ASIAN KUNG-FU GENERATIONの思い出、2004年の軋み歪む青い春の僕から

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思い出、としたのは、現在進行系ではなく過去の話をするからである。ASIAN KUNG-FU GENERATION、通称アジカンは、若かりし頃に好きだったバンドで、たくさんある好きだったバンドの中でも、特に好きだったバンドだと言える。さっきから好き「だった」好き「だった」と、まるで今は好きではないみたいな話しぶりだが、まあ確かに、別にそんなに好きではないかな。嫌いでもないけど。でも思い出深いというか、青春を彩ってくれたバンドであることは間違いない。今でも年に1回か2回は聴いたりする。ただ、今年は流行したアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」を見て、ちょっと懐かしくなって聴いたりしたし、以前アイカツ記事でも取り上げたブログ「朱莉TeenageRiot」さんの記事を読んだとき(昨年末かな)にも聴いた。ということで、ここらでひとつ、いい機会だしアジカンの思い出話を書いておこうと思った次第。全くの個人の思い出なので、人に何かを強く訴えるような内容ではない。単に、昔のことは記録しておかないと、もう大分忘れてしまうことが多くなってきたので、覚えているうちに書いておこうというだけの話。ただそれだけ。


「ぼっち・ざ・ろっく!」とその音楽についてご存知ない方は↑のMikikiさんの記事をどうぞ。

ループ&ループの少年

僕は高校まで新潟に住んでいた。高校は電車通学だったので、新潟駅はよく使ったものだ。今はもう新潟駅も新しくなったので無くなっちゃったかもしれないけど、当時の新潟駅には改札外の待合室があって、そこに大きなスクリーンがあり、地元の企業や大学や専門学校の紹介が流れたり、なぜか色んな音楽のPVが流れたりしていた。よくわからないけどスペースシャワーか何かだったのではないかな。新潟駅の本屋が僕にとって新しい文庫本との出会いの場であったのと同様に、家ではそうそう見られないPVを見ることのできる新潟駅の待合室は新しい音楽との出会いの場だった。都会の人にはわからないかもしれないが、本数の少ない田舎の電車は待つ時間も長いし、特に新潟は雪で遅延することも多々あったので、待合室でひたすら本を読んだり速読英単語を読んだり、MDウォークマンでクラシックや流行りの歌を聴いたり、時々そんなスクリーンでPVを見たりして過ごしたものだ。そこで見た、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「ループ&ループ」という曲のPVが、僕とアジカンとの出会いだった。


2004年のことだ。厳密には、多分「サイレン」のPVも見ていた記憶があるんだけど、多分そのときはまだ心揺さぶられることはなかったと思う。今は「サイレン」好きだけどね。当時高校生だった僕は、あの待合室のスクリーンで一体何度「ループ&ループ」のPVを見たことだろう。決して一目惚れのような、あるいは稲妻に打たれたような衝撃的な出会いではなかったが、あの不思議なPV、なぜかじっと見てしまうのだ。学ランを着た少年たちが登場し、青い机に座って音楽を聴いたり、箒などでバンドごっこをしたりしている。一応あれはアジカンのメンバーの少年時代のイメージである。その中で、ゴッチ役の少年、彼は当然メガネなんだけど、メガネで金ボタンの学ランを着てウォークマンを聴いているあの少年……それはまさに、スクリーンの前でPVを見ている当時の自分の姿そのものだった。いや、顔はそんなに似てないと思うけど、実際に僕の高校の制服は金ボタンの学ランで、僕もメガネかけていて、青のMDウォークマンを愛用していて、なんかあまりにも親近感が強かったのだ。それを何度も見て、聴いているうちに、段々と虜になっていった。

