アイカツ10周年記念に書き残しておきたいこと~「未来へのSTARWAY」といちご世代アイカツに関する3つの交響的エッセイ

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まえがき

アイカツ10周年記念エッセイ第3弾。前回も言ったけど、スターズで1つ、あかり世代で1つ、そしていちご世代で1つの3部構成にしようと思っていて、この第3弾いちご世代編は1月の映画を見てから、なおかつ2月のLiveファイナルを見る前に書こうと考えていた。ということで、映画「アイカツ!10thSTORY未来へのSTARWAY」のネタバレ含みますのでご了承ください。過去の2つの記事は↓です。


いちご世代、何を書こうか、ぼんやり考え中でまとまっていない段階で映画を見てしまい、このままだと映画の感想しか書くことなくなってしまうのでは……というくらい、衝撃的な映画体験だった。特盛パンフの記事や、Twitterで様々に語られる感想を見て、僕もうんうんと頷いたり、そうだったのか!と驚いたり。こういうのも楽しい。いつも通り、ついつい文章が長くなりがちな僕だけども、それでも何もかもを書くのは無理そうなので、まず初めに、最も大切なことだけは書いておきたい。「霧矢あおい(22)のミディアムヘアが可愛かった」と。

僕のアイカツ楽曲レビュー記事を読んでくださっている方は霧矢推しだとご存知かもしれない。推しが、一番好きな髪型して出てきたら、もう十分っすわ。成仏できます。あざす。タイミングが合ったので「穏やかじゃない生誕祭」にも行った。1月31日は、クラシック音楽の作曲家の中でもかなり好きな作曲家、シューベルトの誕生日でもある。ロサンゼルス・フィルのシューベルト聴こうね、あおいちゃん。

随想1.「アイカツは人生」なのか


「アイカツは人生」。声優/歌手の方たちのインタビューなどでも、今の自分を作った作品という意味で感謝と共に語られるし、フアンにとっても、10年も心血を注ぎ、時間とお金を費やし、四六時中アイカツのことばかり考えていれば、それはもはや人生の多くを占める存在だと言える。僕はスターズから入ったので10年ではないし、他の趣味もあるので一辺倒ではないにせよ、それでも人生の多くを捧げているとは思う。そういう意味に加えて、「人生を支え、彩りを添え、生きる力を与えてくれる」作品である、というのもある。映画の特盛パンフの監督&脚本家インタビューで、元々TVシリーズは昭和スポ根風アニメを予定していたものが3.11を受け、傷ついた人に勇気を与えられるアニメにしようと決めた、という話があったが、まさにそんな作品だと思う。そういう意味の話については、先にリンク貼ったスターズの方の記事も読んでください。


今書いたようなこととはまた、少し違った意味の「アイカツは人生」について書きたい。うまくまとまるかは不明だが、書き残しておこう。


少し遡り、2022年夏、プラネットと同時上映(未来へのSTARWAY第1話)を見たときに僕が思ったことは、「アイカツ、ついに積極的にフアンと物語を共有し、人生を共有しに来たか……」である。いちごが言う、「次会うのが楽しみになるアイドル」というコンセプトは、それ自体はごく普通なものだが、この一言にどれほどの意味を持たせたか、劇場で心臓を刺されたような衝撃で、唸ってしまった。物語上はソレイユ休止&再開も含む、いちご自身の人生の決意である。それがそのまま、見ているフアンの人生にもシェアされ、僕らが「いちごちゃんに」「ソレイユに」「続編映画に」、そして「アイカツ!」というアニメ作品に、次会うのが楽しみなった。アニメのキャラクターがスクリーンから飛び出してリアライズされたかのように、いちごの人生は僕らの人生に重なり、キャラクターとスタッフとフアンと、皆が同じ思いを抱き、今この瞬間から人生の一部を共有したのだと、そう思った。例えば良い音楽のライブって、ミュージシャンと観客とで場を共有することがあるけれど、今回は場だけでなく時間(未来)も共有しているので、「人生を共に歩んでいる」という実感は非常に大きい。1月の映画公開まで、良い数ヶ月を過ごした。


