アルベニス 4つの歌:イベリアの薄明に、白鳥の歌

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アルベニス 4つの歌


「4つの最後の歌」というとリヒャルト・シュトラウスを思い出すが、同じ名前でヴォーン=ウィリアムズの曲もある。今回取り上げるのはイサーク・アルベニス(1860-1909)の「4つの歌」、ここには「最後の」とは入らないけれど、アルベニスの最後の作品である。
アルベニスの歌曲作品はまだまだ未知の世界だ。先日Twitterで、レコ芸の名盤ランキング企画史上初めてアルベニスの「イベリア」が対象になったという話を知り、ついにそこまで来たか!と驚いたが、まあ今までアルベニスはそういう扱いだったということである。「イベリア」でそうなのだから、歌曲など一般的な認知度などほぼゼロに等しい。
これは日本におけるスペインの作曲家の扱われ方のせいだけではなく、スペイン本国でも、アルベニスは敬愛されているにもかかわらず歌曲に関してはあまり知られていないそうだ。その理由を上にリンク貼った歌曲集のCDでピアノを弾いている奏者、イニャキ・エンシーナ・オヨンが考察しているので、ちょっと書き出しておこう。

まず第一に、20年程前まで出版されていなかったという点。フランコ政権は地域文化全般を弾圧しまくったため、20世紀のスペインのクラシック音楽事情はそもそもが非常に厳しかった。これは今年4月に書いたヒナステラの「パブロ・カザルスの主題による変奏曲」の記事も参考にしてください。


第二に、難易度が高かったこと。臨時記号が多く、後期作品を歌うにはかなりの準備が必要ということもあり、多くの音楽家たちが敬遠したとオヨンは指摘する。
第三に言語を理由として挙げている。最初期の作品を除くと、アルベニスの歌曲の歌詞はスペイン語以外の外国語であり、これはアルベニスに限ったことではなく、他のスペインの作曲家たちもイタリア語やフランス語、英語の歌曲を多く残しているそうだ。こうした実情とは裏腹に、「スペイン音楽と言えば民謡の影響が強い」とか「アンダルシア民謡こそスペインの作曲家の歌曲の拠り所」と信じ込んでいる音楽家や愛好家が多いので、あまり見向きされなかったという。


確かにアルベニスの歌曲の歌詞を見てみると、言語は多様である。生涯最後の「4つの歌」について書く前に、彼の他の歌曲をキャリアに沿って概観してみよう。
初期作品の「ベッケルの詩」(1888)は、その名の通りスペインの国民的詩人と言われるグスタボ・アドルフォ・ベッケル(1836-1870)のスペイン語詩。我々が安直に想像するアルベニス像と一致する音楽で、これは魅力的だ。同じく初期の「6つの歌」(1888)はボラーニョス侯爵夫人Paulina Sprecaの詩、こちらはイタリア語。この曲集は夫人の好みが反映された結果、イタリア的な「ベルカントへ賛美」という雰囲気が強く伝わってくる音楽。イタリア・オペラ大好きな僕にはとても嬉しい作品。
「バーベリンの歌」(1889)はフランスの作家アルフレッド・ド・ミュッセ(1810-1857)によるフランス語詩。なおこの1889年の後半から90年代にかけては、アルベニスの芸術人生の最も充実した時期であり、多くの演奏旅行を行い、家族とロンドンに移住してからは演奏家・作曲家・プロモーターとして大活躍。
「ネリーへ」(1896)と名付けられた6つの曲集は、アルベニスの友人でありパトロンであるマネー=クーツ(1852-1923)の妻の名前が由来。英国王室御用達のクーツ銀行創設者の5代目にあたるフランシス・バーデット准男爵による、妻へ捧ぐ英語詩である。音楽も英国調も感じられつつ、またスペインらしい鮮やかな色彩もある、これも傑作だと思う。なお上のCDには同じくマネー=クーツ詩による別の作品「6つの歌」という未完・紛失あり・未発表だった曲集も録音している。
1894年からはパリに移住したアルベニス。ロパルツ、ダンディ、ショーソン、フォーレ、ドビュッシー、デュカスなど多くの作曲家と交流。フランスの歴史家・政治家であるシャルル・コスタ・ド・ボールガール(1835-1909)のフランス語詩による「愛は多くのことのようなもの」(1897)は、短い音楽の中にパリで得た成果が凝縮されたような美しい曲だ。ショーソンの妻に献呈されている。同時期の作品「2つの散文」もフランスの作家ピエール・ロティ(1850-1923)のフランス語詩。


