ヴィット 交響曲 ハ長調「イエナ」
フリードリヒ・ヴィット(1770-1836)はドイツのニーダーシュテッテンで生まれたチェロ奏者、作曲家である。1770年生まれ、ベートーヴェンと同い年だ。そしてこの交響曲「イエナ」は、1909年にイエナ大学でパート譜が発見されて以降、1957年まではベートーヴェンの作品だと認識されていた交響曲である。
1909年にイエナ大学でパート譜が見つかった際は、数カ所に「ベートーヴェン」という文字があったそうだ。チェロの楽譜にはそのまんま“‘Symphonie von Bethoven”と書いてあり、曲はハイドン風でもあるがベートーヴェンの作風にも似た雰囲気であり、しかも「ベートーヴェンはハイドンの交響曲第97番をモデルにしてハ長調の交響曲を書こうとしたことがある」という伝記とも一致。そこからこの曲はベートーヴェンの初期の交響曲だという勘違いが始まった。1911年にはブライトコプフからベートーヴェンのイエナ交響曲として出版される。
ハイドンの専門家として名高いアメリカの音楽学者ロビンス・ランドンは、オーストリアのゲットヴァイク修道院でこの曲のパート譜を発見、そこにヴィットの名が書かれており、多くの学者たちもヴィット作品だと疑うようになった。ドイツのルドルシュタットでもヴィットと明記された楽譜が見つかり、現在ではヴィットのものとして認識されている。
1956年にリリースされたコンヴィチュニー指揮シュターツカペレ・ドレスデンのDGのLP盤では、ベートーヴェンの交響曲ハ長調(イエナ交響曲)とされている。解説にはイエナ大学で発見したフリッツ・シュタインの報告が抜粋して書かれている。シュタインいわく「当時はベートーヴェンという名前が多くの人に知られるところではなかったので、意図的になりすましたとは考えにくい」とのこと。その後の解説でも「若きベートーヴェンのものと考えられる交響曲」などと書かれており、ヴィットという文字は見つからない。
逆にベートーヴェンと思われていたからこそ、50年代にコンヴィチュニーが録音するという奇跡が起こったのであり、まったく、作曲家が世に生み出した音楽はそれからどんな運命を辿るかというのは未知なものだ。
1780年代、ヴィットは熱烈な音楽愛好家であるエッティンゲン=ヴァラーシュタイン候にチェロ奏者として仕え、当時そこで宮廷楽長をしていたロゼッティから作曲を学んだ。ハイドンは1791-92年にかけて作曲した初期のロンドン交響曲をヴァラーシュタインにも送っており、その中には第97番も含まれている。ヴィットはそこから学んで、この度の交響曲作曲に至ったのだろう。
ハイドンの交響曲第97番との類似点はすぐに見つかる。ハ長調なのが同じなら楽章構成も同じで、第1楽章はアダージョの序奏で始まり速いソナタ形式へ、第2楽章はヘ長調のアダージョ、第3楽章はメヌエット、第4楽章は速いフィナーレ。型通りとも言えるが、習作と下に見ることもないくらい、ヴィットの交響曲は生き生きした良い音楽なのだ。まあそうでなければベートーヴェンと間違うということもないだろう。
確かにハイドンのような品格があるが、ハイドンほど洗練された感じもしない。それこそ、少しゴツゴツとした直截的な力点の存在が、ベートーヴェンのような力強さを思わせる。もちろんベートーヴェンよりもハイドン寄りなのは確かだけど、ハイドンほど古風でもないというか、「ハイドンに似せてもう少し後の時代の人が書いた」と思わせるようなフレーズだ。同じ時代とはいえ、ハイドンとヴィットは(もちろんベートーヴェンも)40歳くらい差がある。2楽章の三連符で流れる弦楽や、トゥッティのときの瞬発力など、ハイドンではなくベートーヴェンに近い。3楽章のメヌエットもそうだ。ハイドンやモーツァルトのように滑らかなラインを描くというより、ベートーヴェンにように道を切り開きながら進むような推進力がある。
かっといって、4楽章ではベートーヴェンなら絶対にやらないだろうなと思われるフレーズの処理なんかも聴けて面白い。展開の仕方は非常にベートーヴェン風だけど。
実は僕はNAXOSの録音で聴いたのが最初なので、初めからヴィットという作曲家の曲だと思って聴いていたし、ベートーヴェンと誤認されていた事実も知らないで聴いた。そのときに思ったことを正直に言うと「ハイドンとかモーツァルトっぽい感じもあるけど、ベートーヴェンっぽいよなあ」である。多分僕とは逆にヴィットの交響曲「イエナ」からベートーヴェンよりもハイドンらしさを強く感じる人もいるだろう。
長くクラシック音楽ファンをやっていて、ハイドンでもベートーヴェンでも沢山聴いていると、もう自分の中に「ハイドン的」や「ベートーヴェン的」という形容詞ができてしまって、知られざる古典派の作曲家の曲を聴いてもその辺との比較でしか語れなくなってしまうなあ……と、良いんだか悪いんだかわからないけど。なるべく頭を空っぽにして、無心で音楽を楽しもうと心がけてはいるが、完璧に無になるのはもう難しい。それだけ長く聴き続けててきてしまったのだ。
気持ちはいつでもフレッシュで、若い感性を保ちたいと思うけども、理想は理想、現実はなかなか、ね。ただ、頭の中にある自分なりの「ベートーヴェンの幻影」みたいなのを追いかけるように音楽を楽しむのも、まあ良いとは思う。追いかけ続けるだけの価値がある、素晴らしい音楽だと思うよ、ベートーヴェンは。捕まらないルパンを追いかける銭形も人生かけてそれを楽しんでるからね、でも、どこまでも自由に飛び回るような人生も憧れちゃうなあ。
ヴィット:交響曲ハ長調「イェーナ」他
ヴィット (作曲), ガロワ (指揮, 演奏), & 1 その他
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more