映画序盤であおいといちごの会話で出される「きっとアイドルじゃなくても、友達のままだけど自分の未来を考える、ということはある」「それが大人になるということなのかな」という話題のおかげで、この映画は「アイドルじゃない」僕らにもしっかりと目を向けているのだと、多くのフアンは感じただろう。1月公開の続編は、メインターゲットはリアルタイムでアイカツを見ていた子たち、10年経って人生の岐路に立つようになった大人、ということもよく伝わる。この眠る前の二人の会話は、そんななりたての大人たちへの問いかけであると同時に、僕らフアンと「アイカツ!」という作品の別れをも示唆させた。友達のままだけど今は別々になる、「アイカツ!」との別れがあるとしても、「それでも絶対に大丈夫なんだ」と、映画中に繰り返し繰り返し励まされる。こんな体験、普通にアニメや映画を見ていても、できるものではない。今までで初めての感覚だった。なぜ大丈夫なのか、それは「ここまでは来られた」から。過去が今を支える、いちごたちは今までアイカツを頑張ってきたから現在のポジションまで来たし、見ている僕らも何かしら頑張って生きてきてここまでは来られた。そして全ての人が思ったはずだ、「アイカツ!」という作品も、10年、ここまでは来られた、と。「アイカツ!」という作品の未来がどうなるかは誰にも、マジで本当に誰にも、会社の偉い人にも、現場で作る人にも好きで見る人にも、今はわからない。わかることは一つ、「アイカツ!」の未来を作るのは今の「アイカツ!」、すなわち、人生を共有したアイカツを愛する全ての人たちなのだ、ということ。


蘭が正面を向いて部屋で稽古する言葉も、終盤のいちごの言葉も、決定的なものとして僕らに降り注いだ。いちごが言う「このライブを最高のものにして、楽しかったと思ってもらえれば、きっと次会うときまでみんな頑張れる」は、むしろストーリー上の必要性以上に、僕ら映画を見ているフアンへのメッセージの方が強いのではないかと思わざるをえなかった。この「未来へのSTARWAY」を最高の映画にする、そして満足して、日常の嫌なことも忘れてもらえれば、きっと次に「アイカツ!」に会うときまで、みんな自分の人生を頑張れるんじゃないか、と。そんな思いが伝わってきた。いちごが「君」という言葉を使う度に、他の誰でもない自分に向けて話しているのだと感じられた。いわゆる「いちごちゃんの言葉に励まされました」という感想とは、なんかちょっと違って、もちろんそれも大いにあるんだけど、キャラクターの台詞の中身や言動といったもの以上のもの……この物語そのものが、僕らの人生と確かにリンクしているのだ。


「ストーリー上の意味」と「現実の人々にとっての意味」のダブルミーニング的なものを「人生の共有」と呼ぶのが正しいかどうかは知らないけど、僕はなんというか、自分がアイカツの世界にいるような、あるいは自分の世界にいちごちゃんたちがいるような、そんな感覚になったので、そう呼ぶことにした。これは微妙な話だが、いちごたちが「アイカツ!」の象徴としてメタな話をしている、というような解釈は、ちょっと違うかなと、ね。映画制作のメソッドとしてはそうなのかもしれないが、クラシック音楽で言うところの真のヴィルトゥオーゾがその技術によって技術の存在を消し本質を顕にするのと同様に、愛を込めて作られた「未来へのSTARWAY」は、「アイカツは人生」を実現したと、そう解釈している。


各キャラクターの魅力もよく出ていて、ディテールも凝っていて、そして何より音楽の良さとその使い所の良さが申し分なく発揮されていて、本当に最高の映画だった。「MY STARWAY」の後半と映像とのリンクは凄まじく、息をするのも忘れるほどの感動が押し寄せてきた。ラストのあのフレーズ、思い出すだけで胸が締め付けられる。また「アイカツ!」に会える日が来るまで頑張って生きようと思った。僕は元来、何事にも頑張らないをモットーに生きているような人間だけど、頑張らないなりに頑張って生きていないと、20周年祝えないから生きよう、と思うようにはなった。僕はマジで人生そんなに頑張らないし、しかもそんなに前向きな人間でもないので、すぐに過去の温かい思い出(すなわちBlu-ray BOXとも言う)の世界に帰ってしまうけど、それさえも肯定してくれる「氷の森」は、あの美しい映像と相まって、完璧なエンディングを成していた。氷だから、もしかすると僕の熱いアイドルカツドウへの情熱で解かすことができる日が来るかもしれない、それまで僕の人生を、いや皆のいる人生を、生きていようと思う。霧矢あおい(32)を見るまで死ねないだろ!

