フォン・コック 交響曲第2番「ダーラナ交響曲」作品30
「しかし何よりも、フォン・コックのミューズに対する愛情深い態度は、のびのびと明るく歌うメロディーに反映されている。彼は何か言いたいことがあるとき本当に歌うのだ、それも頻繁にある」
これは1945年10月、イェーテボリの新聞に載ったフォン・コックの交響曲第2番の演奏評で、作曲家のヨースタ・ニューストレム(1890-1966)が書いたものである。今回はスウェーデンのストックホルム生まれの作曲家、エルランド・フォン・コック(1910-2009)を取り上げよう。
なぜフォン・コックなのかというと、エルランドの父シグルド・フォン・コックの作品をブログに書こうと思い立ったのだが、父より有名なエルランドの方をまだブログに書く前にマイナーなシグルドの方を先に書くのもどうかなと思ったからである。まあ、一般的にはどちらもマイナーなのであまり関係ないのだが……。
ちなみにそのシグルド・フォン・コックの曲はヴァイオリン・ソナタで、昨年ツイートしている。僕は基本的にTwitterで同じ音盤を二度取り上げることは無いのだけど、これは2021年にもツイートしている。それくらい好きな曲だ(単にツイートしたのを忘れていただけだが)。
【今聴いています】今日のお空はどんな空☁️ 曇りも悪くない、虚子の句に「宝石の大塊のごと春の雲」とある😌 スウェーデンのヴァイオリン・ソナタ集、セシリア・シリアクス(vn)とベンクト=オーケ・ルンディン(p)の98年録音を。シグルド・フォン・コックの傑作!#imakiiteiruhttps://t.co/QImcZB05OK pic.twitter.com/ZvhvaiGyLt
— ボクノオンガク (@bokunoongaku) April 22, 2023
父シグルドの音楽も素晴らしいのだけど、録音はまだ少ない。息子エルランドのだって決して多いとは言えないものの、それでもそこそこの数があり、様々な作品を聴くことができる。5年後の2029年は没後20年にあたる。そこでフォン・コック作品を取り上げるオーケストラのために、先んじて書いておこうという魂胆だ。取り上げてくれるかな? ここでアピールしておけば、どこかのオケの関係者の目に留まるかもしれない。記念コンサート、よろしくお願いしまーす!
まずコンサートの1曲目は代表作「ノルディック奇想曲」で始めるのが良いだろう。7分弱の作品で、北欧らしさも感じられる良いオープニングナンバー。フォン・コックは管楽器のための作品でも知られており、ここで管楽器か、あるいは別の楽器の協奏曲を挟みたい。管楽器ならオーボエ協奏曲、サクソフォン協奏曲、チューバ協奏曲。サクソフォン協奏曲についてはkuri_saxoさんのブログをぜひご覧ください。シガード・ラッシャーの録音を紹介してらっしゃるkuriさんも、協奏曲とあわせてノルディック奇想曲を絶賛、やはり演目ノルディック奇想曲からのサクソフォン協奏曲で良いんでないかしら。
チューバ協奏曲はアイリク・イェルデヴィークの音盤があり、ヴォーン=ウィリアムズのファンなら聴いたことがあるかもしれない。他にもヴィオラ協奏曲やギター協奏曲もある。協奏曲は、ノルディック奇想曲とはまた雰囲気の違う良さがある曲ばかりだ。
そしてメインに交響曲をやったら良い。2番~6番の5曲が残っており、なぜか1番はないので、2番が実質最初ということになる。冒頭で演奏評を抜粋した通り、1945年の作曲。ショスタコーヴィチの交響曲第9番やリヒャルト・シュトラウスのメタモルフォーゼンと同じ時期だ。
フォン・コックの作風については、30年代は新古典主義に傾倒、40年代にロマン派風の時代を迎え、60年代以降は自身の道を進んだと書かれる。そうすると、この交響曲第2番「ダーラナ交響曲」はロマン派風の時代にあたる。新ロマン主義と言うほどでもないだろうが、歌うようなメロディとリズムが特徴的だ。そして、ちょうどフォン・コックがスウェーデンのダーラナ地方に滞在していた時期に書いた交響曲のため「ダーラナ交響曲」(Sinfonia dalecarlica)という副題が付いている。ダーラナ地方、北欧が好きな人には耳覚えがあるかもしれない。よく日本の北欧関連のお店なんかにもダーラナと名前が付けられているし、木彫りの馬「ダーラナホース」という民芸品も有名だ。