サウザム リメンバリング・シューベルト:いま生きているということ、それはシャーベット

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サウザム リメンバリング・シューベルト


日本の夏、アンビエントの夏。ということで、今回は現代音楽、特にミニマル、アンビエントのジャンルに入れられるカナダの作曲家、アン・サウザム(Ann Southam, 1937-2010)の音楽を取り上げよう。
いやいや、「日本の夏、アンビエントの夏」はスルーして良いんでしょうか。良くないね。アンビエント、環境音楽とも言われる音楽のジャンル。まあこれを概説するのは今はよしておいて、そういうのが日本の夏とどう関連するのかを少し語りたい。語るというほどでもないか。美しい四季のある日本、春夏秋冬、それぞれイメージされる情景というのがあるけれども、その中で最も音量があるのが夏だと思うのだが、どうだろう。日本の春といえば桜でしょう、青空に映える桜からは、それほど音が聴こえてこない気がする。お花見の宴会なら別だが、そうでなければ鳥がさえずったり、川のせせらぎが静かに聴こえるくらいかな。日本の秋といえば、やっぱり紅葉かしら。その景色からあまり音は聴こえてこないが、JR東海のせいでMy Favorite Thingsが聴こえる人は多いかもしれない。日本の冬といえば真っ白な雪景色か。新潟生まれの僕はなおのこと、雪を最初に思い浮かべる。雪は音を吸収するので静かである。一年で一番静かな季節とも言える。
では日本の夏はどうか。今僕は「日本の◯」と春秋冬を入力して画像検索して出てきたものを上に例示したのだけど、日本の夏は他の三つと比べて、何かそれ一色になるような検索結果ではなかった。青い空に白い雲、さらに濃い緑が加わる写真もあれば、向日葵、海、花火など、種々様々、雑然としている。花火なら花火の音が聴こえてくるね。それ以外の情景も、とにかく全てから蝉の声が聴こえてくるのは必然か。やかましいが、今年の夏は暑すぎたせいか、蝉の声を聴くタイミングが例年と違ったように思う。蝉も大変だな。

数年前にTwitterで、Christopher Hipgraveの“Glittering Flecks Scattered”というアンビエントの曲を紹介した。この話の流れと曲のタイトルを考えてもらえれば、どんな音がするか想像できると思うが、ぜひ聴いてみていただきたい。そして、この曲が含まれている“No Greater Hero Than The Least Plant That Grows”(2015)というアルバムと、同じくこの曲を収録した、Home Normalレーベルが日本からイギリスへ拠点を移す際にリリースしたオムニバス盤“日本”(2015)をここに貼っておこう。Twitterでも語った通り、個人的にはこの後者のコンピは全ての日本人におすすめしたい一枚でもある。あまりこういう言い方は好きではないんだけど、それでも、そう言いたくなるのだ。

No Greater Hero Than The Least Plant That Grows
Christopher Hipgrave

日本


日本の夏には音がある。というか、ある種の音は日本の夏を思い起こさせる、と言える。蝉の声や花火の音、風鈴の音、祭囃子や盆踊り……これらは流行りのアーティストのサマーチューンが夏を思い出させるのと似ているようで、どこか違う。こんな風にぼんやりと、直接的というより間接的に何かをが思わせてくれるのもアンビエントの音世界の一つの側面と言えるだろう。

アン・サウザム(1937-2010)、画像掲載元:Vancouver Symphony Orchestra

カナダの作曲家、アン・サウザムはトロント王立音楽院でサミュエル・ドリンに師事し、電子音楽に興味を持つ。作曲活動もしながら、1966年からは自身も母校で電子音楽を教えた。80年代になるとテリー・ライリーとスティーヴ・ライヒに興味を示し、電子音楽からアコースティック楽器によるミニマル・ミュージックへと転向していった。淡々と同じことを繰り返すというのが、彼女にとっては当時で言う「女の仕事」を思わせたのだそうだ。掃除、洗濯、炊事など、単調だが生活を支える必要な仕事。それとミニマル・ミュージックに宿る生命力とが重なったのだろう。フェミニスト作曲家が歌詞で主張すると違い、サウザムは歌詞のない音楽でフェミニズム的美学を表したかったという。
僕はそういう、単に音響の面白さだけでなく、何か強い思いを持ったミニマルというのは結構好きで、↓のように以前ブログで取り上げているが、サウザムの本作もその線上に置けないこともないだろう。ただまあ、彼女の信条と個々の作品とはまた別の話ではあるが。なおサウザムは自身の音楽について「驚くほど退屈」、「新しい音楽界においては相当影の薄い存在」と語った。皮肉もあるだろうが、自分で言うのはなかなか面白い。

このリメンバリング・シューベルト(Remembering Schubert)という10分もない曲について、作曲の経緯など詳しくはまったくわからない。1993年の作で、商業録音がいくつかあり、1997年にはサウザム60歳のバースデーコンサートでイヴ・エゴヤンが弾いている。1997年はシューベルトの生誕200年でもある。Canadian Music Centreのライブラリでそのときのライブ演奏が聴ける。リンクはこちらから。楽譜も閲覧可能だ。