随想2.Yesterday’sと未来へのSTARWAY


なんかちょっと、真面目に書いてしまった。まじめにふまじめをモットーに生きている僕も、さすがに、あの映画見てふざけて書くのは、できないですね。ここからはダラダラと、しかしいつも通り本音を書きたい。


映画だけでなくTVシリーズからずっとそうだが、アイカツらしさの1つはセルフプロデュース、もう少し言うと「自己実現の肯定」だと思っている。アイカツの音楽もそう。自分と、自分の未来を前向きに考え、肯定しながら生きていくこと。簡単なようで、難しい。これからの世の中、ますます難しくなっていくんじゃないかと、そう思ったりもする。そんな時代でも、なんとか前を向いて生きていくしかない。


アイドルに全く興味が無かった僕が、アイカツ以外で唯一、アイドルとして好きだったのがTOKIOというアイドルグループである。アイドルというよりバンドとして好きだった、が正確かもしれないけど。バンドとして好きだったので、アイドルとしての活動も応援していた、というのがより近いかな。以前アジカンの記事でも書いたが、J-POPのバンドの中で僕が特別な思いを抱いているのが、ASIAN KUNG-FU GENERATIONと、フジファブリックと、そしてTOKIOである。いつか機会があればTOKIOの話を、と思っていたが、ここで少し書きたい。というのは、映画を見て、何となくTOKIOのYesterday’sという歌を思い出したからだ。ベスト盤(↓)の収録曲を選ぶファンの人気ランキングで、シングルを除くアルバム&カップリング曲としてはファン人気1位の曲である。

HEART
TOKIO (アーティスト), 飯岡隆志 (その他), 中島みゆき (その他), 城島茂 (その他), & 7 その他


辛いことがあったり、自己嫌悪に陥ったりしてしまうときに「激しい雨が降った後にきれいな花が咲く あきらめたりしない 届くはずさ想いは そしていっそ昨日までの自分を捨て去ろう」と、ストレートに応援してくれる、良い歌だ。「未来へのSTARWAY」では、過去の自分が今の自分を応援してくれるという話なので、「昨日までの自分を捨て去ろう」は方向性が違うんじゃない? と言われちゃうかもしれないけど、実はそうでもないというか。この曲のDメロ(Cメロとも言うが)の歌詞が肝なのだ。

遠くない近くない捉えずらいホントにいつもやっかいもんは自分
それでも向き合って生きていかなきゃダメさ
だから『昨日までの自分を捨て去ろう』って唄おう
いつかはどんな部分(ところ)も愛せる気がするよ
何が起こっても構わない荒波に打たれても
僕は信じている最終形の自分を


僕らは、何事にも頑張ってきたいちごたちが「過去の頑張りが今の自分を支え、今の自分はきっと未来の自分を支えるんだ」と気づけるのは至極当然だと思える。なんせ178話も彼女らの人生の頑張りを見てきたから。たとえアニメ本編がどんな内容のときでも、いちご世代は「ヒラリ/ヒトリ/キラリ」のエンディングで毎回毎回、本当に気持ちのいい切磋琢磨をしてきたんだなと、そう刷り込まれているから。あのレッスンの映像もそうだし、歌詞もそうだ。自分をあまやかさず、表と裏でだましたりせず、ずっと努力をしてずっと泣いて、あふれた今日の涙の記憶がきっとあすの味方になる……そう確信できるのだ。しかし、アニメはアニメ、現実はそんなに綺麗ではない。自分をあまやかすことは数え切れず、表と裏でだましだまされ、大した努力もせずダラダラ生きてきた僕のような人間が、どうして過去の自分を愛し、未来の自分を味方してくれるなんて思えようか。TOKIOのYesterday’sは、サビで高らかに「昨日までの自分を捨て去ろう」と歌うんだけど、本音は上の引用した部分の歌詞。自分のことが好きではない人、特に過去の自分を恨んだり悔やんだりしている人だって多い。過去を捨て去るなんて簡単にできない、だって努力した人もそうでない人も等しく、今の自分を作っているのは過去の自分だから。突然それをなかったことにはできない。本当は、今までの自分は良かったのか悪かったのか、それすらもよくわからない、「自分」はやっかいなもの。しかし、それでも向き合うしかない。だから、たとえ過去を捨て去れないとしても口では「昨日までの自分を捨て去ろう」と唄うんだ。そう唄っていれば、過去のせいで自分のことが嫌いで仕方ないような人でも、今の自分をしっかり見つめられるだろう? いつかは自分を愛せるように。未来の最終形の自分を信じたい。と、これが本音なんだと思っている。

アイドルでもないしちっとも頑張ってもないダメ人間な僕も、いちごちゃんたちと同じように「こんな自分でも、何とかここまでは来られた、今の自分を見つめてみて、さあ、これからは!」と、感じてもいいかな、なんてね。Yesterday’sはタイトルも過去だし、どちらかというと人生上手く行かないことが多く、辛い過去を持ちながら生きてきた人のための歌って感じで、映画のテーマとは対照的なようにも見えるけど、重なるところもあるというか、見据えているところは同じというか。他の部分の歌詞も、アイカツのフアン的には結構グッとくるところがある。もう1箇所だけ、Yesterday’sの歌詞を引用したい。

