ピエルネ 大聖堂 – 前奏曲:その芸術に在る光

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ピエルネ 大聖堂 – 前奏曲

ガブリエル・ピエルネ(1863-1937)というフランスの作曲家がいる。ドビュッシーの1つ年下で、パリ音楽院時代からの仲良しだそうだ。現代ではドビュッシーの方が圧倒的に高い知名度を誇るが、ピエルネは、当時ドビュッシーが嫉妬するほどの才人だった。
1887年、ドビュッシーはヴィラ・メディチの館長に宛てた手紙で、ピエルネがあまりにもパリで成功しているので絶対に会いに行きたくない、などと書いている。ピエルネは1882年にカンタータ「エディト」でローマ賞を受賞、その年のドビュッシーは予選落ちで、ドビュッシーがローマ賞を獲得するのは2年後のことだ。それ以前にも、この両者はフランスの名ピアノ教師アントワーヌ=フランソワ・マルモンテルに師事しており、ピエルネは16歳でピアノの賞を獲っているがドビュッシーは一度も賞をもらえなかった。またローマ賞獲得によるイタリア留学も、その経験を活かしてパリで活躍するピエルネを横目に、あまり良い留学経験を得たとは言えないドビュッシー。彼がパリで名を上げて音楽で食べていくのに苦労していた頃、1890年にはフランク亡き後ピエルネがサント・クロチルド教会のオルガニストという名誉ある職を継ぎ……これはドビュッシーが嫉妬するのも納得の大活躍だ。


そんなピエルネの作品の中で、今回取り上げたいのは「大聖堂 – 前奏曲」という、少しマイナーなオーケストラ曲。ピエルネの作品の中で有名なものといえば、バレエ「シダリーズと牧羊神」や劇付随音楽「ラムンチョ」、あるいはハープ小協奏曲などがある。それらと比べるとほとんど話題になることもないこの「大聖堂 – 前奏曲」が僕は大好きなのだ。
ピエルネの最も大きな功績は、おそらく作曲家でもオルガン奏者でもなく、コロンヌ管弦楽団の指揮者として多くのフランス作曲家の音楽を初演したことだろう。創設者エドゥアール・コロンヌから引き継いで1910年に総監督になったピエルネは、ドビュッシーの「映像」やラヴェルの「ダフニスとクロエ」第1組曲、「ツィガーヌ」、そしてコロンヌ管ではないがオペラ座ではストラヴィンスキーの「火の鳥」初演の指揮もしている。ドビュッシーのバレエ「遊戯」のコンサート版初演を務めた際は、ドビュッシーがピエルネの緻密なリハーサルに感心し高く評価したそうだ。
これらの初演、つまり1910-1914年にドビュッシーやラヴェル、ストラヴィンスキーらの新しい音楽に多く触れたこと、そしてフランクの後任として1890年から1898年まで大聖堂でオルガン奏者を務めたこと、これらの経験が作曲に活きていると思わせられるのが、この「大聖堂 – 前奏曲」だと僕は思うのだ。


正式な曲名は「大聖堂 – ウジェーヌ・モランの劇的詩のための前奏曲」である。ウジェーヌ・モラン(1853-1930)というフランスの劇作家による戯曲のような詩で、戦争を契機として書かれたものらしい。資料が少ないため詳しくは不明だが、舞台は夕暮れの空の下、塹壕のある荒原にて、一日の任務を終えたフランス兵が勝利を夢見るが、果てしない日々と、そこから隔てられた自らと、その数え切れない悲しみを思う……といった内容らしい。1915年に書かれ、同年11月に上演された。
ピエルネはオーケストラと合唱のために作曲しており、この前奏曲に関しては合唱なしの楽譜も作っている。現在聴ける録音として確認できるのは「合唱なしのオーケストラによる前奏曲」か「合唱付きのオーケストラによる前奏曲」か「合唱、ナレーション、ピアノ伴奏による前奏曲とその続きの劇的詩」であり、何が完全な形かはよくわからないのが現状である。もしかすると、いずれオーケストラと合唱を伴った完全な形の蘇演録音が実現するかもしれない。
ひとまず、オーケストラによる前奏曲を聴いてみてほしい。ラ・マルセイエーズを変形したモチーフから始まる。これが暗い。ひたすらに暗い。荒原における兵士の心情だろうか。この暗く悲しい音楽から、僕はショーソンの詩曲にも近いものを感じた。半音階が続く不気味な雰囲気、管と弦の低音楽器の音色も味わい深い。そこにハープや金管が入ってくると、どこか光が射すようである。息の長い弦楽器の旋律は「希望」を示すものらしい。そこにゴツゴツしたサイドドラムの刻みが入ってくると、まるで兵士を天高く引き上げていくように、音楽は徐々に高く高く登っていく。まさに大聖堂のような広がりだ。その後は冒頭に回帰し、静かに鐘が鳴り、バスドラムのロールが空気を震わせて終わる。暗-明-暗。美しい大聖堂は消え塹壕と荒野を印象づける、戦争とはそういうものかもしれない。10分にも満たない前奏曲だが、フランク流の整えられた構成感と、ドビュッシーやラヴェルを思わせる非常に想像力豊かなオーケストレーションで、美しい音楽を味わえる。合唱付きも良い。ピエルネは合唱の音量を大きくと指示したそうだ。ハープなどと共に「希望」の部分から登場する。


確かにドビュッシーやラヴェル、ストラヴィンスキーのような、いわゆる革新性というか、眼を見張る新しさはないし、保守的と言えばまあそうだろう。新時代を切り拓いていく音楽家ではなく、それこそフランクやコロンヌに後を託される、守り、繋ぎ、残していく側の音楽家の曲だとわかる。この大聖堂前奏曲は多分ピエルネ作品の中で最も暗い音楽の部類で、ピエルネにはもっと明るく素敵な曲もたくさんあるので、それらも聴いてみていただきたい。ただ、僕はこの曲には、彼の個人的な歩んできた歴史と、戦争という大きな歴史と、それらが重なって生まれた芸術にこそ在る美しい光を見たので、ぜひ紹介しておきたいと思ったのだ。


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