メンデルスゾーン クラリネットとバセットホルンのための演奏会用小品 作品113, 114
クラシック音楽と料理と言えば真っ先に思い浮かぶのはロッシーニ。彼の名にちなんだフランス料理「○○のロッシーニ風」という、トリュフやフォアグラを使った料理は有名だ。彼は料理をするのも食べるのも大好きだったそうだが、料理好きな音楽家の話はよく耳にする。有名な日本の指揮者、朝比奈隆もそうで、遠征したらそこの料理を一つ覚えてきたり、よく手料理を振る舞ったりしていたそうだ。やはり音楽家はクリエイティブな行為が好きで、だから料理も好きになるのだろうか。現代ではSNSのおかげで、料理の腕前や美食三昧を披露する音楽家の日常も目にするようになった。
さて、先日、カメラータRCO名義の“Sweet Dumplings & Cheese Strudel”というアルバムを聴いた。コンセルトヘボウ管のメンバーによる室内楽で、モーツァルトのクラリネット五重奏曲などを収録したもの。アルバムのタイトルが面白くて、ざっくり訳すと「甘いお団子とチーズケーキ」という感じ。シュトルーデルはケーキじゃないとか、そういうツッコミはおいといて、ともかく、なんか変わったタイトルだなあと思っていた。演奏はヘイン・ヴィーダイクのクラリネットが美しい、素晴らしい演奏。2013年録音。↓のリンクです。
Sweet Dumplings & Cheese Strudel: Mozart – Mendelssohn
Camerata RCO
だらだら聴いた後にふとBookletを読んでみたら、このアルバムのタイトルは、CDに併録されているメンデルスゾーンの「クラリネットとバセットホルンのための演奏会用小品(op.113,とop.114)」に関係するものだったと判明し、びっくり。この2つのお菓子は、メンデルスゾーンが同作品を贈った、当時最も優れたクラリネット奏者として有名だったハインリヒ・ヨーゼフ・ベールマン(1784-1847)と、その息子で同じく名手であったカール(1810-1885)の好物だそうだ。
ベールマン(父)は当時の多くの作曲家と交流を持ち、作品を贈られたり初演したりしていたのだが、メンデルスゾーンとも親しかった。1832年12月、ベールマン父子はロシアまで行く演奏旅行の途中でベルリンに滞在し、その際にメンデルスゾーンは、スイート・ダンプリングスとチーズ・シュトゥルーデルを家で作って欲しいとお願いした。ベールマンはその報酬として、クラリネットとバセットホルン、ピアノ伴奏による作品を要求。
ある日の朝9時、メンデルスゾーンの家を訪れたベールマン父子。メンデルスゾーンは早速、ベールマン父子の頭にコック帽をかぶせ、エプロンの腰紐にスプーンを差し込んで準備完了。メンデルスゾーン自身はというと、同じように帽子をかぶりエプロンを付けて、スプーンの代わりにペンを耳に挟んだという。なんとも微笑ましい様子ではないか……ちなみに、このときメンデルスゾーンは23歳、ベールマンは48歳、息子カールは22歳だそう、ふふふ。一生懸命に料理&作曲に励む面々。メンデルスゾーンは美味しいお菓子に舌鼓を打ち、ベールマン父子はその日の夕方にリハーサルをしてみて、素晴らしい音楽に大喜びだったそうだ。めでたしめでたし。
そうしてできた曲が演奏会用小品op.113で、コンツェルトシュテュックとか協奏的作品と書かれることもある。この曲には当時流行っていたフランツ・コツワラの「プラハの戦い」という曲の旋律が引用されているため、昔はそのような愛称でも呼ばれていたそうだ。なおメンデルスゾーンが付けたこの曲の正式名称は、「プラハの戦い!甘いお団子とチーズケーキ・クラリネットとバセットホルンのための大二重奏曲」である。
ということで、戦争とお菓子が混在する小品op.113、演奏会用小品の第1番と呼ばれるのがこちら。
