セーチェーニ ポルカ「レオポルディーネ」
ヨハン・シュトラウス2世をはじめ、シュトラウス・ファミリーの音楽は大好き。シュトラウス・ファミリーや、ランナー、ヘルメスベルガーといった周辺作曲家の曲だけでも膨大な数があり、僕も未知の曲がまだまだ相当沢山あるけれども、それはそれとして、知られざるシュトラウス亜流のような音楽を探るのも楽しい。「北欧のヨハン・シュトラウス」ことハンス・クリスチャン・ロンビも以前ブログで取り上げたし、ロンビの曲はニューイヤーコンサートでも登場して話題になった。他にも◯◯のシュトラウスと呼ばれる作曲家としては、ワルトトイフェルが「フランスのヨハン・シュトラウス」、ロベルト・シュトルツは「20世紀のヨハン・シュトラウス」と呼ばれるらしい。有名無名含め、色々あるものだ。
今回取り上げるのは、そうした亜流(と言ってしまうのは良くないだろうが)の中でも、まだあまり知名度の高くない、イムレ・セーチェーニ伯爵(1825-1898)の曲。セーチェーニはウィーンに生まれ、父はなんとフランツ・ヨーゼフ1世の母に仕えた侍従長である。そういう父の元に生まれたので、息子イムレはフランツ・ヨーゼフ1世やその兄弟と一緒に育ったそうだ。セーチェーニ家も名家であり、英才教育を受けて五ヶ国語を操り、ピアノの腕前も一流。20歳で外交官となりローマに駐在。その後、ストックホルム、フランクフルトに駐在し、ビスマルクとも親交を深める。他にもブリュッセル、パリ、そして1854年半ばからサンクトペテルブルクに駐在し、その地でヨハン・シュトラウス2世と生涯の友情を結ぶ。1860年には駐ナポリ大使に、1878年には駐ベルリンのオーストリア=ハンガリー大使となった。
ということで、政治的にも様々な役割を果たしたイムレ・セーチェーニであるが、プライベートの音楽活動も精力的に行っている。ローマ駐在時代にはイタリア歌曲を書き、1850年代になるとピアノのための舞曲や行進曲を作曲、それらのいくつかはオーケストレーションされており、今回取り上げているポルカもオーケストラ作品だ。弟のデネーシュはイムレのポルカをアンサンブル仲間で演奏し、メンバーは皆デネーシュが作曲したと思い込み賞賛の嵐だったそうだが、兄の曲だと知ってガッカリされた、なんてこともあったそうだ。
何よりも、盟友ヨハン・シュトラウス2世がイムレ・セーチェーニの音楽を高く評価していたというのは、現代の音楽好きにとっても重要な事実だ。自身の演奏会でもセーチェーニの曲を取り上げているし、ワルツ「思想の飛翔」op.215はセーチェーニに献呈している。この二人は同じ1825年生まれで、同じような音楽性ということもあり、色々と通じるところもあったのだろう。ヨハン・シュトラウス2世がウィーンよりも金払いの良いロシアで莫大なギャラを受け取って音楽活動を始めたのが1856年、その頃にサンクトペテルブルクに駐在していたのがセーチェーニである。ヨハン・シュトラウス2世といえば何を隠そうスーパー遊び人であり、そこら中の女を捕まえてはとっかえひっかえしていた訳だが、後に彼は昔のことを振り返って、サンクトペテルブルクでの色恋沙汰で揉めた際、ロシアから脱出するのを手助けしてくれたのがセーチェーニだったと語っている。多分、ここには書き切れないくらいの恩義があるのではないか。知らんけど。1886年、ベルリンで大使を務めていたセーチェーニ伯爵が自作の演奏会を開いた際、こちらも大物作曲家として名を轟かせていたシュトラウス2世も演奏会に訪問し、二人は再会を果たした。
セーチェーニを高く評価していたのはヨハン・シュトラウス2世だけではない。イタリアで大使をしていた1864年、ローマにてフランツ・リストと親交を結び、1872年と1874年にリストはハンガリーにあるセーチェーニの邸宅を訪れている。リストもまたセーチェーニの曲を高評価し、「序奏とハンガリー行進曲」として改作している。あと、これは少し余談だが、ウィーン宮廷から嫌われて宮廷舞踏会音楽監督を父から継げなかったヨハン・シュトラウス2世に対して、ヨハン1世の後を継いだ音楽家フィリップ・ファールバッハ1世の作品に「セーチェーニ行進曲op.182」という曲がある。この曲についての情報が少なく謎なのだが、ボストン・ポップスはフィードラーやロックハート指揮でレパートリーにしていた歴史がある。イムレ・セーチェーニのことを指したものかは不明、セーチェーニという言葉自体は他の有名貴族の名前や地名でもある。ブダペストにはセーチェーニ温泉があるらしい。行ってみたいものだ。
今回はポルカ「レオポルディーネ」をブログ記事のタイトルにしたが、これ以外のどの曲を聴いても大変素敵なので、ぜひ聴いてほしい。1850年代に作曲した舞曲集で、3曲ずつまとめたものが6つある。記事冒頭に貼ったNAXOS盤は世界初録音、パート譜のみ残るものからスコアを作った曲もあるそうだ。この舞曲集第1集の1曲めがポルカ「レオポルディーネ」なのだ。オーストリアの政治家フランツ・アントン・フォン・トゥーン=ホーエンシュタインの母にあたる、レオポルディーネという人物に献呈されている。1852年に出版されているので、まだヨハン・シュトラウス2世と出会う前だろう。軽快で爽やかなポルカ。他にも様々な要人に捧げた曲があり、さすがは貴族といったところ。
NAXOSのCDでMAVブダペスト響を指揮しているヴァレリア・チャーニは、セーチェーニ作品について、ウィーンの舞曲では滅多に見られないダークな性格と音色はロシアの影響を感じさせると指摘している。第3集以降はロシア駐在時代に書かれたもので、当時・当地の好みが現れているのがはっきりとわかり面白い。しかしどの曲も、なんというか「誰でも書けそうなレベル」を超えた魅力があるのは確かだ。こういったポルカなんかはパターンがあるので僕レベルでも適当にそれらしく即興で作って弾けちゃったりするけど、そんなお遊び程度のものではない、セーチェーニの創作性の高さが伝わる作品群になっている。ピアノ版も聞けるので、気軽に楽しんでほしい。いつかニューイヤーコンサートに登場する日を心待ちにしていよう。天国のヨハン・シュトラウス2世も、そろそろセーチェーニの曲をニューイヤーで出してやって、恩返しして欲しいなあとぼやいているかもしれない。
Waltzes & Hungarian Marches
Szechenyi / Kassai / Gyorgy (アーティスト)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more