アジカンの「ファン」になる

「ループ&ループ」の発売日は2004年5月19日。気づけば当時出ていたCDは全て買っていて、MDに焼いて登下校で聴きまくり、また彼らの出るラジオ、MOTHER MUSIC RECORDSのOver Driveも聴くようになった。ラジオを録音する習慣はそこで初めてできた。そういう、一つのアーティストを追いかけたいと思ったのは彼らが初めての経験だった。また、自分の好きなアーティストの好きなアーティストを聴きたいという思いを抱いたのも、アジカンが初めてだったかもしれない。彼らがラジオでオススメするバンドを聴くようにもなった。クラシックを除けば、中学時代は流行の歌くらいしか知らず、高校になってから色々なポップスを聴くのも好きになったのだけど、もちろんJ-POPが中心で、あとは友人の影響もあり洋楽も聴いていたが、その中で自分が「ファン」だと言えるアーティストとなると数は限られる。多分アジカンは、自分ひとりで、つまり他の人の勧めや影響なしで「ファン」になった初めてのアーティストだったと思う。フジファブリックは弟の影響だし、TOKIOは父のCDを借りたのがきっかけだし、まあおもしろフラッシュがきっかけでバンプ好きになったのはカウントすべきかどうか……ともあれ、アジカンの音楽を楽しむのはもちろん、アジカンのファンであることを楽しむようになったのだ。


今はなき、ソニーミュージックのアジカンのページも欠かさずチェックしていたし、掲示板には何度か書き込んだこともある。という事実も、最近までほぼ忘却の彼方だったが、先日Twitterでアジカンの話題をしようと思い適当にGoogleで検索していたら、その掲示板の過去ログが残っていることを発見してしまった。一気に当時の状況や感情が蘇ってきた。なんて懐かしいんだろう。ああ、ああ、こんな感じだったなとしばらく眺めてみた。リンクはこちら。リンク先は2004年12月17日のもの。トップページからは入れないが、遡ることはできるし、URL直打ちすれば他の日付も見ることができる。さすがに自分が書き込んだときのハンネが何だったかは忘れてしまった。これ、たまにゴッチ自身も書き込んでたよね?記憶が曖昧だけど……。探せばあるかもしれない。

そうそう、こんなノリだった。


その日のラジオの話題や、新譜の話題はもちろん、地方在住の真面目な一高校生にとっては、ライブやイベントの話題などは羨ましくて指をくわえながら読んだものだ。といっても、こう見えて進学校に通う勉強第一の高校生だったので、自分がライブに行くという発想すらなかったが。この年は鋼の錬金術師でおなじみ、アジカンの出世作「リライト」が8月にリリースされ、バンドの知名度がグンと上がった。そして秋には「君の街まで」が出て(後半で語ります)、アルバム「ソルファ」がオリコン1位を獲る。「ソルファ」を買うのに合わせて、僕は初めてiPodを買った。本当に、今思えば高校時代は色々な日本のバンド、当時現役で活動していたバンドをiPodに入れて聴いたものだ。余談だが、ループ&ループの発売日はレミオロメンの「アカシア」の発売日でもあり、この曲も新潟駅で出会った音楽である。今は邦楽ロックにはさほど食指が動かないが、思い返せば良い時間だった。学校の最寄り駅のTSUTAYAにはめちゃくちゃお世話になったなあ、そのTSUTAYAももう無くなってしまったようだけど。「ソルファ」以降、1年近く新リリースはなかったが、それでも僕にとってアジカンは最も熱いバンドであり、「ファン」としての活動を楽しみ続けた。

