ドヴォルザーク 交響曲第8番 ト長調 作品88
先日、スペイン放送の動画配信でドヴォルザークの交響曲第8番を聴いた。若い奏者向けコンクールの受賞者演奏会で、前半が協奏曲、後半が交響曲というプログラム。そういうフレッシュな雰囲気の演奏を聴いたら、今度はもっと落ち着いた演奏も、と思い、マッケラスが御年80歳でプラハ交響楽団を指揮した録音も聴いた。この演奏は本当にいい演奏で、激し過ぎることなく、音楽の流れをしっかり感じられる、大好きな録音の一つだ。
ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調Op.88、交響曲第9番ホ短調Op.95「新世界より」 [Import] (SYMPHONY NO 8 & 9)
サー・チャールズ・マッケラス(指)プラハSO (アーティスト), & 2 その他
また、前回のブログ記事(ウッチェリーニのソナタ)では図らずもドヴォルザークの8番の話題を出してしまったというのもあり、せっかくならドヴォルザークの方もブログに書こうと思ったのだ。
ドヴォルザークの交響曲第8番は非常に人気の高い曲で、録音も実演も多く、広く愛されてきた作品である。そういう曲についてブログに書くのは、もうそこら中に文章が転がっているので、僕もちょっと慎重になってしまう……ただ、せっかく書くなら、あまりネット上で(特に日本語で)見かけない話題なんかを入れたいなと思っている。ドヴォルザークの8番は多くのクラシック音楽ファンに愛される一方で、実は評論家からは批判されてきた作品でもある。
現代の音楽評論家でこの曲を評価しない人はあまりいない気がするが、古くはドイツの音楽学者ヘルマン・クレッチマー(1848-1924)、この人は今の音楽学(もっと言えば音楽解釈学)の創始者として知られる人物だが、彼の『楽堂案内』(Führer durch den Konzertsaal)という、いわば楽曲解説の先駆とも言える著書では、ドヴォルザークの交響曲第7番と第9番にはそれぞれ10ページも使っているのに対し、第8番は1ページ半しかない。いわく「ハイドンやベートーヴェン以降のヨーロッパ音楽界の一般的な見解では、ドヴォルザークの8番は交響曲とは言い難い。スメタナの交響詩やドヴォルザーク自身のスラヴ狂詩曲の性格に傾いている」と。
Fuehrer Durch Den Konzertsaal: Abth. Sinfonie Und Suite ペーパーバック – 2010/6/8
ドイツ語版 Hermann Kretzschmar (著)
現代の普通の音楽ファンの立場としては「考えが古いなあ」なんて思っちゃうけど、19世紀後半~20世紀前半のドイツ音楽界としての「交響曲」なるものに対する態度がわかる。ドイツだけではなく、『新オックスフォード音楽史』の編者としても名高いイギリスの音楽学者ジェラルド・エイブラハム(1904-1988)も、1943年の著書“Antonin Dvorak, his achievement”において、交響曲第8番は第3楽章以外はすべて音楽的に弱く、失敗した試みと見なしている。
例えば第7番であれば、伝統的な交響曲を愛する人であれば誰もが愛するブラームス的な音楽であり、評価されるのも頷ける。また新大陸の精神をもってして作られた第9番が高く評価されるもわかる。その一方で、明るく陽気で、軽い雰囲気で、ボヘミア的な音楽である第8番が酷評される。そういう時代だったと言っても良いかもしれない。それがクラシック音楽の権威としての見解であった。この曲は交響曲というよりは狂詩曲、ラプソディである、と。