結果だけにしがみついていたよずっと
プロセスなんか馬鹿らしく思えて
満ち欠ける月のけなげな微笑み
日はまた昇るきっと目に前にほら


「未来へのSTARWAY」というタイトルが良い。未来のSTARLIGHT、がタイトルではないのだ。未来のSTARLIGHTのための、未来へのSTARWAY、ゴールではなく道のりで、結果ではなくプロセスで、そのプロセスもまた輝く星のよう。MY STARWAYの最後の歌詞も、ね。まあまあ、とにかくアイカツのオタクもYesterday’sを聴いてみてくださいよ、霧矢あおい(22)の両耳のピアスのことを思い出しながら。やばいでしょ、この歌詞。つい口ずさんでしまうね、満ち欠ける月のけなげな微笑み、日はまた昇る、きっと目の前に、ほら!

随想3.あなたにとってアイカツとは?――SHINING LINE*


ということで、TOKIOのYesterday’sも、ここで挙げるのに良いなと思った次第。そりゃもちろん、MY STARWAYこそが、この映画の音楽の核心であるのは言うまでもないけどね。MY STARWAYはちゃんとCD出て聴いてから、アイカツ楽曲記事の方に書きたいと思います。長年TOKIOの音楽のファンだった僕から、こんな曲を思い出したんですよ、と書いてみたかっただけです。


素晴らしい音楽は沢山あって、僕もまだまだ知らない世界ばかり。それでも、自分の知っている素晴らしい音楽については、書いてその魅力を伝えたい。TOKIOは農家、じゃなくてアイドルとしてだけでなくミュージシャンとして良いよと、これからもどんどんアピールしていこうと思っていたのに、とんでもない不届き者を出してしまって、今後の音楽活動は白紙、過去の曲ももう、あまり振り返られることもないのだろう。ジャニーズはサブスクにもないしね。残念なことだ。僕自身、ショックでTOKIOの音楽はしばらく聴けなかった。また聴けるようになるまで4年くらいかかった。そういえばアイカツの音楽界にもけしからん不届き者がいたな。あの曲も、あの曲も、どうなってしまうのか。アイカツはそれこそ10年の年の功、曲数の多さで10thアニバーサリーのライブを乗り越えてきているが、もう音楽的な未来が潰えたアニメ作品も中にはあったろう。


暗い話になってしまった。ただ、過去を乗り越えなければ未来はないだろう。「ここまでは来られた」という言葉が重くのしかかる。こういう話題には「音楽に罪はあるのか、罪はないのか」とか「販売/配信停止は必要か不要か」という議論がつきまとう。とても大切な議論だと思う。僕にも持論はあり、それは然るべきところでするとして、「音楽は人の心に影響を与えるものだ」ということを、今一度噛み締めたい。多かれ少なかれ、良くも悪くも、人の心を震わせ、何かを思い出させ、何かを決意させる。音楽は時間の芸術で、今その瞬間にしかない。その聴いている瞬間と、過去と、未来を繋ぐものである。


映画を見てもそうだし、僕もせっせとアイカツ楽曲レビュー記事を書いているのもそうだけど、つくづくアイカツは音楽アニメだなあと、強く思う。音楽が全てではないが、音楽がなければアイカツではない。多くのフアンが様々な面でそう感じていると思うが、僕はこの10周年の記念年で言えば、やはり2022年8月に「サントリーホールでオケカツをやった」ということに、音楽への真摯さを感じずにはいられない。色々なアニメやゲーム音楽のオーケストラコンサートが開かれる昨今、アリーナに椅子を並べてオーケストラコンサートをしたアニメもあったと聞く。それはあんまりだと、クラシック音楽ファンとしては思う。今日はオーケストラだからちょっと豪華な気分、とか、やっぱりオーケストラは特別な空間、とか、そんな風に思えなくなるようなオーケストラコンサートではやりきれない。でもオケカツは、やっぱりオーケストラはすごい!アイカツの音楽はすごい!と思わせてくれた。もちろんホールのおかげだけではないけどね。かつてクラシック音楽の殿堂カーネギーホールで初めてジャズのコンサートをやったベニー・グッドマンのように、日本のクラシック音楽の殿堂的なホールであるサントリーホールでアイカツの音楽をやったことには、とても大きな意味があったと思う。ちょっと調べたのだが、サントリーホールでオーケストラコンサートをやったアニメは、2018年に「銀河鉄道999」、2022年9月に「ONE PIECE」、2022年10月に「のだめカンタービレ」、ゲームなら2014年にFF7、2022年にドラクエがやっている。銀河鉄道999は松本零士生誕80周年、ONE PIECEは田中公平の活動40周年記念、そして日本で最も有名なクラシック音楽アニメ「のだめカンタービレ」の連載20年記念、そういう次元に放送10周年の「アイカツ!」がいるという事実は、クラシック音楽オタクとアイカツのフアンを兼任する僕には、とても喜ばしいことだった。