ソルファ
ASIAN KUNG-FU GENERATION

やっぱ理系だね

高校時代は理数科で男子ばかりのクラスで過ごし、部活は吹奏楽部だったので放課後と土曜は女子ばっかりの音楽室で過ごした。ちなみに僕はパーカッションである。いつだったか、そのTSUTAYAでフルートの同級生とばったり会った。彼女は「へー、◯◯もバンドとか聴くんだ」と好奇の目で見ながら話かけてきた。どんなバンドが好きかという話になり、僕はアジカンとかが好きだという話をしたのを覚えている。「君繋ファイブエム」良いよねという話をした気がする。そして彼女に、「アジカンとか聴くんだ、やっぱ理系だね!」と言われたのも覚えている。そう、アジカンを聴くのは理系、そういうイメージが、2004年とか2005年とか、その当時の同級生たちの間に確かにあった。あとACIDMANね。名前だけじゃね?酸化空だからか?薬剤師なんだっけ。知らんけど。今思うと文学的だし文系だよね。まあ、アジカンも、なんで理系っぽいと言われていたかはよくわからないし、当時のゴッチの見た目が理系大学生みたいな雰囲気だったからかもしれないけど、でも、何となく、彼女にそう言われたことは、理数科の僕とアジカンは相性が良いのだと、だから僕がアジカンを好きでいていいのだという承認を与えられたような感覚で、どこか誇らしくもあった。同じ邦楽ロック好きとして、彼女とは友人になれた。ちなみにその彼女は、大学に進学したらバンドを始めて、ライブに誘われて見に行ったのを覚えている。ちょっと記憶が定かではないので曲まで覚えていないが(君の街までかな?)、確かアジカンのコピーをやったはずだ。

君繋ファイブエム
ASIAN KUNG-FU GENERATION

君の街まで飛べりゃいいのにな

ガラケー世代である。僕は中3で初めて携帯を買ってもらった。高校の青い春の思い出はガラケーとは切っても切れないものだ。それがどうアジカンと繋がるのか、ここから先は青臭いよ、吐き出す想いすべて、青に染めるよ、ふふふ……まあ読めたら読んでくれ。

2004年の春にアジカンのファンになった僕は、その夏、ある女の子に恋をした。夏休み、彼女はサッカー部か何部か忘れたけど運動部の男子に恋をして、打ち明けられなかったんだか告白して振られたんだか忘れたけど、とにかく、僕は夏休みに学校で彼女の恋愛相談に乗るという、今思うと最高に青春なイベントを謳歌していた。そういう高校時代を過ごしたので「ぼっち・ざ・ろっく!」を見ていてもぼっちちゃんには感情移入できなかったのだけど、まあそれはともかくとして、失恋で弱っている女の子の恋愛相談とか乗るとさ、なんか好きになっちゃうんだよね。僕、優しいし、ちゃんと人の話聞くし、理数科の割には理詰めではなく感情を受け取って共感するタイプだし。まあ、恋愛においては大体は「いい人」止まりなタイプではあったんだけどさ。恋愛相談なんてされて、自信なさそうに自己嫌悪している子を慰めたりとか励ましたりとかするじゃん? そうすると、優しいって褒められたり、僕声低いんで、声聞くと落ち着くとか言われたり、将来いいお父さんになりそうとか言われたり(当たったじゃん)、絶対いい彼女できるよって言われたりするんだよ、あれ、そういえば顔は褒められたことないな、おかしい。なんかさ、pillowsの「Funny Bunny」とかそういうの入れたCD-R焼いて渡したりとか、したよね。ううーん、香ばしい思い出! そんで、夏休みの終わりにはもう惚れちゃったんですよ。向こうもとりあえずは僕のこと良い友人だと思ってくれてる訳で、2学期始まっても授業中こっそりガラケーでメールしたりとかさ、大晦日の夜から年越しまで「今切ったらもう繋がらないね」とか言いながらガラケーで電話したりとかさ。今の子たちはLINEで無料だもんいいよね、めっちゃ携帯代かかって怒られたなあ……まあ、そういうの、したんすよ。楽しかったなあ。ガラケーの話ばかりでアジカンの話してないな、別にしなくてもいいか。いや、するか。


