まずはこの、ふざけたタイトルに釣られて来た人、残念ながらこれは「なろう系」小説ではない。小説ですらない。ただのエッセイである。大体ね、気を引こうとするだけの強いタイトルで碌なものなんてないの。最近も、日本のクラシックがどうのこうのと、自分だけが知っている音楽界の危機みたいな、頭の悪そうな新書が話題になったけど、センセーショナル過ぎるタイトルで売ろうしてるだけの見るからに怪しい本を読む暇があったら、もっと他に読む価値のあるものが沢山ある。では、このブログのこの記事はそんな価値があるのかどうかというと、うーん、読む価値なし! まあお遊びの駄文なので。暇人か僕のファン以外は、真面目に書いた音楽の記事を読んでください。あとブラームスがアンチ・ワーグナーだったかどうかは知りません。ハンスリックの対立構造には組み込まれるだろうが、ブラームスが実際どう思っていたかは知らん。でもワーグナーはブラームスの交響曲を酷評している。
さて、ブログではあまり書いていないけど、実は結構オペラ好き。別にそんなに詳しくはないですよ、たまにTwitterで書いているくらいのものです。子どもたちも段々成長してきたので、色々と演奏会に行けるかなと思ってはいる、でもオペラは長いからまだちょっと敬遠気味だ。長いと休憩入れて5時間くらいかかるからね。やっぱり、突然子どもの体調不良とかで学校から呼び出しくらったりすることも(ほとんどないけど)考えると、演奏会のように決まった時間拘束されるものより、いつでも動ける美術館めぐりとかの方が心安らかに芸術鑑賞できるんだよね、融通がきいて。まあそんな訳で、仕方ないからオペラ鑑賞は動画がメインなんだけども、限られた時間で見るとなるとどうしても新しい作品を冒険するよりは自分の好きなものを優先させちゃう。僕は昔からイタリア・オペラ派でして、やっぱりワーグナーではなくてプッチーニを観ちゃうんだな。ワーグナーも嫌いじゃないけど、どうにもね、いまいち熱くなれない。素晴らしい音楽なのはわかるし、学生時代からワーグナーのDVDとかも色々観てきたつもりだし、音楽史的にも影響が大きいのもわかっているけど、今自分がワーグナーのオペラを好きかと言われると「そこそこ好き」くらいで止まってしまう。なぜなのか。その理由が何となくわかってきたので、書き記すことにしたのだ。
そもそもクラシックを聴き始めた頃から、ワーグナー、ブルックナー、マーラーはいまいち興味がなかった。クラシック音楽オタクの中でも「面倒なオタクが多そうな作曲家」といえば、この3人にショスタコーヴィチを加えて、あとは古典全般を忌み嫌う現代音楽オタクくらいだろう。面倒な、というか、排他的・攻撃的な感じの人が多い印象ね。長大な作品を好むオタクの中には、小品を下に見たり、なんかこう、偉そうな態度になる人がいるんですよ……まあ自分のことは棚に上げるけど。ともかく、僕は現代音楽(現代美術)に関しては、こう見えて結構好きで、色々と鑑賞する。その中での好き嫌いは割と激しいので、嫌いなものは余程でないと話題にすら出さないが、まあこれはちょっと別の話だね。ショスタコーヴィチはかなり早くから好きになったし、マーラーもまあまあ早い方だと思う。ブルックナーは開眼するまでちょっと時間がかかったということを最近ブログにも書いた。さてワーグナーはというと……僕はブラームスが好きだったので色んなシンフォニストを好きになるためのきっかけはあったと思うが、ワーグナーは交響曲を(一応)書かなかったから、そちらからアプローチすることもなく。また僕は早くからドビュッシーが大好きだったので、彼がワーグナー嫌いだったというエピソードを知ってしまい避けていたのもある。なんだ、僕がワーグナーを普通に観るように至るまで、どうも壁が多すぎたんだよな。好きなピアニストであるリヒテルがワーグナー好きでピアノ好きも聴きなさいと言っていたので、それで聴こうと思ったという「追い風」もあった訳だし、ワーグナーくらいの大物になると普通にクラオタやってると避けて通れないというのもあり、それなりの数は触れてきたとは思う。良いものは良い。好きな作品もある。でもいまだに熱狂できない。
