パガニーニ 春のソナタ イ長調
春だから何か春の音楽について書こう!と思い、よし、シベリウスの交響詩「春の歌」にしよう!と録音を聴いたら、なんかもう聴いただけで満足してしまったので、違う曲にする。北欧から南欧へぐるっと方向転換、パガニーニの「春のソナタ」について書くことにした。
パガニーニはまだブログに書いてなかったよなと思っていたら、実は2010年に書いていたのだった。もうすっかり忘れていた。何を書いたんだろうと読み返してみて、いつも通り別に大したことは言ってないけど、こういう考え方自体は多分ずっと変わっていないはず。
ドビュッシー、R・シュトラウスの最後の器楽作品について書いたばかりだが、図らずしてパガニーニ最後の作品(推定)について書くことになってしまった。悪魔に魂を売ったと言われるほどの超絶技巧で人々を魅了したヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニ(1782-1840)。1834年頃には水銀中毒で演奏活動からほぼ引退、作曲はというと、基本的に自分で弾くために作曲する人なので、作曲の方もほとんどしなくなったようだが、それでもいくつか最晩年の作品として残っているものがある。1838年、病気の治療も兼ねてパリを訪れていたパガニーニは、同郷ジェノヴァの親友で政治家のルイジ・グリエルモ・ジェルミに宛てて次のように書いている。
「私は変奏曲付きの非常に壮大なソナタを2曲作曲しました。今は3つ目に取り掛かっています。後でオーケストレーションをするつもりです。」
ちなみにこのときパガニーニはパリでベルリオーズの演奏会を聴いたそうだ。ベルリオーズはパガニーニの20歳年下。いたく感心したパガニーニはベルリオーズに大金を寄付したそう。その後病状は悪化し1840年に亡くなっている。この手紙に書かれたソナタ2曲というのが、おそらく「春」(MS73)と「バレット、牧歌、変奏曲」(MS74)ではないかと見られている。パガニーニの言うソナタというのは自由な形式で主題を展開させる変奏曲的なものを指すらしいが、本当にこの曲のことなのかはっきりしたことは不明、偽作の可能性もある。
今回取り上げる「春のソナタ」はヴァイオリン独奏パートしか残っておらず、オーケストラ用の大まかな指示はあるが詳しくは書かれていないらしい。今聴ける録音も僅かしかない。おそらく後世の誰かがオーケストレーションした楽譜を用いたものが、アッカルド独奏、デュトワ指揮ロンドン・フィルの1975年録音で、長らくこのアッカルド盤しか存在しなかった。今聴けるもう一つの録音はDynamicレーベルのもの、マリオ・ホッセンがピアノ伴奏版を2017年に録音している。さすがジェノヴァのDynamicレーベル、パガニーニには力が入っている。ホッセン盤はジュスト・ダッチ(トスカニーニの師でもある)が20世紀初頭にピアノ伴奏付きに編曲した楽譜を用いているそうだ。
序奏に続いてオペラアリアのような美しい歌が始まる。ピアノ伴奏だとさながらベートーヴェンのソナタ「春」のような穏やかな季節の雰囲気を感じるが、オーケストラ伴奏で聴くといっそう麗しくオペラチックで、パガニーニがロッシーニと親交があったことも思い出す。そんな美しい歌を堪能しているうちに、すぐさま超絶技巧の登場。変奏曲になると技のオンパレード、僕はさほどヴァイオリンの技巧に詳しくはないが、弓で弾きながらもう一方の手(左手)でピチカートを同時弾きしたり、跳躍のある重音奏法を連発したり、わからない人でもなんか凄いぞこれはと思わせる。それを高速テンポで見せつけるのではなく、ゆっくりと穏やかに主題を歌う中で魅せるのがまた格別に美しいのだ。
とはいえテンポが上がればなお凄まじい、高速リコシェ、激しく動き回るスケール、次から次に様々な技を繰り出す変奏曲。まあまあ節操の無い、せわしない春であることよ。短調に変われば今度は高音と低音を行き来するメロディ、これもまた良いのだ。
正直に言うと、一回聴いても音楽の流れが理解しにくい程にテクニック披露が激しく連発される。同じような技の連続も「24のカプリース」のように一つ一つが短いと理解も追いつくし、聴きやすいんだなとわかる。だから名曲扱いされるのだろう。かえってこの「春のソナタ」のような、いわゆる普通の曲に超絶技巧を入れ込んだような15分強もある変奏曲では「テクニック重視のつまらない曲」と見なされてしまいそうである。ただまあ、聴き慣れてしまえば問題なし。その技巧もすんなり受け入れて独奏パートを一連のラインとして捉えられるようになれば、また楽しく聴けるというものだ。
別に誰もこの曲をテクニックだけの駄作だなんて言ってないけどね、そもそも知名度も低いし……でもパガニーニってやっぱり、超絶技巧に痺れるような魅力がまず最初にあって、それに興味ない音楽ファンは敬遠しちゃうかなと思ったので。その技巧の先にあるところが見えると、聴くのも一層楽しいよね、と。アッカルド盤の解説では、ベートーヴェンの春からインスピレーションを得た、ジェノヴァの巨匠最後の超絶技巧作品、遅く来た「春」は間違いなく豊かな楽節に満ちていると絶賛している。僕もまったく同意だ。これが本当に最後の2曲のうちの1曲かは定かでないが、病で腕が衰えてもクリエイティヴィティは衰え知らずだとしたら素敵じゃないか。後世の、言うなれば「現代のパガニーニ」に託された、聴衆の度肝を抜く最後のハートブレイクショットだ。パガニーニ死すとも音楽は死せず、再び、何度でも花を咲かせてやろうじゃないか。桜さえ、風の中で、揺れて、やがて、花を咲かすよ!
Accardo Plays Paganini: Complete Recordings
Paganini
Complete Edition
Niccolo Paganini
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more