そして、ピアノ作品の傑作「イベリア」を1908年までに完成させ、自身の病状がこれ以上悪化する前に何とか手がけなければと作曲したのが、マネー=コーツの英語詩による「4つの歌」である。といっても、本来アルベニスは、12曲の連作歌曲を作るつもりでいた。しかし体調が思わしくなく、結局4曲しか完成しなかった。第1曲In Sickness and Health、第2曲Paradise Regained、第3曲The Retreat、第4曲Amor, Summa Injuria、の4つ。アルベニスは第3曲The Retreatを書き上げて、1905年に亡くなった。死後「4つの歌」として出版する際には、アルベニスの遺言で実際は最初に作曲したAmor, Summa Injuriaを最後に配置するように指示していた。そのため、通常は先述の曲順になるのだが、上のアドリアーナ・ゴンサレスが歌うCDでは敢えて最初に作曲した第4曲を冒頭に持ってきて、最後に作曲した第3曲で締めくくるようにしている。これが中々、胸が苦しくなるような演出で、聴き応えがあった。
アルベニスはこの作品を友人であるフォーレに献呈している。フォーレの歌曲が好きな方はぜひ思い浮かべながら聴いてほしい。あとはドビュッシーの歌曲も、かな。今までのアルベニスにあった明るい地中海的な色彩感は、ここでは全くと言っていいほど見当たらない。しかし、繰り返されるピアノのリズムパターンや和音の響きからはアルベニスらしさも感じ得るし、テンポもメロディも強弱も何もかもが繊細で表現豊かな歌は本当に美しい。歌詞はこちら


第1曲In Sickness and Health、一定のリズムの伴奏が醸し出す暗く、しかしどこか不思議な浮遊感のある雰囲気が独特で、どこかへ連れていかれそうになる。最後の高音と低音の組み合わせも心に響く。“The awful unity of life and death”の部分に、先日書いたショスタコーヴィチの記事を自分で思い出した。病気に苦しんでいたアルベニスにとって、死とは果たして……そんなことも脳裏をよぎる音楽。


第2曲Paradise Regained、フランス歌曲を思わせる掴みどころのない空気感が、この詩の持つ美しい情景描写によくあっている。ピアノの伴奏の印象的な下降音形もたまらない。暗い内容の詩ばかりだが、ここだけは少し光が差しているようだ。
第3曲The Retreat、非常に暗い、というか虚しい心情を歌った詩に相応しい、感情があふれる音楽。特に最後のスタンザの1行目“That is the world, ah, friend, let us retire”は、胸にぐっと来るものがある。先も書いたがこれがアルベニス最後の作曲となる。そうして去っていったのだろうかと、どうしても想像してしまう。優しいアウトロがまたも堪える。最後の最後はppの低いC音。これで終わったら、確かに救いがない。
第4曲Amor, Summa Injuria、これをラストに持ってきてほしいと言うアルベニスの気持ちはわかる。この愛の歌も決して明るい音楽ではないが、2連と3連の間のピアノから「元気なアルベニス」が垣間見えるのが、少しの救いのように思える。
全曲を通して、詩の言葉に丁寧に寄り添った歌のメロディと、言葉に寄り添わず一定のリズムで全体の雰囲気を作るピアノが、合わさって初めて独自の世界を作り出している。薄明と薄暮の音楽、はっきりしたものなどない、それが死の淵の音楽というものなのだろうか……とにかく、この4曲におけるピアノの重要性は、クラシック音楽における歌曲の中でも抜きん出て高い。だからこそ、「イベリア」が好きな方にぜひ聴いてほしい。アルベニスの芸術家人生の総決算とも言える「イベリア」のピアニズムが、全てここでも現れていることに気づけるだろう。


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Author: funapee(Twitter)
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