フランセ 若い娘たちの5つの肖像
数多くのピアノ作品を残しているジャン・フランセだが、その中でも最もチャーミングで愛おしい作品が、1936年に作曲されたこの「若い娘たちの5つの肖像」(Cinq Portraits de Jeunes Filles)だろう。
フランセの巧みなピアニズムが光るこの小品は、フランセ自身の演奏も残っており、その小粋な演奏からあふれる出る魅力は計り知れない。全部合わせても10分ちょっとの曲だが、これもまた珠玉の名曲と言って良いだろう。
「若い娘たちの5つの肖像」とあり、第1曲“La Capricieuse”(気まぐれな)、第2曲“La Tendre”(柔和な)、第3曲“La Prétentieuse”(気取った)、第4曲“La Pensive”(物思いに耽った)、第5曲“La Moderne”(モダンな)の5つである。これが実際にに5人の女性をモデルにしたものか、あるいは5つの女性のパーソナリティを描いたものかは定かで無い。5人の異なった性格の女性を想像しながら聴いても良いし、一人の女性の持つその時々の異なる様子を思い浮かべても面白いかもしれない。女心と秋の空というやつだ。
イシドール・フィリップというなかなかダンディなピアニストに献呈されているが、音楽は女性的と言って間違いない。ここで言う女性的というのは、クララ・シューマンやタイユフェールの作風に見られるような嫋やかさではなく、「男性から見た女性」的ということである。
そういう意味では、フランセ本人やイシドール・フィリップを含め、男性ピアニストが弾くものの方が上手く音楽の本質を捉えた演奏になるのではないだろうか(そもそも作曲者の演奏が本質を捉えないというのもおかしな話だが……)。
ついては、このブログの著者である僕もまた男性であるので、そういう目線でこの曲を分析してみようと思う次第である。
第1曲はコロコロと感情を変える、最も典型的な「若い娘」の感情変化が表現された曲である。その現れるメロディーには、どれも若さゆえの活発さ、パワーがある。いわゆる「元気な娘」である。これに魅力を感じない訳がない。
第2曲は静謐な音楽だ。元気な第1曲と第3曲に挟まれて、聴いていてとても良い心地である。澄んだ瞳でこの曲を見つめれば、優しく赤子をあやす子守唄のような音楽に見えるだろう。もっと濁った目で見ると、妖しく敏感な夜をも想起させる。あるいは祈りか。僕は初めて聴いたとき、冒頭の旋律がショパンの華麗なる大円舞曲のcon animaの部分に似ていて、静かな音楽ながらもちょっとした動きを感じてしまった。
第3曲はなるほど、勿体ぶった音符の配置がいかにも気取って高貴な雰囲気だ。そして、僕はこの曲と、シューマンの謝肉祭のコケットが非常に似た空気を持っているようにも思う。シューマンのロマン派音楽と違って現代的な音楽であるがゆえに、この曲の貴族的なコケットリーは、シューマンのそれ以上に低俗的でセクシーである。
第4曲は物思いに耽る女性ということで、旋律はそれこそ女心そのものであると考えたい。色々な悩みや考え事が、ぐるぐると回って一人でにどこかへ歩き出してしまうような様子が描かれている。
第5曲は現代的とあるが、1936年のモダンである。自由の象徴のような人間像。今までの4曲の全てを含んでいるような、憧れの自由な女性。「ティファニーで朝食を」のホリーを想像しても良いかもしれない(ただし映画版)。きっと美人で人懐っこいに決っている。最後の最後に第1曲と同じフレーズで締めくくるというのも、なんとも示唆的だ。
この作品は、若い女性の肖像であるとともに、フランセが敬愛する祖国フランスの先輩作曲家たちの作風を真似しているという説もある。ストラヴィンスキーやラヴェル、プーランクはフランセが尊敬していた作曲家であるし、第1曲“La Capricieuse”はシャブリエへのオマージュであると取れる。そういう目線でこの曲を見てみるのも面白い(というか、その方がずっと真摯なアプローチである)が、男性諸君は色目で見た方が、音楽の楽しみもひとしおというものだ。
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都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more