ノーマン・レブレヒト氏のブログではよくクラシック音楽界の女性差別を取り上げており、面白そうな記事があればその都度(気が向いたときに)このブログでも取り上げ、「レブレヒトのウィーン・フィル「ニューイヤーコンサート」批判(前編)」、「レブレヒトのウィーン・フィル「ニューイヤーコンサート」批判(後編)」、「レブレヒトのウィーン・フィル批判 その後」と書いてみているが、またしても興味深い記事があったので紹介したい。“Yuri Temirkanov: I don’t like women conductors”という記事で、サンクトペテルブルク・フィルを率いて今年も来日予定の指揮者、ユーリ・テミルカーノフが女性指揮者が嫌いだと断言した件を取り上げている。
テミルカーノフという指揮者は幸い親日家で、来日公演も多く、その音楽性の素晴らしさは多くの日本人が知るところとなり、昨年には旭日中綬章を受章しているほどである。僕はとりわけ海外のネットラジオなどで彼の指揮する演奏を好んで聴くのだが、これがもう、ぐうの音も出ないような名演に出会うことが多々ある。アルヴィド・ヤンソンスの後を継いでレニングラード響を率い、ムラヴィンスキーの後を継いでレニングラード・フィルを率いた彼の実力は本物だと断言できる。1999年から2006年までボルティモア響の音楽監督を務め、今は名誉音楽監督となっているが、10年ぶりにボルティモア響を振るということでリハーサルをし、テミルカーノフもオケも手応え十分、リハの後に受けたインタビューでの当該の発言があり、ボルティモアの地元紙で大きく取り沙汰されている。その発言は次のようなものだ。(インタビュー全文はこちら)
(インタビュアー)数年前、あなたは女性は指揮をすべきではないと発言して、引き合いに出されていましたね。そして議論を呼び、反論もありました。一応確認したいのですが、楽壇における女性についての見解はいかがですか?
(テミルカーノフ)はい、女性が指揮者になることは可能です。彼女らが指揮をすることに異論はありません。しかし私は単に好きではないんです。女性がボクシングをしたりウエイトリフティングをしたり、もちろんそれは可能です。ただ単に、私はそういう姿を見るのが好きではないんです。これはただの、私の好みです。私たちは皆、異なる嗜好を持っています。例えば私は魚を食べません。
このテミルカーノフの言う「好み」という言葉は、芸術鑑賞における最大の便利屋であり、これを出されてはもう敵わないという最強の表現だと思っている。蓼食う虫も好き好き、他人の好みを笑うなというもので、さすがのレブレヒト氏もケチのつけようがない。まあ正直、テミルカーノフは上手いこと言ったなあと思う。嘘ではないだろうし。
ただ問題なのは、テミルカーノフの後を継いでボルティモア響の音楽監督を務めているマリン・オールソップは、米国のメジャー・オーケストラで初めての女性音楽監督に就任した、女性指揮者の中で今最も注目を浴びている人物であるということだ。昨年のClassical-music.comで、注目すべき女性指揮者11人を取り上げた際も、オールソップはそのトップバッターで紹介されている。プロムスのラスト・ナイトを振った女性初の指揮者でもあり、ブラームスの交響曲全集を録音した女性初の指揮者であり、伝説をどんどん作り上げている。その状況下で、久しぶりにボルティモアに来たテミルカーノフが、地元紙であるボルティモア・サン紙のインタビューでこの発言はいかがなものか。
しかしまあ気になるのは、レブレヒト氏が思ったほど騒いでいないことか。ウィーン・フィルのときのようにもっと糾弾するかと思いきや、さてはこの人も、女性指揮者を応援すると言いつつ、実は好みじゃなかったりして……。なんてことも思いつつ、それでもレブレヒト氏は、指揮者を目指す女性に(なんだか淡々とした感じで)アドバイスする記事を更新している。ダラス・オペラには女性指揮者のための音楽院が設立されるなど、先駆的で興味深い取り組みをするところも出てきているそうだ。女性の歌手や楽器奏者は増えて来ているし、そういう人たちが不当な扱いを受けるのは良くないことは確かだし、それらに対しては批判もしやすい。しかし、指揮者となるとどうだろう。まだ不当な扱いを受けているかどうか判断できる人数に達していないのが現状ではなかろうか。まだまだこの分野は未開拓の領域だ。果たしてなりたくてもなれないという女性が多いのか、それとも未だ指揮者になりたいという女性がそんなにいないのか。少なくとも今後すぐに女性指揮者人口が増えることはなさそうだし、テミルカーノフの意見に同意する人が多いのかもしれない。男性の看護師や保育士と同じようなものなのだろうか。男性のハープ奏者と同じなのだろうか。しばし静観するしかなさそうだが、レブレヒトのように、自分の好みについては沈黙し、応援するというスタンスは賢いのかもしれない。
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都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more