ベルワルド 弦楽四重奏曲第1番 ト短調
スウェーデンの作曲家、フランツ・ベルワルド(1796-1868)をブログで取り上げるのはこれが二度目となる。最初は2009年、ブログを始めて間もない頃にファゴットと管弦楽のためのコンツェルトシュテュックについて書いた。実はこのベルワルドの昔の記事は、僕のブログの記事の中でも結構長いこと人気記事だった。16年前に書いたのだが、その頃は今と比べてインターネット上にベルワルドの曲の日本語ページは少なかったと思われる。ベルワルドの作品は再評価が進み、それに伴って日本語の記述も増えていったのだろうか、このブログでも今はそれほどアクセスはない。長くやっているとそんな変化も見られて面白い。
ベルワルドの生涯についても日本語Wikipediaでだいぶ詳しく読める。生前はあまり評価されず、整形外科として収入を得たというのは知っていたが、色々読んでみるとガラス工場の経営者や、レンガ職人や、その他様々な商品を取り扱う商売人としても活躍したようである。多才だったのだろうし、きっと、ちょっと変な人だったんだと思う。ハンスリックは著書の中でベルワルドのことを奇抜な人と評している。頭も良く色んな才能があるので何でもできてしまうのだろう。音楽も先進的なことができてしまうタイプだが、そこが地元スウェーデンの楽壇では評価されないポイントだった。評価されないというか、それなりに評価されて音楽活動していたのだが、本人のプライド的にはもっと評価されてしかるべきと思っていたのかもしれない。ベルリンやウィーンでも、本人が満足いく程度の評価を得ると途端に作曲活動に勤しみ、そうでなくなると別の仕事で才覚を発揮する。「音楽しかできないから売れようが売れまいが音楽しかない」みたいなタイプの音楽家だって多いだろうが、ベルワルドはそうではなかったのだ。
シューベルトの1歳年上で、シューベルトよりずっと長生きしたベルワルド。今回は弦楽四重奏曲第1番を紹介しよう。ベルワルドは3曲の弦楽四重奏曲を残しており、第1番は1818年、22歳のときに書いた曲である。第2番と第3番は1849年、50代の作品。30年ほどの隔たりがあるが、音楽史の激動を鑑みるに、この時期の30年は非常に大きいと言える。1818年と言えば、シューベルトがピアノ五重奏曲「ます」の作曲を始めた頃であり、ベートーヴェンのハンマークラヴィーアやウェーバーの魔弾の射手と同時期である。一方、1849年といえばショパンが亡くなった年であり、シューマンの4本のホルンのためのコンツェルトシュテュックが作曲された年である。ベルワルドもまた長く音楽活躍をやってきて色んな変化が見られて、さぞ面白かったことだろう。
第2番も第3番も面白いのだけど、22歳で書いた第1番は、その若さからは想像できないほど、そしてまた正規の音楽教育を受けていない(と推定される)人物とは思えないほど、成熟した作品である。
第1番を作曲した1818年、ベルワルドはMusikalsk jounal(音楽新聞)という自作曲等を掲載した季刊誌の発行を始めている。1819年1月、ベルワルドはライプツィヒの出版社ペータースに宛ててカルテットの出版を依頼する手紙を書いており、そこでは自信満々に自作と自身の音楽活動をアピールする様が見られる。いわく、2曲の素晴らしいカルテットと同じくらいに美しく完璧に印刷してほしいだとか、オーケストラで6年間研鑽を積み、自身の音楽誌も好評で、カルテットも温かい拍手喝采を受けた、とか。多分、温かい拍手喝采はオケの内輪でやった演奏の話だろうし、ペータース社の返信も無いし、後に出版された記録も無いようだ。また2曲のカルテットと言及しているが、1曲は消失してしまっている。もしかすると大手出版社に認められず、ベルワルド自身が捨てたのかもしれない。それはわからないけど、ベルワルドは自信家であるのと同時に、常に自分自身に対しても厳しい批評家だったそうだ。残った1曲のカルテットがこのト短調の第1番であり、彼の厳しい自作批判にも耐えうる、そして大きな自信の源でもある、それだけの十分な出来栄えを誇る作品なのは間違いない。