おそらく1999年と思われるエゴヤンによる録音があり、CBCのサウザム作品集に収録されている。エゴヤンとサウザムの交流はこの曲から始まった、とエゴヤンが書いているのを見つけた。このCDのBookletではサウザム自身がこの曲について語っていて、いわく、右手の4音と左手の5音のパターンが重なり合い、それが生み出す旋律的なモチーフとの相互作用が興味深いところ、と。シューベルトからの引用はないが、漠然とシューベルトを彷彿させるものがある、と。実際に聴いてみてもらえばわかる通り、まさしく「シューベルトを思い起こさせる環境音(楽)」と言えるだろう。

Southam: Glass Houses – The Music of Ann Southam


僕がこの曲を知ったのは、サウザムと長年に渡り芸術的パートナーだったクリスティーナ・ペトロフスカ=キリコの演奏である。記事冒頭に貼ったもので、サブスクで聴いたので詳しい解説の有無はわからない。その他に見つけた演奏は、メアリー・ケネディが弾くCentrediscsレーベルのCDで、解説ではこの曲への言及はほんの少しだけ。シューベルトの変化する和声の雰囲気を想起させるミニマルな作品で、作曲家は聴く者をシームレスで揺らめく音風景へと誘います、と。seamless, shimmering soundscapeだそうだ。shining shimmering splendidみたいだ。だが全く新しい世界への幕開けというより、なぜだか妙に懐かしい気分になる。

Palimpsest: Mary Kenedi Plays Canadian Piano Music, Vol. 2
Mary Kenedi


昨年はヴィヴァルディの音楽を現代的に再構築したピーター・ハッチ(1957-)の弦楽八重奏曲「和声と創意への試み」(2000)をブログで取り上げた。サウザムのシューベルト再構築は、これと同じようなことをしたものと捉えることもできるが、圧倒的に心地よさが違う。

昨年11月には、シューベルトを得意とするピアニストの川口成彦さんが、シューベルトと現代音楽を取り上げるコンサートに出演して、この曲を弾いたそうだ。川口さんはソウザンと表記していますね。


川口さんはFacebookの方でこの曲について、「何気ない日常の中のふとした心の揺らぎをしみじみと感じるような作品で、「生きている」こと、ただそれだけのことがひたすらに愛おしくなりました。今回弾いた現代作品をどちらもいつか日本でも演奏出来たら良いな、と思っています」と書いている。僕も、川口さんの言っていることがなんとなくわかる。何気ない日常の中の心の揺らぎ、生きていることそのものの愛おしさ……まさにサウザムがミニマル・ミュージックに見出した美学であろう。そしてそれは、シューベルトが見出した美学にも通じるのかもしれない。

ただ、僕は少し違う景色を見た。どういうわけか、僕はこういうピアノを聴くと、夏を思い浮かべる。日本の原風景のような、田舎の夏の景色を。青い空、白い雲、生い茂る緑、咲き誇る向日葵、湿った空気、そのうち蝉の声も聴こえてくるはずだ。人の姿は、今は見えないようだけど、ちょっと行くと虫取りの子どもとすれ違うだろう、あの駄菓子屋に着いたらアイスを買って……。
なぜだろう。少なくとも、僕が子どもの頃に過ごした田舎の夏では、そんなピアノの音が流れていることはなかったのは確かだ。当たり前だ、普通は外で突然ピアノの音が流れたりしない。そもそも、いくら田舎とはいえ「となりのトトロ」みたいな場所で過ごしてはいないし。これは何かによって作られたイメージなのかもしれない。夏を描いた映像作品かしら。やっぱりジブリか? いや、僕が大好きで何度も見ている夏のアニメ映画「蛍火の杜へ」のせいかもしれない、なんかね、そういうのっぽい気がするんだよね、音楽は吉森信さんの手によるもの。あと夏といえば「時をかける少女」も好きだからなあ、バッハのゴルトベルクが流れてて。うーん、久石譲かなって思ったりもしたけど。日本人に夏の音とはあのSummerのピアノの音であると刷り込ませちゃって。まったく! もちろん、作曲者の責任ではないんだけどね。


別にシューベルトのピアノ曲を聴いても夏を思い浮かべることはないのに「漠然としたシューベルト風の音」がそういう情景と結びついてしまい、自分でも「あちゃー」って感じである。この曲について調べていたら、コンサートで聴いたという評論家が「シャーベットの中のスープスプーンのように重たく場違いなピアノ曲」と言っていた。くだらんダジャレなのは置いとくとしても、いやはやまったく、人によって感想は異なるものだ。僕なんてシャーベットが食べたくなるような音楽だなと思ったというのに。皆さんもぜひ聴いていただいて、何を思い浮かべたか、あるいは思い浮かべなかったか、教えてください。今の日本の夏は、日常を淡々とこなしながらただ生きているだけで人間ってのは十分素晴らしいのだと感じられる、そんな危険な季節になっているので、サウザム/シューベルトで夏を想起するのも悪くはないと自分では思っている。でも僕の思い浮かべる夏景色は、多分、もう少し涼しい。

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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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