クセナキス 夜
ヤニス・クセナキス(1922-2001)という作曲家をブログで書くのは今回が初めてだ。もうこのブログは17年目に突入しているのに初だというのは、意図的に書くのを避けていたからである。なぜなら、クセナキスの音楽を愛好する人はやっぱりちょっと頭が良い人が多くて、僕のような頭の悪いド素人がブログで適当書くとなんか面倒なことになるかもしれないと思っていたからだ。と、僕は穏和なのでこんな書き方をしたが、もっとはっきり言えば「頭でっかちで好戦的な現代音楽オタクに捕捉されて口撃されるのが嫌だから」である。もちろん平和主義の現代音楽ファンもいらっしゃるし戦闘民族みたいな古典ファンもいるけど、ね。しかしもう、そんなことを思っていたのも若いうちの話で、十何年もやっていれば僕も歳を重ねていいおじさんになってしまい、別に誰に何をメタクソに言われようがどうでも良くなっちゃって、この度晴れてクセナキスのご登場と相成った。それで良いのか? まあ良いだろ。結果オーライだ。
うざい前置きを書いたのでそろそろクセナキスの話をしよう。たまたま昨日、サントリーホールのサマーフェスティバルでクセナキス作品も演奏されたようで、その感想ツイートを見てクセナキスにしようと思った……のではない。マジで偶然なんだよな、これは運命だわ、やはり今日ブログ書くのが正解だとナブーの石版にも書かれているのでしょう。
ルーマニアのギリシャ人コミュニティで生まれたクセナキスは、10歳でギリシャへ。アテネ工科大学で建築と数学を学ぶと同時に音楽も研究。第二次大戦中からレジスタンス運動に加わり、戦後の内戦でも独裁政権に対抗し、戦闘に参加して負傷したり、収容所送りになったりすることも何度もあった。1947年にギリシャを脱してフランスへ移住、ル・コルビュジエの助手を務める。メシアンの支えもあり、フランスで音楽活動を行い国際的な名声を得る。ギリシャでは政治犯として欠席裁判で死刑判決を受けていたため、1974年にパパドプロス独裁政権が崩壊するまで帰国することはなかった。
ちなみに、同じように政治的理由でパリへ亡命し、独裁政権崩壊後に帰国したギリシャの作曲家にミキス・テオドラキス(1925-2021)がいる。亡命中も祖国を思い多くの演奏会を行っていたのがギリシャ国内でも知られていたため、帰国後は英雄として扱われ、国内の演奏会は大熱狂、ついに自身が政治家にもなった。
もちろんクセナキスも帰国時は祖国の英雄として扱われたが、彼の音楽を聴けばわかるように、聴衆が熱狂して政治家に祭り上げるようなタイプではないのは明らかである。テオドラキスは多くの映画音楽を手掛け、またシンフォニストでもあったが、クセナキスは実験的・前衛的と言われる独自の音楽の道を邁進した作曲家である。フランスを拠点に世界の現代音楽の最前線で活躍したクセナキス。1975年以降も度々ギリシャを訪れコンサートや講演を行ったそうだ。
そういう作風なので、ギリシャだろうがどこだろうが一般受けするような音楽ではない。しかし、今も昔もクセナキスは世界中の現代音楽ファンから「我らが界隈の英雄」として扱われているのは変わらない。Twitterを見てると「現代音楽の人気が云々」という話題が度々上がってくるし、実際このブログも「ガチの現代音楽」の記事は非常にアクセスが少ないのだけど、きっとこの記事はそこそこアクセスがあるのではないかと予想している。クセナキスは現代音楽界の英雄、ビッグネームのパワーはすごいのだ。
僕は中学生くらいからクラシックを聴き始めて、20世紀作品やコンテンポラリーを聴くようになったのは大学生になってからだけども、クセナキスに関しては、最初に知ったのが「ルボン」だったので(僕は高校大学と打楽器をやっていたので)、そういう意味ではとっつきやすかったかな。
とっつきやすかっただけに、逆に他の作品を聴いて「なんじゃこりゃ」と思うことも多々あったが、さほど嫌な気はしなかった。しかし、受け入れられない人も多かったことだろう。専門的な批評家から一般的な聴衆まで、幅広いレベルでそうだっただろう。そうして非難、拒絶される「意味不明な音楽」の代表の一人でもあったクセナキス作品なだけに、それを愛好できるだけの理解力、頭の良さを持つ人たちの一部は、無理解な古典愛好家を貶すのである。そういうある種の致し方ない双方のやり合いを見るのは個人的にあまり面白くなくて、僕はちょっと一歩引いてしまっていたというのもある。