2004年9月23日、「君の街まで」が発売。キャッチーで、ちょっとメランコリックで、すごく好きな曲だ。この曲を恋愛ソングと捉える人は、どうかな、どのくらいいるだろうか。結構いるんじゃないか。「恋愛っぽいけど絶対恋愛がメインの歌ではない」って認識が一般的? ともかく、何かしらの思いを君の街まで届けるという歌だから、当然、恋愛に限った話ではないんだろうけど、当時の僕にとっては、他のどんな曲よりも心に刺さる恋の歌だった。実際に、彼女は学校の近くに住んでいて、僕は電車通学で結構遠かったし。僕の隣にいる、自信を失って冴えないと自分では思っている君も、いつかは、誰かを救う明日の羽になるかな……いや、もう、少なくとも僕を救う羽になってるんじゃないか。僕には君という羽があるはずだから、恋をして、胸が苦しくなるその切なさだけで、悲しみだけで、君の街まで飛べればいいのにな、いや、飛べりゃいいのにな。僕らは幸運なことにガラケー世代。思いはメールに乗せて簡単に君の街まで飛ばすことができる。「携帯アドレスは自己表現の場」なのはガラケー世代の常識だが、僕はすぐにアドレスをfly to your town@ezweb、みたいなのに変えた。これ、結構長いこと使っていたと思う。


ところで諸君、君の街までのCDジャケットを知ってるか。そう、朱鷺なんですよ、朱鷺。新潟の鳥、朱鷺。一説によると中村佑介氏はアジカンが新潟公演に行くのに合わせて朱鷺をデザインしたらしい。もうこんなの、運命じゃん。まあまあ、僕の思いが彼女の街まで届いたかどうかは別として、アジカンが歌ったその強い思いは、少なくとも新潟の田舎の僕の住む小さな街まで届いていた。僕を救う明日の羽になってくれた。これは事実だ。さて、この恋の結末が気になってみんな眠れないかもしれないけど、これは多分、ここに記録しなくても僕は忘れないと思うので、書くのはよそうかな。メールの返事に一喜一憂するような、楽しい秋だった。近付いた冬の足音に、街が鮮やかな色に染まって舞い踊る、そんな季節を過ごした。そして、新潟の冬はとても厳しいけれど、冬の雪原に茹だる炎天下、研ぎ澄まされる皮膚感覚、忘れられない冬を迎えたのであった。

君の街まで
ASIAN KUNG-FU GENERATION

Only In Dreams と Morning Light Falls on Me

アジカンのラジオをちゃんと毎週チェックしていたのだけど、今はもう正直ほとんど内容を覚えていない。上でも書いたように、MOTHER MUSIC RECORDSのOver Driveを聴いていた。録音して登下校で聴いたこともあったし、夜まで勉強して(※一応進学校の生徒なのです)、23時からリアルタイムで聴いたこともあった。ラジカセにイヤホンぶっ刺して、布団にもぐって寝る体制で聴いて、そのまま寝落ちしたこともよくあった。2005年の10月からはSCHOOL OF LOCK!に番組が変わり、それも聴いていた。Wikipedia見たら、喜多くんがギターでチャイムを弾いていたと書いてあるのを見て、そんなんだったなあと思い出した。懐かしい。この番組をいつまで聴いていたかあまり覚えていないけど、大学入って実家を出て一人暮らししてからも何回かは聴いたような記憶もあるけど、うーん、忘れたわ。そんな中でよく覚えているのが、WeezerのOnly In Dreamsを流した回だ。こういう曲です↓


多分、MOTHER MUSIC RECORDSの方の最終回で、2005年9月だと思う。すでにWeezerは聴いていたし、高校時代はよくWeezerの歌詞を辞書を引き引き日本語訳するのが楽しくて仕方なかったし(それはWeezerだけじゃないけどね。Say It Ain’t Soの日本語訳に関する記事もどうぞ)、高校の頃はカラオケでもWeezerを歌ったものだ。Say It Ain’t Soはもちろん、Only In Dreams、My Name is Jonas、Buddy Holly、Across The Sea、Pink Triangleなどなど。理解のある友人のおかげで各々好きな歌を歌えるカラオケも何度も楽しめたし、知らん洋楽を歌っても何も問題なかった、ああ、JAM Projectを熱唱するAくんにコーラスを頼まれて練習したりもしたな、あいつ、元気かな。アジカンのおかげでWeezerを好きなったのか、それとも別の洋楽好きな友人に勧められたからだったか、もうその辺は忘れちゃったけど、Weezerは好きでたくさん聴いていたにもかかわらず、あの、深夜のラジオで聴いたOnly In Dreamsは、よく覚えている。あれは番組をリアルタイムで聴いていたときだ。布団にもぐって、ラジカセにぶっ刺したイヤホンで……夢の中だけ、夢の中でだけ、捕まえることができる。起きてしまうと全て消えてしまうんだ……。