オケカツの話もそうだけど、僕は自分の感動したことを書き残し、誰か一人でもいい、それを読んで、その音楽に触れて、感動してくれる人がいたらいいなと思い、ブログをやっている。「音楽の感想は言葉にすると陳腐になる」と言う人もいる。「専門的な知識がないのに評論家ぶるな」と言う人もいる。トンチンカンな感想だとか推しを悪く言うなとか◯◯を褒めるなんてセンスが悪いとか、これだからオタクは嫌われるんだとか、愛とか真実とか精神とか宗教じみた言葉ばかり使って客観性がないとか、まあとにかく音楽について何か口にすればすぐイチャモンを付けてくる人は確かにいる。これはもう、しょうがないことなんですよね。そんな奴らも全部含めて「らぶゆー」で「オケオケオッケー」だからな。


今年で「ボクノオンガク」は15年め、なぜブログをやっているのかと問われたら「書きたいから」しかないんだけど、せっかくだからきっかけだけ話そう。当時貧乏ひとり暮らしだった僕はせっせと図書館からクラシックのCDを借りて借りて借りまくっていたのだけど、その図書館が改修に入りCDを借りられなくなっちゃうので、そうか暇だな、今度はアウトプットもしてみるか、と思ったのがきっかけ。2008年夏。残念ながらトップ・ブロガーさんのブログ記事を見て憧れてお箸をキーボードに持ち替えたのではない。それはそれとして、なぜ書きたいのかというと、自分の考えの整理のためや単なる暇つぶしもあるけど、やはり「感動のバトンを繋ぎたい!」という気持ちは大きい。僕も色んな人から「この音楽はこんなに素晴らしいんだよ」と教えてもらったからこそ、新しい世界が開いて、今の僕がある。そのことへの感謝もこめて、今度は、僕が音楽を聴いて「なんて素晴らしいんだ」と感動した気持ちを、また別の誰かに受け取ってもらって、過去を蘇らせたり、未来へ羽ばたいたりしてほしい。そんな大きなことは無理かもしれないけど、このブログを見て知った音楽を聴いて、「こんなに良い曲があるのか」とか「こんな風に聴くと楽しいのか」と、ちょっとでも思ってもらえたら嬉しい。クラシックでもアイカツでも、そういう気持ちで書いている。


10th Thanks Partyの2ndで声優の朝井彩加さんが「アイカツとは、バトンを渡すこと、アイカツのバトンを受け継ぎ、渡してきたので、皆も渡してほしい」と言っていた。夏の映画の舞台挨拶では声優の下地紫野さんが「あなたにとってアイカツとは」ときかれて「SHINING LINE*」と答えて木村監督に「それ出せばいいと思ってるでしょ(笑)」と言われていた。でも本当にその通りで、アイカツはSHINING LINE*であると、そうであるとしか言いようがない。もしこの10周年アニバーサリーが終わって新しいオタク救済措置がなくなったとすると、おそらくは「シャイニングラインが途切れた」とか、そういうことを言う人がまた現れるのだろう。スターズが始まったときもそうだったと聞くし、スターズ終わってフレンズ始まったときもそう、プラネットになって実写は無理だの芸能人はカードが命じゃないのかだの、ラインが途切れたと、まあまあ、そう言いたい気持ちはわかる。僕だって、またバトンが受け渡されて、新しい「アイカツ!」に会いたい。だからこそ、僕はこうして書き残し、一人でも多くの人に伝えたいのだ。日本を代表する音楽アニメ「アイカツ!」の素晴らしさと、その感動を!受け取った感動でもっと、未来までいってほしいから!それが僕の「SHINING LINE*」、昔の音楽ファンと僕と未来の音楽ファンを繋ぐ、もちろん、今のアイカツのフアンと未来のアイカツのフアンを繋ぐ、今、わたし達をつなぐ胸の中きらめくライン。(了)


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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