話が変わるが、我が家では「ホワイトタイガー」が大変に愛されている。これは妻と子が初めて東武動物公園に行ってホワイトタイガーを見て、かわいいぬいぐるみ(パペット)を買って帰ってきてからというもの、すっかり家族全員に愛され、今や神格化されていると言ってもいい。家には沢山ぬいぐるみがあるが、このホワイトタイガーのが圧倒的に偉い。そうだな、ヴォータンくらい偉い。という状況が何年か続いており、先日、妻から「ホワイトタイガーが出るアニメがあるらしい……」と言われ、これは見るべきではないか、という話になった。そのアニメとは「異世界でもふもふなでなでするためにがんばってます。」というもので、検索すると確かにホワイトタイガーらしきものが出ている。ホワイトタイガーが出るアニメなんてレアなので、ちょっと我々夫婦はざわざわしていた。しかし僕は「異世界系か……」と躊躇してしまった。この「異世界系」というのか「なろう系」というのか、異世界に転生する話、非常に沢山の種類があるようだけど、僕は全くもって興味がないのだ。アイカツおじさんである僕はアニメも好きで色々見てきたけど、基本的には日常系が好み。SF、セカイ系なども見ることはあるが、この異世界転生ものだけは避けてきた。きっと見たら面白いのだろう。でも、スライムだとか勇者だとか何とかスキルで無双とか、マジで1ミリも惹かれない。身体が拒絶反応を示す。
異世界でもふもふなでなでするためにがんばってます。(コミック) : 1 (モンスターコミックスf)
高上優里子 (著), 向日葵 (著), 雀葵蘭 (著)
勇者、スライム、何とか王国で魔王がどうこう……ドラクエ的、と言えばいいんだろうか、RPG的かな、そういうものへの興味はすっかりなくなってしまった。子どもの頃は大好きだった。自分でもそんなストーリーを創って楽しんだりもしたし、ゲームもやった。ドラクエはさほどやらなかったが、ファイナルファンタジーは何作か楽しくやった。でも、あくまで僕の中ではそれは「子どもの頃の楽しい思い出」であり、今やりたい気持ちは一切ない。スーパーマリオRPGが再発されると知ってちょっと興奮したけど、昔やり込んだのは良い思い出で、今またやりたいとは思えない。ゲームに興味がなくなったのもそうだし、いわゆるゲーム的な異世界にも、もう興味ないんだよなあ。子どもの頃はあんなにワクワクした、冒険の世界。今はもう、ある程度現実がベースの物語でないとそこまでワクワクはできないんだよね。だから日常系アニメばっかり見てるのかもしれない。小説もそんな感じだが、これはまたちょっと違う。でも好みは変わっていくという点では共通している。いや待てよ、異世界を冒険する漫画でも、ワンピースは好きで今も読むわ(笑) でもワンピースだって、僕が小学生の頃に始まったわけだし、当時小学生の僕はワクワクして友達にゴムゴムのバズーカ撃った記憶があるけども、その頃から読んでいた漫画はほぼ全てが完結する中、ワンピースだけはたまたま、まだ続いているというだけでね。HUNTER×HUNTERもだけど……。
そんなことを思っていると、これは僕がワーグナー観ないでプッチーニばかり観ているのに繋がるのでは、と思いついた。ワーグナーが異世界転生でプッチーニが日常の恋バナだと言うのはちょっと暴論だけど……まあでも、どっちかって言えばそういう感じだよね。やれ騎士が、魔法が、神が何だかんだという話に今ひとつワクワクしないのだ。ワーグナーがドラクエ的だと言ったらワグネリアンには怒られるかもしれないが、アーサー王伝説的といえば怒られないかしら。そういう世界観にワクワクする時期に、僕はワーグナー作品に出会えなかった。これは結構、決定的だと思う。