それも昔の話、今はきっと音楽家も評論家も愛好家も、みんな大好きって言う人が多いだろう。僕も大好き。ただまあファンの間でも、ドヴォルザークの交響曲については、結構色々な態度があるから面白い。まず第9番「新世界より」は、もうこればっかり演奏されるので食傷気味だというファンも多いし、あまりにも有名過ぎるため、こればかり聴いていると音楽通からは初心者扱いされがち。なお僕は今でも新世界ばっかり聴いてる、永遠の初心者である……良い曲だよね、青野くんたちも弾いてるしね。新世界は大昔にブログ書いたわ。では第8番はというと、本当に割とみんなが好きなので「9番はちょっと苦手で……8番は良い曲ですよね」とか言っても、別に白い目で見られることは無いし、むしろちょっと印象良さそう。多分。知らんけど。第7番を褒めると、さすが学者先生もお褒めになるだけあって、何となく玄人っぽく、音楽通っぽく扱われるし、それより若い番号を聴くと今度はオタクだと言われる。そんな感じ。あ、僕の個人的なイメージですからね。
青のオーケストラ(1) (裏少年サンデーコミックス) Kindle版
阿久井真 (著)
先日のウッチェリーニの記事では僕の個人的な「副題」についての考えを書いた。ドヴォルザークの交響曲第8番と言えば「イギリス」という副題の話題。ドヴォルザークと出版社のジムロック社の仲違いにより、イギリスのロンドンにあるノヴェロ社から出版することになり、そういう縁があって「イギリス」という副題が付いて呼ばれるようになったそうだ。しかし音楽の内容に関係がないため、最近は使われなくなってきている。僕はいつからこの曲が「イギリス」と呼ばれるようになったか、少し気になっていて、日本のレコード会社が勝手に付けたのかしら、なんて思っていたのだが、海外の解説などにも書いてあるのでそうではないようだ。今回ブログを書くにあたって参考にした音楽学者ハルトムート・シック(1960-)の論考によると、出版されるとすぐに「イギリス」というニックネームが付いたらしい。そうだったのか。世界初演は1890年2月2日にプラハにて行われているが、海外初演はロンドン・フィルハーモニック協会のオケが務めている。当時から聴衆受けは大変良く、ロンドンとウィーンで指揮したハンス・リヒターも絶賛したという。しかしイギリスやボヘミアではその後も人気レパートリーになったが、ドイツやオーストリアでは再演は少なかったとのこと。多分、外国で出版されたということで、スコアのお値段的な問題だと思われる。
シックの論考ではチャイコフスキーとの関連が語られており、またコバケンの傘寿を祝う演奏会録音のCD解説で、音楽評論家の諸石幸生さんもチャイコフスキーの話題に少し触れている。
1888年11月30日、チャイコフスキーはプラハを訪れ、自身の指揮で交響曲第5番の演奏を行った。これは同曲の世界初演の数週間後にあたる。ドヴォルザークの弟子、オスカル・ネドバルの回想には「ドヴォルザークはチャイコフスキーの音楽、特に交響曲第5番の音色の特異な特徴と独創性に最初は驚きましたが、すぐにその偉大さと奥深さを理解しました」とある。またチャイコフスキーは、プラハを訪れた際にドヴォルザークをロシアに招いており、翌1889年8月24日、ドヴォルザークはワシーリー・サフォーノフ(当時のモスクワ音楽院院長)に宛ててモスクワ訪問について手紙を書いている。そこでは、1890年初めにモスクワで演奏会を行うことや、自身がモスクワに持ち込んで指揮する作品の候補などが書かれており、ドヴォルザークはこの手紙を書いた2日後、8月26日には交響曲第8番の作曲に取り掛かっている。やはりロシア公演に向けた新作を書こう、という意図があったのだろう。結局ロシアでのお披露目は実現しなかったそうだが。
「ドヴォルザークの作品がチャイコフスキーの影響を受けてどうのこうの」という話はあまり聞かないけれども、ドヴォルザークの交響曲第8番、これはト長調の曲だが、冒頭はト短調の物悲しい序奏から始まるところに、チャイコフスキーの交響曲第5番と同様のエレガンスを感じることもできなくはない。もっと詳しく知りたい方はシックの論考を読んでほしい。シックは「ロシア」という副題の方がずっと適切だと言っている。
本当に副題に「ロシア」と付けた例は知らないし、シック以外に書いている人も知らないけど、音楽の内容としては「チェコ」という副題が適切だ、という記述は色々な楽曲解説などで見かける。もちろん、実際に「チェコ」と付けて書かれているのも見たことはないが。
