ウェーバー ピアノ・ソナタ第2番:魔弾の奏鳴曲

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ウェーバー ピアノ・ソナタ第2番 変イ長調 作品39

何かのCD解説、それも新しめのものに「ウェーバーのピアノ作品はオペラや協奏曲の影に隠れてしまっている」とあった。それはどうだろう、ウェーバーのピアノ作品録音も結構な数があって僕は驚いているくらいだ。でも特別ピアノが好きな訳ではない一般的なクラシック音楽ファンにとってはそうなのかもしれない。多くのピアニストが「舞踏への勧誘」だけではなくピアノ・ソナタも録音しているので、気軽に何か聴いてみてほしい。
カール・マリア・フォン・ウェーバー(1786-1826)をこのブログで取り上げるのは10年ぶり。2013年にヴァイオリン・ソナタ第1番、それより前はブログを始めたばかりの頃に魔弾の射手序曲について書いた。この10年くらいで自分のクラシック音楽の嗜好も変わり、あれこれ聴く度に好みもフラフラ彷徨ってしまい、特にドイツ音楽全般については「昔は大好き、その後あまり好きじゃなくなり、今はまあまあ好き」ってなとこに落ち着いている。あくまで「ドイツ音楽全般」という主語の大きい話で恐縮だが……ウェーバーは、モーツァルトやベートーヴェンよりもずっと「ドイツ的」なイメージが強いので、なおさらなのだ。
ちょっとこの「昔は大好き、その後あまり好きじゃなくなり、今はまあまあ好き」の話をしたい。そもそも、日本の多くのクラシック音楽ファンは(日本だけでないかもだけど)、ドイツ音楽からその世界に足を踏み入れることが多いため、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンあたりを中心、基準、スタンダードにしてしまいがちで、例えばフランスやイタリアや北欧にローカル風味を感じることができたとしても、ドイツ音楽にドイツのローカル風味を感じにくくなっている節がある、と勝手に思っている。違うかしら? 僕はそうだったので、ドイツ音楽のドイツらしさって何だろうとふと考えたとき、南欧や東欧、アメリカ、その他も色々、広い地域の音楽を聴いてきて相対的に感じることができるようになって初めて、ドイツ音楽の「ドイツ的」なものがどういうものか、少しわかるようになってきたかな、と。そうやって、自分の中の「ドイツ音楽中心主義」を意図的に破壊し、その他の音楽を愛好して一旦あまりドイツ音楽を好まなくなり、自分なりにフラットな目線になってから再び聴いていくと、また少し好きなれる部分を今発見してきている、というのが現状なのだ。
僕は別にドイツ音楽を研究しているのではなく一人の音楽ファンとして楽しんでいるだけなので、無責任に思ったことを書いているんだけども、そんな風な変遷をたどった結果やっぱりワーグナーは好みじゃないし、ウェーバーはますます好きなっていくんだなあ。自分で自分が不思議、面白い。ワーグナーもウェーバーも、どちらも「非常にドイツ的」だと思う。ワーグナーの布教は熱いワグネリアンにお任せして、好きなドイツ音楽の話、ウェーバーの話をしよう。


オペラに関して言えば、それこそモーツァルトとワーグナーの中継地点に位置しているウェーバーは、ピアニスト/ピアノ作品の作曲家としてはモーツァルトやベートーヴェンやシューベルトと、シューマンやショパンやリストの間に位置している。ちなみに、ウェーバーの手は大きかったらしい。古典派とロマン派の中間地点、どっちつかずではっきりしないので、おそらく今後も爆発的に人気になることはないでしょう。そういうものなのです。様々な地域の音楽を聴いたなあという人には改めてウェーバー作品を聴いてほしいと思うし、古典派とロマン派のピアノ音楽が両方好きになってきたぞ、という人にもぜひ聴いてほしい曲だ。
ウェーバーはピアノ・ソナタを4曲残しており、第2番は最も人気の高い曲である。これは昔からそうで、ショパンは弟子たちにこの曲を練習させたそうだし、リストは個人的に改訂版を残しているし(IMSLPにある)、チャイコフスキーは3楽章のメヌエットをオーケストラ用に編曲している。多くの巨匠に愛されてきた第2ソナタ、20世紀になってからも、アルフレッド・コルトーが改訂版を出して自身の録音も残しているし、19世紀にドイツの作曲家アウグスト・エベルハルト・ミュラーがフルートとピアノ用に編曲した楽譜が20世紀になってから出版されている。このフルートとピアノ版もとても素敵なので激しくオススメしたい。
魔弾の射手がオペラの分野で後世の多くの作曲家たちに影響を与えたのと同時に、このソナタ第2番はピアノ音楽の分野で大いなる影響力があった作品なのだ。

ウェーバー:フルートのための室内楽作品集
瀬尾 和紀 (アーティスト), 上野 真 (アーティスト), 上森 祥平 (アーティスト)


1814年から1816年にかけてプラハで作曲された。2年半ほどかけて、ウェーバーは「後ろ向きに」作曲したらしい。4楽章、3楽章、2楽章、1楽章の順に書いたとのこと。でもなんか、出来上がった作品の構成としては自然だから凄い。4楽章合わせて30分ほどの長さ。当時の批評家は、その頃流行していた若きロッシーニの音楽からの影響を指摘したそうだ。イタリアオペラのアリアのような歌う旋律を聴けば納得できるだろう。
1楽章Allegro moderato、長いトレモロの序奏から始まる。オーケストラ作品のようだ。明るくて流麗なメロディ、シンプルで必要十分なピアニスティック・テクニック、中間地点と言うだけあって、いわゆる古典派/ロマン派的なバランス、美メロと構成力とのバランス、そのようなものを味わうことができる。序奏のトレモロも自由で新しいソナタだぞとアピールするものでありながら、しっかり再登場させて、絶妙なブリッジとして機能する。
2楽章Andante、穏やかで厳かに始まり、中間部では堅固さ、強さのある音楽になり、再び初めの穏やかな雰囲気に戻る。ガッチリしてる、そんな硬さがドイツっぽいといったら安直だろうか、でもそう感じるのだ。コルトーはこの楽章とファウストの「トゥーレの王」との関連を指摘している。オペラ的、歌曲的な美しさも備えた、良い音楽だ。
3楽章Menuetto capriccioso、メヌエットを名乗りながら、どう聴いてもスケルツォである。おふざけなのか、何かのオマージュなのか、わからないけれども、まるで弦楽の合奏や木管楽器を思わせるフレーズで始まる。ベートーヴェンやブルックナーをも彷彿とさせるが、それともまたちょっと違う。続くのは情熱的に広がる伴奏の上にきらめくメロディ。なんとも面白い楽章である。
4楽章Rondo、最もウェーバーのピアノ曲らしい(いや何をもってそう言うのか自分でも謎なんだけど……それこそ舞踏への勧誘かしら)、ちょっと長めに奏でられるスケールや、アルペジオにくっついた付点のメロディなど、シューベルトの少し未来で、シューマンの時代を先取りするような、そんなイメージだ。そして、4楽章だけではないが、ワーグナーのオペラの香りもする。まあ本当は、ワーグナーからウェーバーの香りがするといのが正しいんだろうけどね。
ピアノという楽器の音域をフルに使い、非常にテクニカルで、極めてピアノ音楽的でありまた、同時にオーケストラ的音楽でもある。自由で、新しい音楽の道を探っているのも伝わるし、それでいて、しっかりと伝統的書法も踏まえている。ショパンやリストがリスペクトしていた理由もわかるだろう。

Plays Weber & Liszt
Cortot, Alfred (アーティスト)


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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