ショパン ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58
以前シューマンの謝肉祭についてブログに書いたときに、音楽を上手く演奏するのに人生経験が必要かどうか、というような話題に触れた。よく言われる「恋愛を知らないとショパンは弾けない」的なやつだ。そういう話題でいつも槍玉に上がりがちなのがショパンだということには、一つはオーケストラのような多人数ではなく個人が演奏する音楽であることと、そしてもう一つ、人生のあらゆる感情を描いているように思えてしまうショパンの音楽性、それも理由だろう。マーラーにとって交響曲が世界の全てを包含するものだとしたら、ショパンにとってピアノ音楽は人間の感情全てを包含するものと言えるかもしれない。
そういう意味では、ショパンのソナタは彼の他の小品に比べて多くのものを包含しているのは間違いない。だって長いんだもの……と、単純に作品の規模の話にしてしまうのはおかしいとしても、ショパンにとっては小品やそれを集めた◯◯集が彼の作品の中心で、いわば短編と短編集がメインと言える中で、数少ないソナタ作品は長編ないし中長編くらいの規模感ではある。決してベートーヴェンのピアノ作品のように「ソナタこそが中心であり本質である」だなんて、ショパンの場合は全く言えず、むしろショパン作品の中ではソナタは中心ではなく周辺に位置するものだとしても、相互関連性の少ない短編を集めた短編集とは違い一連の流れをもった長編を用意してくれたことに、ショパンのファンとしては感謝の気持ちでいっぱいだ。しかもその長編が短編を引き伸ばしたような冗長なものではなく、驚くほどに充実し、中身がギュウギュウに詰まっているのである。まるで人生の全てがこのソナタ1曲に詰まっているかのように。
ショパンのピアノ・ソナタ第3番をブログで書こうと思った理由は、ここ5年近くショパンの記事を書いていなかったからである。2020年12月にソナタ第2番について書いて以来。こちらも併せてご覧ください。
ソナタ第3番の楽曲解説を色々読むと、ときどき英国の音楽学者でショパン研究者のアーサー・ヘドリー(1905-1969)の言葉が引用される。僕の大好きな演奏の一つである、ニコライ・デミジェンコの1993年録音Hyperion盤のブックレットにも載っている。いわく「その4つの楽章には、今までピアノのために書かれた音楽の中でも屈指のものが収められている。色彩、優美さ、情熱、そして夢想――これらすべてが、自らの能力の頂点に至った作曲家の意のままに、ここにある」と。絶賛の言葉だ。もう少し前の部分から引用するとまた少し印象が違うので、ここに記しておこう。
ロ短調ソナタは作品35のような簡潔さを備えていない。その素晴らしい美しさにもかかわらず、第1楽章は主題の素材を詰め込み過ぎで、中には消化不良のものもある。叙情的なパッセージにおける見事な旋律の流れは、作曲家が目的に合わせてソナタ形式を改変した権利を認めるとしても、その他の場所の緊張感を完全に補いはしない。しかしながら、適合性と統一性の問題はさておき、このソナタにおいてショパンが一流のアイデアの豊かさにおいて自らを凌駕したことは誰もが認めるところだろう。その4つの楽章には、今までピアノのために書かれた音楽の中でも屈指のものが収められている。色彩、優美さ、情熱、そして夢想――これらすべてが、自らの能力の頂点に至った作曲家の意のままに、ここにある。
まさに、ここにロマン派ピアノ音楽の全てがある、あり過ぎるほどにある。偉大な研究者をもってしてもそう言わせるだけの音楽なのだ。
1844年作曲。ショパンのピアノの弟子でもあるド・ペルテュイ伯爵夫人に献呈された。第1楽章はAllegro maestoso、ショパンにしては意外なくらい「固さ」のある音楽で、シルキーでなめらかというよりは角の立った直線的な旋律である。詰め込み過ぎと言われるほどに詰まっているのはポリフォニックだからというのもあるだろうが、これはショパンがケルビーニの著書『対位法とフーガ講座』(1835年初版)を読んだ時期だからという指摘もある。
このmaestosoは「荘厳に」とか「威厳をもって」とか「堂々と」という意味の音楽用語であり、こういう概念を音楽で表現するのは本当に難しい。音楽というのは、一体どうしたらmaestosoになるのだろう。1楽章冒頭はフォルテで開始と指示がある。確かに、音は大きい方が威厳がある気もする一方で、Allegroと指示されているもののあまり速くない方がせかせかせずに堂々としているのではないか。あるいはルバートが少なく、きちっと弾くのがmaestosoなのか。第1主題を、高らかに何かを宣言するように歌う演奏もあれば、じっくり内側を見つめ紐解くように語る演奏もある。どんなmaestosoが表現されているかを聴くのは実に楽しい。再現部は第2主題からという変わった形式なので、この第1主題をどう聴かせるかはいっそう注目に値する。提示部の繰り返しもそうだ。お題目のように「作曲家の意図通り、楽譜通り」と唱えて考えなしに意味もわからずリピートするのと、第1主題の表現の意図があってリピートする/しないを選ぶのでは大違い。揺れ動く感情、自由な精神、あまりにも広く深く、多くのものを含んだ楽章である。