高校時代に、このような聴き方で、この音楽を聴く経験ができたことは、今思うと非常に大きいものだ。今の自分と、当時の僕にとってでは、深夜のラジオで聴く音楽は意味合いが全く違う。ぼっちちゃんほどではないにしても、負っていた「孤独」が今と昔では全然違うからね。今はもう感じ得ない、本当に一人の、個人の世界で、音楽と一体になるようなあの感覚。ところで、SCHOOL OF LOCK!ってまだやってるの?もう終わったの? その辺は全く知らないけど、あれはいつだったかな、もう子ども生まれてからだから、数年前だと思うんだけど、たまたま車のラジオで番組聴いたわ。沖縄に行ったときで、レンタカーで夜ホテルに向かっていたときに、適当に流していたラジオから知らない邦楽ロックの曲が流れてきて、へーと思って聴いていたら、その番組がSCHOOL OF LOCK!だとわかり、途端に僕は高校の頃の熱いロック魂を思い出した。残念なことに、もう深夜になってラジオの前で鼻息荒くロックを聴く少年ではなくなってしまったし、そのときに僕が思ったのは、正直に言うとこうだ。「よくわからん曲だけど、きっとこの流れた曲も、今の中高生たちにとっては、もしかすると人生を変える曲になるんだろうなあ」とね。なんだか、達観した感想だけど、でも本音なんだよな。これでも「僕は永遠の17歳です」とか言ったりするんだけど、実際はね。転がりながらも、こうして大人になってしまったんだ。深い夜の、夢の中だけで彼女を捕まえるようなそんな時間はとうに過ぎ去り、僕に朝が降る。知っているか、そこの深夜ラジオを聴くロック少年よ、小学生の子どもがいる親の朝は早いんだぜ。

Weezer
ウィーザー

転がる岩、君に朝が降る
ASIAN KUNG-FU GENERATION

さよならアジアンカンフウジェネレイション

アジカンに熱狂していたのは2008年の「サーフ ブンガク カマクラ」が最後で、以降はもう、全てのCDを手放してしまった。理由は別に、これといったものはない。単に飽きてきたというのもあるし、2008年は僕がこのブログ、クラシック音楽ブログを始めた年でもあるように、クラシック音楽への熱がいっそう強くなってきたから、というのはある。大学生になってさらに新しい分野の音楽も開拓するようになって、趣味が変わったのもあるし、自分も音楽活動もするようになったし、そういう色々な変化のせいだろう。2006年に森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」が出て、中村佑介氏の知名度もグッと高まったおかげで、部屋にアジカンのCDを並べておくと「あ、夜は短し歩けよ乙女のイラストの人ですよね!」という話題で女の子と仲良くできるというのも、もう大学時代に何度も経験して、一通りやり尽くした感があるので、HDDに音楽入れておけばもうCDも全部いらないなと判断して、全部売ったのだった。こうやって書くと、何ともつまらない人間になってしまったものだ。


