モーツァルト セレナード第10番「グラン・パルティータ」:宵待草のやるせなさ

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モーツァルト セレナード第10番 変ロ長調 K.361「グラン・パルティータ」

最近Twitterで「クラシック好きに聴いてほしい吹奏楽」というタグをみかけた。僕も結構そういう気持ちが強く、このブログにもちょくちょく吹奏楽作品について書いているつもり。
単に聴いてほしい曲もたくさん書いたが、なるべく「クラシック音楽の作曲家として有名な人の残した吹奏楽作品」については書いておきたいと思っており、そういう意味で該当するものは今までに
メンデルスゾーンの「管楽のための序曲」ヘンデルの「王宮の花火の音楽」ベルリオーズの「葬送と勝利の大交響曲」ホルストの「吹奏楽のための第1組曲」ヴォーン=ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」ペンデレツキの「ピッツバーグ序曲」などを取り上げている。
ということで、満を持して登場するのはモーツァルトの「グラン・パルティータ」。この曲を吹奏楽の元祖と見なす音楽ファンも多いことだろう。なにしろ、フレデリック・フェネルがこの曲を「ウィンド・アンサンブルの草分け」としているので、ほとんどの吹奏楽人は反論不可能である。

とかく下に見られがちな管楽器の合奏が、かの有名なモーツァルトを味方にできたという事実がまず大きかった。しかも50分近くある大曲だ。「吹奏楽なんて……」とほざく輩には「モーツァルトが大作を残している」と一蹴できる。強い。モーツァルトの知名度は圧倒的だ。
モーツァルトくらいの有名作曲家であれば演奏は多く、名だたるオーケストラの管楽器奏者たちによる名演もずらり。しかし、ややもすると「有名オーケストラの片手間」というイメージに落ちるところを、これこそが我らが「ウィンド・アンサンブルの聖典」だと主張するかのように、フレデリック・フェネルはイーストマン・ウィンド・アンサンブルで演奏しまくった。1958年の初録音(すぐ下の盤です)以降、何十年と専売特許のように演奏し、研究した。だが、少なくとも日本の吹奏楽の世界で主流なのは古典音楽ではなくコンクールで勝てる小品であり、この曲が愛されるのは結局のところ古典への情熱が強いオーケストラの管楽器の世界だと、そう言わざるを得ない。だから、モーツァルトの「グラン・パルティータ」は、「クラシック好きに聴いてほしい吹奏楽」であると同時に、「吹奏楽好きに聴いてほしいクラシック」でもある。

Serenades
Darius Milhaud (作曲), Richard Strauss (作曲), & 3 その他


楽曲の解説は各所にあるので省きたいのだが、簡潔に言うと、楽器はオーボエ2、クラリネット2、バセットホルン2、ホルン4、ファゴット2、コントラバスの13人。全7楽章という、モーツァルトのセレナードでは異例の大作である。
そもそも、この曲の作曲の経緯等はわかっていないことが多く、1781年頃には作曲を始めていたのではないかと言われている。1784年には、モーツァルトがクラリネット協奏曲やクラリネット五重奏曲を送ったクラリネット奏者アントン・シュタードラーの演奏会で、モーツァルトによる大管楽が演奏されたと書かれており、これがグラン・パルティータのことではないかと推測されている。このときは4つの楽章のみ演奏されたそうだ。

モーツァルトの時代の「セレナード」は、和やかな雰囲気のシンプルな音楽とされていた。ラテン語の“serenus”(穏やかな)を語源とし、いわゆる弦楽四重奏曲などの室内楽作品とはシリアスさが違うというか、もっとくだけたものだった。管楽器が夕暮れ時に屋外で演奏するもの。モーツァルトはこの大作セレナードで、そういった枠組みから脱却を図ったのだろうか。
1楽章の壮大な序奏といい、続くモルト・アレグロの交響曲顔負けのスケール感。3楽章アダージョの美しさ、これは映画『アマデウス』でサリエリが「神の声を聞いた」と語るシーンで有名だ。合奏時の迫力、小さなアンサンブルになったときの魅力、そのコントラストはまさにこの作品が「ウィンド・アンサンブル」の原型であり、吹奏楽の元祖であると納得させるものだろう。

そういう「ウィンド・アンサンブル」の観点では、コントラバスをコントラファゴットに置き換えて、13本の管楽器として演奏するものも多い。カール・ベーム指揮ベルリン管楽アンサンブルもそうしている。ベームはモーツァルト解釈について絶対の自信を持っている(とウィーン・フィル団員が証言している)ので、この曲に付きまとう大問題のひとつ「モーツァルトはコントラファゴットがあればそれを使っていたはずだ」問題に、賛成票を投じているのだろう。
ブーレーズとアンサンブル・アンテルコンタンポランもそうしている。これはベルクの室内協奏曲(ソロ楽器と13の管楽器のための協奏曲)とカップリングする上で関連を示すためだろう。
最近はとにかく「作曲家の意図」を崇拝する向きもあるが、一応モーツァルトの指定は弦楽器のコントラバスである。その点、フレデリック・フェネルは潔い。フェネルは音盤のジャケットにもあるようにコントラバスクラリネットを用いている。しかし、これがアンサンブルとして正しいとか、「モーツァルトがもしこの楽器を持っていたら」的な説も主張しない。彼は単にコントラバスクラリネットが好きなだけである。

「グラン・パルティータ」とスコアに書き加えたのはモーツァルトの死後、別人が勝手にやったそうだが、これを付けた人は凄い。セレナードの、言ってしまえば実用音楽的で軽音楽的な雰囲気も持ち合わせつつ、それを超える芸術的な「大組曲」として後世の人間はより注意を払っている。これを超える長大な管楽器の合奏作品がそう多くない事実が、この副題に説得力を与えている。
そんな「軽い」けど「重い」、みたいな相反する特徴を持っているのが、モーツァルトのこの音楽の魅力なのではないだろうか。弦楽器を含む大編成の交響曲演奏と対比される「小さな」モーツァルトの管楽器合奏であると同時に、吹奏楽の短い現代作品レパートリー群と対比される古典の大作でもある。
ちょっと変わり者の音楽なのかもしれない。だからこそ愛らしいというのもある。そういうところがモーツァルトらしいっていうことなのかな。

【参考】
Leeson, D. N., Gran Partitta, Authorhouse, 2009.

モーツァルト : セレナード第11番 、第10番「グラン・パルティータ」 / ベルリン古楽アカデミー (Mozart : Gran Partita – Wind Serenades K.361 & 375 / Akademie fur Alte Musik Berlin) [CD] [Import] [日本語帯・解説付き]
ベルリン古楽アカデミー (アーティスト, 演奏), モーツァルト (作曲), & 13 その他

Gran Partitta ペーパーバック – イラスト付き, 2009/5/7
英語版 Daniel N. Leeson (著)


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