グレインジャー 子供のマーチ「丘を越えて彼方へ」
グレインジャーの曲でブログを書くのは、2011年に組曲「早わかり」の記事以来、12年ぶりとなる。ピアニストだったパーシー・グレインジャー(1882-1961)は、友人である作曲家のフレデリック・ディーリアス(1862-1934)のピアノ協奏曲を演奏した際、ディーリアスから「パーシーは、フォルテのパッセージは上手だったが、静かな部分では騒がし過ぎる」と言われたそうだ。ディーリアスがそういうことを言いそうなのも、グレインジャーのピアノがそんな風になりそうなのも、両者の作品のことを考えると至極妥当というか、納得がいってしまう。
今回取り上げるグレインジャーの作品、子供のマーチ「丘を越えて彼方へ」(Children’s March: Over the Hills and Far Away)は、ディーリアスの作品Over the Hills and Far Away(こちらは通常、幻想序曲「丘を越えて遥かに」と訳される)からそのまま名前を借りている。二人は仲良しなのだ。同名のイギリス民謡があり、このグレインジャーの曲のメロディもいかにも民謡っぽいけど民謡にあらず、彼の自作メロディである。
オーストラリアで生まれ、ロンドンで活躍し、1914年、32歳でアメリカへ移住したグレインジャー。1917年にはニューヨークの軍楽隊に入隊、バンドではサックス奏者を務めながらオーボエも習ったそうだ。器用な人物である。軍の救援活動イベントでは各地でピアノを弾いている。
子供のマーチ「丘を越えて彼方へ」は、元々そうしたイベントで自身がピアノ演奏するために、短くて楽しい音楽として作曲された。もっとも、原案は入隊前の1916年頃にあったようだが、各所で演奏していくうちに今度は軍楽隊のために編曲しようと思い、1918年には軍楽隊版を完成させるも、演奏機会を得る前に、1919年に除隊。同年6月にコロンビア大学で、ゴールドマン・バンドによって初演された。指揮はグレインジャー、大活躍するピアノパートはラルフ・レオポルドというベルリン・フィルとも共演したピアニストが(おそらくほぼアドリブで)務めている。同年12月には赤十字のイベントでレオポルドとグレインジャーが演奏するために2台ピアノ用編曲がなされ、翌1920年に出版された。
このように、子供のマーチ「丘を越えて彼方へ」は、短いピアノ・ソロ版と、軍楽隊版と、2台ピアノ版が存在する。特に軍楽隊版はかなり柔軟な編成で、大人数から少人数まで、様々なバンドで演奏可能になっている。現在一般的に吹奏楽で演奏する際はマーク・ロジャース校訂版が用いられているようだ。グレインジャーは当時のバンド音楽としては異常なほどにピアノを派手に用いているし、オプションだがコーラスも入るし、またとにかく低音楽器、特に低音のリード楽器を活躍させるということも意識していた。バリトンオーボエやバスサックス、コントラバスサリュソフォーンなども使用し、またバスクラリネットやイングリッシュホルン、テナーサックスやバリトンサックスに、当時の軍楽隊の慣例よりずっと自由で高度な役割を割り当てている。そうしたオーケストレーションのおかげで、非常にオリジナリティあふれる音色のハーモニーが味わえる、傑作バンド・ミュージックが誕生したのだ。
ピアノ・ソロ版は1分ちょっとで終わるが、吹奏楽版と2台ピアノ版はフル尺で6~7分、やはりまずは吹奏楽版で楽しんでいただきたい。例の中低音木管がイントロを奏でると、これから遠足にでも行くようなワクワク感が醸し出される。主題は「明るいモルダウ」とでも言いたくなるような、「美しき丘よ、モルダウの~、清き山面は今もなお~♪」とかなんとか歌いたくなっちゃう愉快なメロディ。川じゃないからね、丘だからね、静かな湖畔の森のかげから「カッコー、カッコー、カコッカコッカコッカコ」とカッコウまで鳴いているようだ。
歩く足取りも軽く、どんどん元気が出てくる行進曲。基本的な構造はそう多くない要素の反復なのに、これが全く飽きない、むしろ終わらないでほしいとさえ思ってしまう、グレインジャーの味付けの巧みさ。メロディの裏で、対旋律や伴奏がやっていることが物凄く高度なので、どう聴いても非常に面白い。どの楽器が、どんなリズムや和音やフレージングで楽しませてくれるんだろうと、常にワクワクする。この胸が躍る感覚が心地よい、さながら丘を越えて行くハイキングの楽しみ。鍵盤打楽器が活躍し出すと丘の頂上はもう目の前、木管が汗を吹き飛ばす風のように駆け抜ければ音楽は佳境へ、大盛り上がりで行進曲は続く。金管が華やかに「365歩のマーチ」のイントロみたいなフレーズを吹くのも、日本人ならではの鑑賞態度かもしれないが、とても良い。幸せは歩いてこない、だから歩いていくのだ、さあ、丘を越えて彼方へ!
丘を登り終えて、向こう側へ降りたのだろうか、音楽は再び冒頭のような静けさに戻って曲を終える。最後、ピアノの弦をマレットで叩く音が入り、それがボーンと響くのも独特だ。お疲れさまでした。
なお、この曲、グレインジャーは「丘を越えた向こうの遊び仲間」に捧げており、この遊び仲間というのはグレインジャーが8年も文通していた北欧の女性、カレン・ホルトンという人物だという説がある。カレンの母が絶対に許さなかったので結婚はできなかったが、そういう「丘の向こう」の人を思って書いたのかと考えると、ワクワクする気分も納得だし、これはもしかすると、丘を登ろうとしたけど結局越えずに戻ってきた可能性もあるんじゃないか……なんてね。
「子供のマーチ」と付いているので、一見子ども向け作品のように思ってしまう人もいるかもしれないが、いやいや、底知れぬ魅力のある深い音楽だと思う。グレインジャーは凄い作曲家なのだ。何しろバルトークと同じ時期に民謡収集のパイオニアとなり、ストラヴィンスキーより早く変拍子や不規則リズムを操り、ヴァレーズより早く電子音楽の実験を試みた人物でもある。グレインジャーの音楽は楽しい。またブログで取り上げよう。
Over the Hills & Far Away
Kristiansand Bl seensemble (アーティスト), & 15 その他
Grainger: Complete Music for
Grainger, P. (アーティスト)
Monumental Works for Winds
United States Marine Band (アーティスト), Giuseppe Verdi (作曲), & 6 その他
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more