シューベルト 交響曲第1番:愛すべきエピゴーネン

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シューベルト 交響曲第1番 ニ長調 D82


シューベルトが第一交響曲を仕上げたのは1813年の10月18日、彼がまだ16才のときで、コンヴィクト(寄宿制の神学校であり、アントニオ・サリエリの下で音楽を学べた)を去る直前の頃だとされている。
1楽章には大きな繰り返しもあり、また草稿にあまり苦労した形跡が見られないため、相当の速筆だったのではないかとされることもあるが、一度聴けば非常に印象的で、よく磨き上げられた作品であることはすぐにわかるはずだ。交響曲を作曲する1, 2年前、1811年と1812年にシューベルトはいくつかの交響的序曲を書いているし、同じニ長調の交響曲に取り組んでスケッチを残しているが未完に終わっている。こうした習作たちを経て出来上がった作品であり、あまり軽く見るのは良くないだろう。ちなみに、同じ頃、ベートーヴェンは交響曲第7番の作曲に取り組み、1813年12月に初演している。
他の1810年代のシューベルトの交響曲と同じように、交響曲第1番は19世紀後半になるまで出版されなかった。しかし、おそらくシューベルトはこの曲の演奏を聴く機会を生前に何度と無く得ていたはずである。公式な記録には残っていないものの、コンヴィクト時代に懇意にしていたオーケストラが演奏していた可能性もあるし、ブルク劇場のヴァイオリン奏者であり、シューベルトの死後に交響曲第6番の初演の指揮を務めたオットー・ハトヴィヒが私設のオーケストラで演奏していたかもしれない。もちろん、シューベルト家のアンサンブルで演奏することもできただろう。
この曲は、シューベルトが学んだ18世紀の音楽を源として出来上がっている。サリエリから学んだもの、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらに敬意を払い、そのエッセンスを注入して出来ている。もしかすると、それはつまらない模倣に過ぎないと捉える人もいるかもしれない。
しかし、シューベルトが偉大な音楽家であることを認めるならば、そんな彼も若い頃は大音楽家たちを尊敬の眼差しで見つめていたという事実に今一度思いを馳せて、むしろこの曲を愛おしく感じるものではないだろうか。
そもそも、ベートーヴェンの音楽を心から愛する人であれば、この曲が多くのシューベルトの初期作品と同じように、表面的にはベートーヴェンの模倣に見える旋律も発見できるだろうが、同時に作品全体の様式としては音楽の外形や音調の模倣を超越していることも発見できるだろうし、ベートーヴェンの交響曲の“肝”となる部分には、シューベルトは触れさえしていないということにも気づくだろう。


先に挙げた第1楽章の長い繰り返しは、シューベルト自身によって後に削除された。構造的なバランスに興味を抱き出してからのことだ。現在では演奏されることもあるが、アダージョの序奏が楽章内で再び現れるというのは幾分不思議な気もする。モーツァルトのセレナーデ第9番「ポストホルン」(1779年)やハイドンの交響曲第103番「太鼓連打」(1794~95年)、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」(1798年)でも同様に序奏が繰り返され、影響を受けたとも考えられるだろう。
また、この楽章はベートーヴェンのエロイカ終楽章との類似が指摘されている。まあ言われればそうかなというところ。第2主題の可愛らしい旋律は、シューベルトらしさ以外の何ものでもない。
足取り軽やかな1楽章に続いて、アンダンテの第2楽章。シューベルト研究で名高いドイツの音楽学者ワルター・フェッターは、この楽章について“klassizistischer Nachklang, farblos, unpersönlich, epigonal”(「古典派の響き、色もない、個性もない、エピゴーネン」)と語る。この優美な開始のメロディーは前進運動的な第2主題とよい対比をなす。
第3楽章メヌエットで陽気なニ長調に戻る。この楽章はトリオが聴きどころだ。色とりどりの楽器が自由自在に用いられ、特に木管楽器の使用については目を見張る。
終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェでは、ヴァイオリンが生き生きと、豊富に装飾されて前へと進む。そして勢いのあるコーダ。屈強な音楽が織りなす力強いフィナーレだ。
『ニューグローヴ世界音楽大事典』でお馴染みジョージ・グローヴは、シューベルトの死後52年経った1881年、ロンドンのクリスタルパレスでシューベルトの交響曲第1番から第5番の初演を試みた。指揮はドイツ生まれでイギリスで活躍したアウグスト・マンス。すこぶる好評で、当時のガーディアン紙は以下のように評した。
「特に興味深い演奏はシューベルトの交響曲第1番だった。作曲家がまだほんの16才の“男の子”だったことを考えれば、本当に素晴らしい作品だ。それは旋律に富み、魅力的な楽器の用法があり、“初期作品”と評されるものによくある内容と形式の間の不均衡さの形跡が皆無である」(1881年2月9日、ガーディアン)
シューベルトにとってアイドルであった18世紀の大音楽家たちが度々顔を覗かせるものの、最後には彼らの世界の限界を乗り越えて行こうとする、若きシューベルトの気概を感じる。これほど愛すべきエピゴーネンがあるだろうか。

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