第1楽章Allegro con fuoco、ヘ短調で劇的な始まり。これはお菓子の入る余地なしの厳しい音楽だ。クラリネットとバセットホルンが哀愁ある歌をたっぷり歌う。短いが、メンデルスゾーンらしい優しい旋律の虜になること間違いない。1楽章から流れるように入る第2楽章Andante、美しいハーモニーの二重唱を堪能しよう。第3楽章はPresto、ヘ長調の活き活きしたロンドが繰り広げられる。高速でテクニカルなパッセージが続き、クラリネット・バセットホルンという楽器の魅力を十二分に楽しめる。最後までお菓子の要素はわからない(当然だ)が、可愛らしい曲であることは認めよう。
第1番(op.113)の出来栄えに満足したベールマンは、メンデルスゾーンに追加で作品を依頼。メンデルスゾーンはすぐに作曲し、第2番(op.114)をベールマンの元に送った。その際のタイトルも第1番に劣らずユニークなもので、「ベールマン氏の注文で、ベールマン氏のお気に入りのテーマを用いた、ベールマン夫人のための、メンデルスゾーンとその他大勢による大二重奏曲」という変わったもの。この「その他大勢」というのはメンデルスゾーンからのベールマンの技術への賛辞であり、要はあなたの演奏が素晴らしくて誰がどんな曲を書いてもあなたの曲ですよ、というような意味らしい。
メンデルスゾーンは曲に添えた手紙に「好きなようにしてください。使えなければ火にくべてもいいし、もし使えるならばあなたとご子息の指使いに合わせて、自由に変えてください。適当に切ったり貼ったりしてください。そして、もっと美しいものに、つまり、まったく変えてしまってください」と書いている。
演奏会用小品第2番(op.114)は、メンデルスゾーンが手紙に書いたとされる楽曲解説があり、それが日本語のWikipediaにのみ載っている。僕も少しソースを探してみたが、3楽章に関する記述しか発見できなかった。一応Wikipediaには2冊の著作が参考文献としての載っているので、そちらを見れる方は当たってみてほしい。どちらも古い本(下にリンクあり)。
第1楽章Presto、ニ短調、この冒頭の主題がベールマンの主題なのだろう。メンデルスゾーンは「あなたの主題を基にしています。あなたがシュテルン氏(“Herr Stern”)の全財産をカード遊びで巻き上げ、烈火の如く怒らせたところを想像してみました」と書いたそうだ。
第2楽章はAndante、これは「先日のディナーの思い出。クラリネットは料理を待ちわびる私。バセットホルンはのたうち回る胃袋です」だそうだ。美しいバセットホルンの伴奏も、胃袋と言われると蠕動運動しているように感じてしまう。クラリネットは空腹のメンデルスゾーンの悲しみと期待が込められた、良い旋律だ。知らんけど。
第3楽章Allegro grazioso、これもロンドだが第1番よりは落ち着いている。「演奏旅行でロシアへ行くとき、気温はこんな冷たさでしょう」と書いている。これを冷たさと捉えるのは難しいような気がするが、たしかに熱狂というよりは、底冷えするような力強さが支配しているようにも感じられる。
どちらの曲も、ピアノ伴奏の他にオーケストラ伴奏もあり、1番はメンデルスゾーンが、そして2番はベールマンが編曲している。オーケストラ伴奏版の2番の冒頭には序奏も加わり、「好きにしてください」までは行かずともベールマンは筆を加えたようだ。メンデルスゾーンらしい綺麗な小品で、実演もたまにあるし、聴いていて楽しい。それは当然として、こうやって作曲の動機などをたどってみるのも楽しいものだ。何しろ、お団子とケーキがなければ、この美しい作品はどちらも生まれてこなかった訳で、我々はベールマンとメンデルスゾーンと、そしてこの甘味にも敬意を払わなければならない。よって今日もみたらし団子を食べて良いものとする。あと、チーズ・シュトゥルーデルってどこで食べられるの……?
Baermann & Mendelssohn: Works for Clarinet
プラハ室内管弦楽団
クラリネット・ハンドブック: 歴史と音楽と名演奏家たち 単行本 – 1984/10/1
オスカール クロル (著), ディートハルト リーム (編集), 大塚 精治 (翻訳)
Clarinet Virtuosi Of The Past ペーパーバック – 2003/1/1
英語版 Pamela Weston (著)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more