第2楽章はScherzo: Molto vivace、第1楽章とは対照的に、軽快で遊び心すら感じる楽章だ。ソナタ第2番のフィナーレの疾走はさっぱり意味がわからないが、こちらの疾走はわかる、これは紛れもないスケルツォ楽章である。1楽章は緊張感が大きいので、2楽章はある程度リラックスしている演奏の方が僕は好みである。もっとも、演奏するのは非常に高度な技術が求められるだろうが、聴き手にとってはここは極上の箸休めだ。
第3楽章はLargo、さながらノクターンのような緩徐楽章。さすが人生のいかなる時期にもノクターンを書き続けてきたショパンだけあって、こういうのは得意分野。長く静かな夜を過ごすのに相応しい音楽だ。ドビュッシーの月の光に劣らない、美しい夜。特に中間部はシューベルトの即興曲のような響きさえ彷彿とさせる。この楽章は単独でも十分に美しい曲だというのに、それをソナタの緩徐楽章として楽しめる利点は大きい。ピアノ協奏曲の緩徐楽章で親しいショパンのあの美しい緩徐楽章を、ピアノ・ソロで。なんと幸福な時間。ユリアンナ・アヴデーエワは3楽章について「メロディーは極めて純粋ですが、内に潜む暗い力が行進曲のような動きの中に置かれ、儚さの感覚と運命の受容を強めている――つまり作曲家が愛した世界への別れです。中間部の転調は、過去の最も大切な瞬間を再び訪れるかのようです。そして最後に再現部、それは最後の別れであり、永遠への視線なのです」と語っている。人生の幸福な時間を振り返るのにぴったりの音楽。
第4楽章Finale: Presto, non tanto、プレストだがやり過ぎずという丁寧な指示、それも納得、まさにロマン派ソナタの最後に求められている壮大なフィナーレそれそのもの。agitato(激しく)と指示された主題がロンド形式のように繰り返されて進み、繰り返すごとに左手の伴奏が激しくなり、力強さを増していく。勇ましい闘志、輝かしい勝利。ベートーヴェンが交響曲で人類の勝利を祝福したように、ショパンもまた人間の精神の戦いと勝利を祝している。当然、活力が漲り、熱狂的で緊張感もある演奏が多いが、意外にも軽やかだったり、冷淡とまで言うと違うかもしれないが静かに炎を燃やすような演奏だったり、様々な解釈があるのも興味深い。これはオーケストラで交響曲を演奏するときにはあまりないというか(冷淡なベートーヴェンの交響曲終楽章とかあんまりないよね)、ソロ演奏だからこその自由度かもしれない。
色彩豊富な1楽章、優美な2楽章、夢想する3楽章、情熱が迸る4楽章、とすればヘドリーの言葉を全て拾えるかしら。あるいはバラード、スケルツォ、ノクターン、再びバラードからなる4つの楽章と言う事もできなくはない。しかしショパンは過去のソナタ第2番よりいっそう古典的な形式に従っているため、ソナタ第3番は小品を寄せ集めた小品集という印象ではなく、歴としたソナタという長編であると、誰もが認めるところだ。
ヘドリーの言葉以外に解説等でよく見かけるのが、この作品が前向き、未来向きの音楽であるという旨の記述だ。デミジェンコのHyperion盤には「未来志向の作品」と書かれているし、先に挙げたアヴデーエワの解説でも、過去を再訪し最後の別れを告げ、そして儚さと運命に打ち克つと書かれている。最後が長調で華やかに終わるからなのもあるだろうが、伝統的な交響曲の理念に寄せた結果そのように受け止められることになったというのはさながら「温故知新」のよう。時代を遡ったからこそ未来を向けるのである。
確かにこのソナタには人生の全てが詰め込み過ぎなくらいに詰まっていて、鑑賞者として(あるいは演奏者として)それらに対して丁寧に、献身的な態度で向き合うには豊富な人生経験が役に立つはずだ。ただ、それだけではない。今はまだ経験していない、未来を向いたその視線の先にある「経験」をも包含する音楽であるショパンのピアノ・ソナタ第3番は、人生経験が浅くても前を向き真摯に挑もうとする人間を歓迎し、門戸を開いてくれるタイプの音楽だと思う。
僕は冒頭でテンポが揺れない演奏こそ、芯のあるブレない演奏で堂々たるmaestosoだと思っていたが、柔軟な呼吸を伴いニュアンスたっぷりに弾いても、それはそれでmaestosoに違いないと確信した演奏に出会うことができた。確信できた理由は、全体を通して聴いていくうちに「なるほどやはり冒頭はそういうものなのか」と納得させられたからだ。これが長編の楽しみでなくてなんと言おう。今は若者とも老人とも言えないアラフォーの僕にとって、このソナタに詰まっている色彩や優美さや夢想や情熱は、僕が大切にしてきた人生のあれこれと重なるものでもあり、また、これから重ねることができるかもしれないものでもあるのだ。
まだ若い人でも、経験豊富な玄人でも、どんな人でも受け入れてくれる。だから傑作なのだ。成人の日から少し遅れたけど、新成人の皆さんに送る文章として書き記しておこう。Twitterの方ではブリテンの「ピーター・グライムズ」を新成人の皆さんにぴったりだなんて、ちょっとふざけてしまったので、ブログでは真心のこもった文章をしたためたつもり!
【参考】
Hedley, A., The Master Musicians: Chopin, London Dent, 1974, pp. 158−159.
Author: funapee(Twitter)都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more