別にそんな両方の界隈の仲介者になりたいわけではないが、このブログは一応クラシック音楽ブログなので「クセナキスはちょっと……」と敬遠しがちなクラシック音楽ファンに聴いてほしい曲として、今回挙げるのが「夜」という無伴奏合唱のための作品である。1967年作曲。まだ祖国は独裁政権で苦しんでいる時期だ。クセナキスはこの曲の楽譜に、以下のような献辞を記している。
君たち、無名の政治犯たちへ――ナルシソ・ジュリアン(1946年から)、コスタス・フィリニス(1947年から)、エリ・エリスリアドゥ(1950年から)、ジョアキム・アマロ(1952年から)。そして君たち、その名前すら忘れ去られた何千人もの人々のために。
ソプラノ、アルト、テノール、バス、それぞれ3人ずつの12人による混声合唱で、歌詞はあるようでないような、それぞれの音に一音節だけ文字が振られており(振られていない音符もある)、これらは全て古代言語から取った音節だそうだ。シュメール語、アッシリア語、古代ペルシア語や古代ギリシャ語などから抽出された音節、意味を失った言語の欠片で、ときに呻くように、ときに叫ぶように、ときに強く、ときに悲しく、意思や感情も有るのか無いのかわからないような音楽を歌う。不思議な音楽だ。器楽作品であれば聴く方も距離を置いて、少し冷静に聴くこともできるのだが、人の声となると妙に近しくて、おそらく無いはずの意味をこちらで勝手に探してしまう。いや、「無いはず」なんて決めつけるのもおかしい。この声は、何を訴えようとしているのか。何か訴えたいこと、伝えたいことが有ったのか、無かったのか。有ったのに奪われたのだろうか。
亡霊のようでもあるし、喃語のようでもある。死んだ後の世界と、生まれたばかりの世界、そんな音の世界。生と死、秩序と混沌、知性と感性、相反する両極端を一つに結んだところ、なんて考え過ぎかしら。
不思議な言葉の断片のようなメロディは、抑圧された状況下の悲痛な響きと解釈するのがまあ一般的なのかもしれないが、ともすると楽しそうに見えるくらい自由なときもあり、原初的な衝動に任せて動いているようにも感じられる。メロディ同士はよく対立し、ぶつかり合い、ときに手を取り合うようにも思われる。まるで、じゃれ合う野生動物の群れを見るかのようでもある。そのように感じる自分自身の感覚が、もしかすると酷く恐ろしいものかもしれないと、ちょっと背筋が凍る。この曲の献辞と、曲の終わり方と、そして「夜」というタイトルを思い出す。
クセナキス作品のほとんどは、全くもってこちらに寄り添ってくれるようなものではない。デビュー作「メタスタシス」について、クセナキス自身は「その発想の源は音楽というよりナチス占領下のギリシアでの印象にある」と書いているが、そんな音楽でさえ聴き手に同情を促すこともなく、ナチスに対するデモ行進の秩序ある音が無秩序になった体験から、あの図形楽譜のハチャメチャなオーケストラ音楽を生み出している。クセナキスの擁護者であったヘルマン・シェルヘンでさえ、彼の音楽は極めてドライだと指摘しているし、クセナキスはそれが自身の表現したいことに対して最も誠実で、効率的で、簡潔で、そしてエレガントな方法だと返答したそうだ。それについてギリシャの音楽学者ケイティ・ロマノウは「ある劇的な個人的経験はすべての共感が排除されて、自然現象として観察される」と書いた。「夜」も確かに、現象として観察される類の表現かもしれない。しかし、声楽作品は、人の声は、そして人の声の重なりは、どうしても人に共感を促すように思えてしたかない。同胞に捧げた作品で、クセナキスはどこまでドライでいられただろう。ぜひ聴いてみてほしい。クセナキスの合唱作品はこの「夜」が最も有名で、他の曲はあまり日が当たらないけれども、記事上に貼ったHyperion盤はクセナキスの合唱作品をまとめた貴重な録音である。サブスクにも登場したので、お気軽に。
As Dreams
Det Norske Solistkor
Messiaen/Xenakis
Groupe Vocal France
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more