別にワーグナーが好きな人たちが皆そういう感じの世界観の物語が好きだからという理由だけでワーグナー観ているとはもちろん思わないけど、その辺の世界観の物語に惹かれる時期は僕の中にも確かにあって、そしてそれは過ぎ去ってしまった。そういう時期は、僕は中学生までだった。さっきも「良い思い出」という言葉を使ったが、実際どんなにそれが高尚な伝説や神話であろうと、僕にとっては良くも悪くも「思い出」で、つまり「子どもの頃好きだったやつ」という印象が付いて回る。実際はそうではないにしても、どうしても「子どもっぽい」という印象が、僕の中でなろう系と一緒にワーグナーの題材も拒んでいるのかもしれない。もし高校生ではなくて中学生の頃にワーグナーのリングを知ったら、どんなに興奮していただろう、そんなことも思ってしまった。高校に入ってからはゲーム自体もほとんどやらなくなって、代わりにこんな高校生活を送っていたので、そりゃワーグナーよりイタリア・オペラ寄りなのもまあ、自分でも納得ではある。そもそもファイナルファンタジーだって、一番やったのは8なんだよな、8はほぼ色恋モノだからな。これもいけなかったかな(笑)
もちろんワーグナー作品が子どもっぽいなんてことはないし、恋愛要素だってあるし、別に恋愛だからって必ずしも大人っぽいということもないでしょう。客観的にどうこうではなく、これは僕自身の、自分の中の成長の歴史において「子どもの世界」と「大人の世界」があり、そのどちらにカテゴライズされるかという話なのだ。この世界観の話だけで言えば、どうしたって「ニーベルングの指環」にハマれない自分はワーグナー向きではない。偉大さはそれなりに理解したつもりではあるが「真のワグネリアンでなければ理解など不可能」と指摘されたら、それはしゃあない、甘んじて受けよう。まあそんな不遜なことを言うワグネリアンなんていらっしゃらないですよねえ(白々しいかな?笑)。偉大かどうかはともかく、好き嫌いの話をすると、僕とは正反対に「イタリア・オペラはなぜそんなくだらない、どうしようもない色恋沙汰ばかりなのか」と嫌うワグネリアンはいてもおかしくない。これには反論などない。その通りだからだ。まあその、どうしようもない色恋沙汰で熱唱するのが人間だとも思っているしね。
それでも、たまに気が向いたらワーグナーも見たり聴いたりすることはある。ブルックナーのように突然ハマることだってまだあるかもしれない。なお、異世界もふもふなんとかというアニメは結局見てない。今回もまた新しい異世界に一歩踏み出すことはできず。何しろ現実世界が忙しいのでね。核家族でさ、子ども二人育てるのはさ、大変なんだよ……まあ、子育てが終わったら異世界に踏み出せるかもしれないな。その頃にはもう異世界転生ものは流行りを終えていそうだし、もしかするとワーグナーを観ようと思ってももうクラシック音楽が廃れているかもしれないし(何しろ日本のクラシック音楽は歪んでいるらしいからな!)、むしろ僕がポックリ逝って異世界に転生してしまうかもしれない。諸君、このブログの更新が止まったら、そういうことだと。ああ、ついにボクノオンガクさんも転生したんだな、異世界でオペラ鑑賞しまくって音楽評ブログ書いてるんだな、と思っていてください。もしそのブログを読みたい人がいたら、異世界に来た際はぜひ「転生したアンチ・ワーグナーのブラームス、異世界でオペラ無双~ヴェルディとプッチーニに期待されて困っています~」で検索してね。
Der Ring Des Nibelungen (Bonus Dvd)
Uta Priew (Alto), Bodo Brinkmann (Baritone), Richard Wagner (作曲), & 22 その他 形式: CD
日本のクラシック音楽は歪んでいる 12の批判的考察 (光文社新書 1290) 新書 – 2024/1/17
森本 恭正 (著)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more