萩原英彦 混声合唱組曲「光る砂漠」
クラシック音楽ブログと銘打っているので合唱曲について書いて更新してもすこぶるアクセス数が少ない。でも書きたいから書いちゃう。ベートーヴェンやモーツァルトと同じ並びで、高田三郎や大中恩、中田喜直、国枝春恵の合唱曲について書くこと自体に愉悦を覚えるようになっている自分がいる。そして今日も、萩原英彦の合唱曲を追加できてひとり喜んでいる。
萩原英彦(1933-2001)は合唱が好きな人以外にはほとんど知られていない作曲家だと思う。それもそのはずで、歌曲と合唱曲以外ほとんど作曲していないし、録音も残っていないのである。1933年生まれなので三善晃と同い年だ。三善と同じく、萩原も合唱好きには定番で、女声合唱のための抒情三章より「風に寄せて」(立原道造)や、混声合唱組曲「白秋による三つの楽想」の第1曲「風」は、合唱コンクールでよく歌われる。
作品リストをつらつらと眺めても、管弦楽や吹奏楽といった大アンサンブルにはほぼ興味なし、必要に応じて合唱曲のピアノ伴奏をオーケストラ伴奏に変える際に用いるくらいなもので、室内楽作品もなくはないが、器楽的な興味以上に歌曲の延長線上にある作品なのではないかと予想している。間違っていたらごめんなさい。
そんな「合唱専業」とも言えるような作曲家は他にもいる。いわゆる普通のクラシック音楽ファンが触れることのない作曲家を紹介するのも意味があるのではないかと常々思っている。もっとも、その作品が芸術的に素晴らしいと認めた上で、ではあるけれども。ここで取り上げる萩原作品を聴いたクラシック音楽ファンは、萩原がどんなクラシック音楽の作曲家から影響を受けたのか、多分すぐにわかるのではないだろうか。
萩原英彦は團伊玖磨に学び、その後芸大に進学し池内友次郎と永井進に師事した。目黒の碑文谷にある團伊玖磨の自宅に通う同門の友人たちと話す中で、デュパルクやショーソン、フォーレの歌曲を知り、若き萩原が傾倒していたシューマンやブラームスの歌曲との違いに衝撃を受け、近代フランス音楽の魅力に引き込まれていったという。
そうした萩原の近代フランス音楽を学んだ成果が、この混声合唱組曲「光る砂漠」に現れている。1971年の作で、実際に萩原はこの曲について、セザール・フランクの循環形式を学んだことや、また、フランスとは少し離れるかもしれないがジャック・アルカデルトのアヴェ・マリアとの関連について指摘している。
夭逝した詩人、矢沢宰の遺稿をまとめた詩集に歌を付けたもので、多くは矢沢が16歳の頃に書いたものとされている。遺稿を整理していたお茶の水女子大学の周郷博と親交があった萩原は、その詩を読んで衝撃を受けて作曲に至ったそうだ。
矢沢宰は新潟県見附市出身の詩人。実はこのブログ記事は2020年に書こうとしていて、その時のメモを見返したら「矢沢宰については、新潟日報の2019年の記事『生命の詩人 生き続ける矢沢宰』を参照」と書いてあった。残念ながらこの記事は今はもう見られないようで、良いものでもすぐに失われてしまうのがインターネットの儚さだなあとしみじみ感じていたところである。しかし、そのときは多分なかった、矢沢宰の新しいホームページが出来ていた。嬉しい。やはり良いものは、残そうと思う人がいる限り残されるものだ、と勝手に満足して頷いている。
病と戦い、21歳で亡くなるまで、そのみずみずしい感性で500編以上の詩を残した。萩原は9つの詩に音楽を付けている。混声合唱と女声合唱の二版あり、福永陽一郎が男声合唱用に編曲している。歌詞はこちら。
第1曲「再会」、第2曲「恋の詩でも読んだあとのように」、第3曲「早春」、第4曲「海辺で」、第5曲「ほたるは星になった」、第6曲「落石」、第7曲「秋の午後」、第8曲「さびしい道」、第9曲「ふるさと」。
詩の持っている若々しい感性といい、どこか地に足付かない浮遊感のある言葉といい、フランス近代歌曲の雰囲気がとってもよくマッチしている。それと同時に、フランス近代歌曲とは全く異なる日本語の響きと、純粋にフランス風音楽とも言い難い日本の合唱曲らしさも色濃い旋律の運びなどが相まって、奇跡的に良いバランスに落ち着いたところが、この組曲の卓越したところだろう。
「再会」の始まりのメロディの柔和さ、ハーモニーの淡い色合いの美しさ。三善晃もフランスで学んだ作曲家だが、三善の合唱曲の表現技法ともまた毛色が違うように思う。「恋の詩でも読んだあとのように」は雪がモチーフ、矢沢と同じ新潟生まれの僕としては、やはり思うところがある。特に僕は雪嫌いなので(新潟の雪関連では、以前書いたこんな記事やこんな記事もどうぞ)、まあ雪国の人にとって雪ってそんなにロマンチックなものでもなく、本当に大変で辛いものなんですけど、それでも雪に楽しさを見つけてしまうようなときもあったな、なんて、この詩と音楽とで何となく思い出した。思い出しもするでしょう、この音楽なら。何かいいことがあったのでもなく、これからいいことがあると決まってもいない(むしろ……)、それでも、いいことがあるような気がして楽しくなるものなのだ。
これからの季節に聴きたい春の歌である「早春」も良いし、その後の「海辺で」、この曲のピアノはショーソン好きにはたまらない。ショーソンだけでなく、フランス近代歌曲のファンはであれば誰もがたまらないはずだ。海をモチーフにした詩の爽やかさと、これを病に伏す矢沢が書いたこと――これはあくまで若き幻想だからこそ日本海なのに爽やかなのかしらと邪推もしつつ、様々な感情が絡まって着地しない甘酸っぱい思い――そんなのにぴったりな音楽だ。本当に良い曲だと思う。「ほたるは星になった」はさながらヴェルレーヌ詩やボードレール詩に音楽が付いたのかと思うほど。9曲の真ん中に位置しアーチの頂上をなす。続く「落石」は曲中で最も激しい音楽、うってかわって「秋の午後」ではサン=サーンスやフォーレさながらの古典的な優美さをたたえた、実に美しい素敵な音楽。「さびしい道」は神秘的な面持ちもあり、矢沢を知ればこの詩は胸に来るものがあるだろう。終曲である「ふるさと」では今までの曲のフレーズが再帰して感動的なフィナーレを形作る。最後の最後、終わり方も秀逸だ。
「フランス音楽の影響を受けた日本人作曲家の音楽」であれば、当時から今でも、きっといくらでもあるだろうが、単にちょっとフランスっぽさがあるだけではそれで話はおしまいな訳で……この「光る砂漠」は、その詩の鮮烈な魅力とフランス近代歌曲の音楽性のマッチング、1971年に書かれた合唱曲における先駆性、そして個々の曲ごとの個性的な魅力と循環形式を用いて組曲にまとめた上げた萩原の作曲センス、これらが上手く揃った名曲だと言えるだろう。
日本合唱曲全集 萩原 英彦 作品集1
東京混声合唱団
矢沢宰詩集―光る砂漠 単行本(ソフトカバー) – 2016/12/2
矢沢 宰 (著)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more