少し概観しよう。「ファンクラブ」は名盤で熱狂したし、高校の頃から松本大洋作品は大好きだったので『鉄コン筋クリート』とのタイアップも嬉しかった。自分がドラムをやるようになってから、伊地知潔がどんどんドラム上手くなっていくのがわかるようになって、そういう意味でも聴いていくのは面白かった。「転がる岩、君に朝が降る」は傑作だったが、個人的には「ワールド ワールド ワールド」が響かなかったのが大きい。ジャケットはナイスバニーだけど、ファもないし。冗談はさておき、このアルバムは、今になって分析すると、自分にとっては修行的な聴き込みとか、外圧(何か理由があり聴きまくらなければならない状況)がないと好きになれないタイプだったのだと思う。そういうアルバムってあるじゃんね。たまたま、僕の音楽世界が大きく広がっていく初期のようなタイミングで、それに当たってしまったなあと、思い返せばそんな感じ。このアルバムを何度も繰り返し聴こうと思う余裕はなかった。それでも「サーフ ブンガク カマクラ」は大好き。彼らのシリアスな音楽がつまらないと感じ始めてきた頃に、彼らのユーモアを味わえたことは幸いだった。Beach Boys好きだったのもあるけど、こういうの、今でも好きだわ。

サーフ ブンガク カマクラ
ASIAN KUNG-FU GENERATION


結局一度もライブに行くこともなく、アジカン熱は冷めてしまった。その頃の自分には、それは必然だったけれども、今になっては惜しいことをしたとも思っている。「青春時代からずっと追いかけて聴き続けているバンド」という、なんか良さげなものを失ってしまった。このポジションで残っているのはフジファブリックだけになった。TOKIOもあんなことになったし。あ、フジファブリックについての短いエッセイもあるので読んでください。現役でも過去のレジェンドでも、いわゆる日本の「本当に凄いと言われているロック」――RCサクセション、フィッシュマンズ、ゆらゆら帝国、はっぴぃえんど、フリッパーズギター、サディスティック・ミカ・バンドなどなど、他にも何でもあるけど――そういうものを聴くのに奔走した結果、確かに素晴らしいホンモノの音楽に触れることができた。だが、それが何だというのだろう。僕はもしかして、もっと大事なものを、えらく気軽に捨ててしまったのかもしれない。


アジカンは僕にとって「過去」である。同時に、バンド活動もまた、僕には「過去」であって、そういう意味で「バンドマン」ではないけれども「バンド経験者」として見る「ぼっち・ざ・ろっく!」は面白かった。まあ僕は下北沢に何の思い入れもないし、高校でバンドやったことはなくて大学~社会人でしか経験はなく、しかも一つのバンドを長期で続けたのは、大学院時代から社会人になって子どもが生まれた頃までの話。そのバンドでライブをするときに、いつのライブだったか忘れたけど、フライヤーに僕が書いたエッセイを載せた。偉そうに、音楽を継続することの意味と、それが成し得るものについて書いたのだった。イタリアの指揮者リッカルド・ムーティの言葉を引用し、「音楽祭は、続けることが、一番大切。どんな世界的な音楽祭だって、なんども中止になりそうな苦しい時期があって、それを乗り越えたから、現在がある」と、アマチュアのバンドの主催するライブだって同じだ、続けることこそが一番大切なのだ、と。そんな風に息巻いたバンドでさえ、初めにやめる(厳密には休止ではあるが)と言い出したのは、他ならぬ僕自身なのだ。子ども生まれて継続が困難になったのが理由で、その後も他のメンバーもパパになっていったので、別に僕のせいで崩壊したとか、そういうのではないけどね。


今からでも遅くないよ、いつでもまたアジカンを聴いたり、またバンドやったらいいよ、音楽はいつでも開かれているよ……という話ではない。そんなことは僕だってわかっている。単に今のアジカンは自分の聴きたい音楽だとは思わないし、子どもとの時間よりバンド活動をしたいと思わないという、ただそれだけの話。今はそう、何かを捨てて何かを得てきた過去があって、現在がある。いつか突然また、アジカンを聴きたくなるかもしれない。それはわからない未来の話。僕がここで書いたのは、僕が大切にしたいなと思った、過去の話。ブログにはそうやって、軋んだ想いを吐き出したいんですよ。存在の証明が他にないから。(了)

ファンクラブ
ASIAN KUNG-FU GENERATION


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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