音楽が好きな人はよく目にするだろう。中でもソナタ第3番「エピカ」は大作で、人生の総決算的な内容でもあり、だいたいメトネルのヴァイオリン・ソナタを語るときは第3番の話題である。ので、このブログでは敢えて少しの外して、第2番の話題にしよう。
もちろん僕も第3番は好きだが、1番と2番も負けず劣らずの良い曲なのだ。僕は1番から順に聴き始めて、最終的にどの曲も好きになった。先日、ラジオのクラシックカフェで第3番を聴いて、「ああ、メトネルの季節か」などと勝手に思い、メトネルのヴァイオリン&ピアノのデュオ作品集を久しぶりに聴いてみた。何となくだが、メトネルは秋に似合う。やはり1番もいいし、2番もいい。3番だけでない!とアピールしたいのだ。ちなみに聴いたのは、マヌーグ・パリキアン(vn)とヘイミッシュ・ミルン(p)の1985-87年録音。上の大きい画像のもの。
このマヌーグ・パリキアン(1920-1987)というヴァイオリニストは、トルコ生まれのアルメニア系、英国で活動し、王立音楽院やアルメニアで教鞭をとった名教師でもある。↓にリンクを貼ったDOREMIレーベルの4枚組CDには、共演者にカラヤンやホーレンシュタインの名前もある。古典派の協奏曲もどっしりと構えた耽美な演奏だ。ぜひ聴いてみてほしい。
そのパリキアンは、なんとメトネル自身のピアノ伴奏で、ヴァイオリン・ソナタ第2番を放送用に録音する予定があったというから驚きだ。リハーサルまでしていたものの、結局メトネルの体調不良で実現はしなかった。もし実現していたら歴史的な録音になっていたと思われるだけに、残念な話である。ちなみに、第1番であれば、ツェツィーリア・ハンセンのヴァイオリンとメトネルのピアノで1947年に録音している。それでも、記事の最初に挙げたCDでは、メトネル演奏の権威の一人でもあるヘイミッシュ・ミルンという最高のピアニストと共に録音が実現されたことを喜ぶべきだろう。僕はミルンの独奏盤と並んで、パリキアンとミルンの演奏は、メトネルの解釈において最も信頼おけるもののひとつだと認識している。
ヴァイオリン・ソナタを1番から順に3番まで聴くのは、メトネルの場合は結構良いのではないかと思っている。第1番は20代に書かれ、第2番は40代、第3番は50代後半と、彼のキャリアをなぞるように聴くことができる。ちなみに、曲の長さも20分、40分、45分ほどと、順々に長くなっている。第3番「エピカ」は、数奇な運命とでも言おうか、メトネルの兄との思い出を主題にした大作で、ネット上でも多く語られている。機会があれば僕もまた取り上げよう。
メトネルはピアノの大家として知られるが、自身も幼い頃はヴァイオリンを学んだし、弟と妻はヴァイオリン奏者であった。第2番は妻と共にソ連を出てフランスに移住してからの作品で、1922年から25年にかけて作曲。メトネルの従兄にあたる作曲家のアレクサンドル・ゲディケに献呈されている。
友人であるラフマニノフに宛てた手紙の中でメトネルは「親愛なるセルゲイ・ヴァシリエヴィチ、君に送りたい読み物がたくさんあることを許してくれ、それは私の新しいヴァイオリン・ソナタだ。しかし、これは約束しよう、この曲はより面白く、聴く人にとってもわかりやすい。私は個人的な経験から、すでにそのことを解っている」と書いている。
3楽章構成で40分もある大作。全体は繋がっており、フランク的な循環形式のヴァイオリン・ソナタを彷彿とさせる。ということで、フランクのヴァイオリン・ソナタ好きにもオススメしたい。メトネルは自身の第1ソナタを小物の集まりのように捉えていたそうで、第2番ではしっかりとしたソナタになったと自信を持っていた。
第1楽章はMaestosoの序奏から始まる。カデンツァ風でやや長いが、これから始まる音楽への期待感にあふれる序奏だ。その序奏が終わるとAllegro appassionatoの主題へ。この主題が美しい。なんとも言えない爽やかさがある。初めて聴いたときはセヴラックを思い出した。印象派さえ彷彿とさせる、自然な光を描いている音楽に聴こえた。そして、さすが名ピアニストなだけあって、ピアノもべらぼうに美しい。第2楽章は変奏曲。シンプルな主題が奏でられると、ロシア的なものも感じることができるだろう。極めて普通の変奏曲だと思うが、だからこそ良いというか、こういう高品質な正統派変奏曲を後期ロマン派時代に残せた作曲家はどれほどいるだろうか。
第3楽章、この曲の主題には、メトネルのお気に入りの詩人であるフョードル・チュッチェフ(1803-1873, 「頭でロシアは分からない」で有名)の『春の水』、春の洪水という訳もあるようだが、その詩の「春が来た!春が来た!」という一節が書かれている。別に、歓喜の歌でもなければ、激しいエネルギーが迸るような音楽とも言いがたいが、3楽章だけでなく、このソナタ全体を通して「春の訪れ」のような柔和で温かみのある雰囲気は確かに存在する。コーダでは1楽章の主題が再び登場し、感情的にも盛り上がって終結へ。20世紀初めしては古風な音楽なのは違いない、しかし、どこか仄暗さがあるのが特徴のメトネルの音楽にしては、これは明るくて前向きな雰囲気があり、ちょっと新鮮味もあると思う。
話は変わるが、今来日中のラトル指揮ロンドン響の川崎公演で、アンコールにディーリアスをやったそうで、僕は良い選曲だなと思いTwitterにちょっと書いた。ディーリアスも掴み所がない作曲家というか、なんと表現したらいいかわからない音楽だと思うが、メトネルもまた、言葉で表現し難い作曲家だと思う。「メトネルは頭でわからない」ってところか。音楽を聴くしかないのだ。
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more