音楽学者ハンス・フーベルト・シェーンツェラーは、1984年に著した伝記『ドヴォルザーク』の中で、交響曲第8番について「作品全体にはヴィソカの精神が息づいており、晴れた夏の日に、鳥のさえずりや木の葉が風にそよぐ音を聞きながら、ドヴォルザークの田舎の邸宅を取り囲む森の中を歩くと、まるでその音楽が聞こえてくるようです」と書いている。ヴィソカはドヴォルザークがこの曲を作曲したボヘミアの避暑地だ。
1楽章冒頭、哀愁が漂いながらも優雅な旋律が美しい、この序奏の素晴らしさ。鳥のさえずりのようなフルートが聴こえると、ヴィソカでの暮らしも想像できるような……爽やかな自然と、エネルギー溢れる人間の両方が描かれているような、そんな音楽だ。2楽章の木管のソロ、続くヴァイオリンのソロも良い。アダージョ楽章だが動きや展開は大きく、ベートーヴェンの田園交響曲を彷彿とさせるという声も納得の雰囲気。3楽章のスケルツォという名のワルツもメロディーメーカーの面目躍如、中間部は歌劇「頑固な者たち」からの転用で、民謡との関連を指摘する説もあるそうだ。4楽章は1楽章と対照的に華やかなファンファーレが導く。ベートーヴェンやブラームスのような交響曲のフィナーレに、明るく陽気なボヘミア風味が加わって、熱狂のクライマックス。シェーンツェラーの前述の著作に載っている、よく海外の楽曲解説で取り上げられる言葉を、ここでも紹介しよう。
「最終楽章はまさに開花です。ラファエル・クーベリックがリハーサル中に冒頭のトランペットのファンファーレで、オーケストラに向かって言った言葉を、私は決して忘れないでしょう。『諸君、ボヘミアではトランペットは決して戦いを呼びません―― 常に踊りを呼ぶのです!』」
Dvorak (Illustrated Musical Biography S.) ハードカバー – 1984/6/1
英語版 Hans-Hubert Schonzeler (著)
さて「イギリス」の他に「ロシア」と「チェコ」も副題の候補だけども、どうでしょう。うーん、やっぱりこの曲は、副題なしでいいかもね(笑) でも、交響曲第8番と3つの国はこんな関係があるのかと知ってから聴くと、面白さもグッとアップすると思う。個人的には、そうだなあ、交響曲第8番「ボヘミアン・ラプソディ」が良いと思うんだけど。怒られるかな。
【参考】
Abraham, G.,(ed. Vikto r Fischl), Dvorak’s Musical Personality, in Antonin Dvorak: His Achievement, London, 1943(reprint, Westport, 1970).
Kretzschmar, H., Führer durch den Konzertsaal, 1. Abteilung: Sinfonie und Suite, BandII, Leipzig, 1921.
Schick, H., Dvorak’s Eighth Symphony: A Response to Tchaikovsky? In: Beveridge, D.R.,(ed.): Rethinking Dvořák: Views from five countries. Čajkovskij-Studien, Vol. 3. Oxford: Clarendon Press, 1996, pp. 155-168.
Schönzeler, H-H., Dvorak, M. Boyers, 1984.
交響曲第8番(コンスタンティン・シルヴェストリ&ロンドン・フィル)、ピアノ五重奏曲第2番(クリフォード・カーゾン、ブダペスト弦楽四重奏団)
Dvorak ドボルザーク (アーティスト)
ドヴォルザーク:交響曲 第8番
小林研一郎(指揮) (アーティスト), & 4 その他
ドヴォルザーク:交響曲第8番・第9番《新世界より》 (SHM-CD)
ラファエル・クーベリック (アーティスト)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more