スウェーデンの人々にとって、歴史や文化の源、昔懐かしい田舎というイメージだそうで、心の故郷という感じなのだろう。スウェーデン狂詩曲「夏至の徹夜祭」で有名なヒューゴ・アルヴェーン(1872-1960)も晩年はダーラナ地方で過ごしたそうだ。この地で数多くの民謡を採集したフォン・コックは、以降の作曲にも民謡を取り入れるようになったが、あまり直接的な引用はしなかった。アルヴェーンのことは敬愛していたものの、フォン・コックは「国民楽派のロマン派作曲家になりたくはない」と断言している。それでも、民謡とはしっかり結びついた、メロディックでリズミカルで、シンプルなハーモニーの音楽を作りたいということも語っている。どっちなんだよとツッコミたくなるが、まあ曲を聴いてみてもらえれば彼の言うことも何となくわかると思う。オリジナルのフレーズにも民謡のエッセンスは確実に含まれている。
森や湖、牧場など、スウェーデンの心の故郷ダーラナの景色を思い浮かべながら聴くのが良いだろうか。一応、上に写真を貼ってみた。だが、ベートーヴェンの田園のようなものを想像して聴くと全く違うのでやめた方が良いと思う……ちょっと不穏な始まりから、徐々に盛り上がっていく1楽章、この主題も展開も面白い。長閑であるが、どこかちょっとクセがある、遊び心のようなものを感じる。角のある味付け、とでも言おうか。どこかツンツンしているような。しかし弦と管の対話や、休止の仕方からはブルックナーの交響曲に似た雰囲気をも感じ取れると思う。妙に引っかかるような、なんか不思議なこの感じ、思うにこれは単なる自然賛美ではなく、そこに暮らす人々の民謡が持つものからの影響なのかもしれない。
2楽章はスケルツォ、軽やかだがやっぱり独特だ。CDの解説ではフォン・コックのリズムはスウェーデン民謡だけでなく、バルトークや、若い頃に演奏したジャズの影響もあると書かれている。あまりはっきりそれらが現れているとも思えないが、言われてみればどことなくそんな感じもする。僕は個人的に、僕の大好きなヴォーン=ウィリアムズの曲に近いような雰囲気だと思う。チューバ協奏曲繋がりではないが、近いものがあるかもしれない。あるいはホルストか。この楽章以外にも(そしてこの曲以外にも)そう思う箇所は多々ある。作為が溢れるように聴こえることもあるが、僕は夜の空気や光を感じることもできる。
3楽章はアンダンテ・エスプレッシーヴォ、ここは穏やかな北欧音楽といった面持ち。管楽器の入りから牧歌のような音楽が始まり、長閑で温もりのある歌が続く。美しい。ティンパニの刻みも良い塩梅、絶妙だ。ゆっくりと、静かな時間が流れながら、徐々に高ぶり、音楽はクライマックスを迎える。年をとるに連れ、交響曲は緩徐楽章が要だと思うことが増えてきたが、この曲もそうだろう。
4楽章フィナーレ、行進曲風に始まる。これは特に民謡などではないようだ。続いて様々なフレーズが登場して展開するが、どれもしっかり歌っているし、リズムも面白い。一つ一つ個性があるので、一つ一つ楽しみたい。それにしても、まさかの最後には1楽章の主題が回帰。この曲、そんなことしちゃうような感じだったか?と疑問も覚えるが、ある意味、良いサプライズではある。
正直、一度聴いたときは(あまり真剣に聴いていなかったせいか)回帰に気づかなかったのだけど、ちゃんと聴くとこの主題、結構クセになるんだよなあ。フィナーレの最後の最後での使われ方や和声も、変に仰々しくはないし民謡のようなわかりやすいラストの熱狂でもないのだが、そんな要素も含みつつ、ちょっぴりウィッティな表情でフィニッシュする。いくら華やかにしてみても、主題もヘンテコ(良い意味)だし、他の楽章でもそんな様子一切見せないので、どこに気持ちを持っていけば良いか困ってしまうような感じ。これはなかなか、味がある作品と言えるだろう。
交響曲第3番と第4番も録音があるし、映画音楽などでも活躍したフォン・コックの音楽、ぜひ聴いてみてほしい。2029年にはどこかのオケが特集してくれますように!
Erland von Koch: Symphonies No. 3 & 4
Von Koch / Swedish Radio Symphony Orchestra
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more