第1楽章Allegro moderato、このユニゾンの冒頭も驚かされる。五度で上がる二分音符で始まるが、この開始で導かれる曖昧で弱々しい雰囲気は一瞬だけで、すぐに付点とスタッカートのリズムへ。いきなり変わったことをしてくる。和声もそうだ。変ホ長調を思わせておいてニ長調で終える変わった第一主題。その後も転調が続く。第ニ主題のメロディと、それがマイナーチェンジをして転調しながら何度も繰り返し出現するのも、非常にシューベルト的なものを感じる。シューベルト作品を22歳のベルワルドがどの程度認識していたかは不明だが。第一ヴァイオリン優位という点では保守的なカルテットではあるが、それでもこの一瞬たりとも緩むことなく次から次へと変化させていく手法や、チェロの活躍の仕方などを鑑みても、旧時代的な音楽とは決して言えない。
この曲以外でも、ベルワルドは奇を衒うようなことを試したがるタイプで、それ故に多々非難されてきたようだが、この曲における彼の創意工夫もまあ、鼻につかないこともない。そこがシューベルト風でありながらシューベルトとは全く異なるところである。しかしこの「やり過ぎでは?」と思わせるような作風も、19世紀初めにはウケが悪かったかもしれないが、現代人から見たら、この時代にこんな音楽で攻めた人がいるのかと、興味深いもの。「そんな変なアピールしたら頭の固い楽壇の人らには逆効果だろ!」と現代からベルワルドにアドバイスしてあげたくなるが、本人はやりたくてやってるんだろうし、聞いてくれないよね。
第2楽章Poco adagioは至極真っ当である。第1楽章を刺激的に攻めていった分の帳尻を合わせるかのようだ。というか、ここから先は全部その帳尻合わせに費やしているようにすら思える。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、もちろんシューベルトもだが、独墺の伝統的なカルテットの系譜に名を連ね、音楽家として認められたいという気持ちを想像しながら聴くのは、ちょっとベルワルドに失礼かしら。もちろん隠しきれないオリジナリティが滲み出てくるけどね。第3楽章Scherzoもそう、一見すると真っ当な古典派~初期ロマン派の音楽。トリオも歌が美しく流れる……と思っていると、何やらクセのある和声で笑えてくる。第4楽章Allegretto、ト長調のフィナーレ。素朴な民謡風の主題が美しい。まるでロンドのような楽しい音楽で始まる。最後は昔からある音楽っぽい雰囲気で終えるのかな、とか、この曲はちょっと北国の雰囲気を持っているよな、なんて思っていると、やはりここでも攻めてしまうのがベルワルド。徐々に大胆な転調や面白い展開も出てきて、ヴァイオリンの技巧的なパッセージも登場、当時の大先生たちは眉をひそめそうだが、現代人の僕にとっては飽きなくて良い。ヴァイオリンが辻音楽師のようなちょっとした遊び心を見せるのもポイントだ。まあ当時の楽壇的にはマイナスポイントだっただろうが……突然高速ヴァイオリンと他楽器の熱い対決が始まったり、突然テンポを落として皆でねっとり歌い出したり、どうしてもそういう変なことをしちゃう、そこが(+/-)ポイントだ。最後にはフーガでどうだ、と、頭の固い権威たちを説得にかかるが、本当に最後の最後でベルワルドは、どうしてもなんか変なことをやってしまうのだった。ぜひ聴いて、皆さんも「ああ、ここがポイントだなあ!」と思ってください。誰かにとってマイナスなポイントは、きっと誰かにとってプラスのポイントでしょう。
ベルワルド:弦楽四重奏曲第1番、第2番、第3番
ユグドラシル四重奏団
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more