ウッチェリーニ ソナタ、コレンテとアリア集 作品4より第4曲 ヴァイオリン・ソナタ「ラ・ホルテンシア・ヴィルトゥオーサ」
6月なので紫陽花に関係するクラシック音楽を探してみた。歌曲などの小品はありそうだが、いまいちピンとこないのは、やはり紫陽花は日本の花で、ヨーロッパではそこまでポピュラーではないからかもしれない。英語ではhydrangeaという。スペイン語、フランス語はhortensia、ドイツ語ではHortensie、イタリア語ではortensiaと綴る。その辺りの言葉で曲を探してみたら、古楽器のアンサンブル団体でEnsemble Hortensia Virtuosaというのを見つけた。ナポリの作曲家、ピエトロ・マルキテッリ(1643-1729)のトリオ・ソナタを録音した、Da VinciレーベルのCDを聴いてみたが、なかなか素敵だ、さすがDa Vinciレーベル。ここのレーベル大好き。
Marchitelli: Trio Sonatas
Marchitelli / Rota, Giovanni / Ensemble Hortensia (アーティスト)
そのCDのブックレットにある団体紹介で、団体名はイタリアの初期バロックの作曲家、マルコ・ウッチェリーニ(1603-1680)の曲名から取ったと書いてある。探してみると、ウッチェリーニの作品番号4、「ソナタ、コレンテとアリア集」の中の第4曲がLa hortensia virtuosaとある。コレンテというのはクーラントのイタリア語だ。ヴァイオリンのための作品集で、全何曲なのかは不明だが、十数曲ほどは含まれているようで、中でも第2曲「満足したルチミニア」は人気のソナタらしく、割と録音も数多くある。
ウッチェリーニの生涯はわかっていないことが多く、モデナのエステ家の宮廷楽長を務め、モデナ大聖堂の教会楽長も兼務。その後はパルマ大公ファルネーゼ家の宮廷礼拝堂の楽長を務めたとWikipediaにある。ヴァイオリンの名手であり、CD解説では現在のヴァイオリンの覇権を決定付けた最初の人物だと大いに称賛されていた。そうなのかもしれない。作曲や演奏だけでなく、調弦や弓の扱いの発展にも寄与したそうだ。
ウッチェリーニが仕えたとされるのはフランチェスコ1世・デステ(ベラスケスの肖像画が知られる)、エステ家は芸術の擁護者として知られている通り、フランチェスコ1世もまた芸術を愛し、また政治に活かした人物である。エステ家に限った話ではないが、この時代の宮廷音楽は統治者の個人的な芸術への嗜好や熱意だけでなく、様々な人物との交際の都合なども関わっていたことだろう。
なぜそのようなことを話しているかというと、この時代の楽曲に付けられた「副題」というのは、音楽そのものと関わっていることもあるが、そうではなくて献呈者に関わっているものもある、ということを再確認しておきたいからである。余談になるが、僕は結構、音楽に付けられた「副題」が好きなタイプで、ハイドンの交響曲についてのブログ記事や、ショスタコーヴィチの交響曲第5番の副題についてのツイートなども見てほしいのだが、まあ、気になっちゃうのである。
【ショスタコーヴィチ 交響曲第5番の副題】「革命」はよく用いられるが、2013年マゼール指揮ウィーン・フィルの公演では“Das Werden der Persönlichkeit”と書かれていた。「人格の形成」とでも訳せば良いのかなと首を傾げていたが、当時インターネット上にあまり情報がなく、その後も放っておいた。
— ボクノオンガク (@bokunoongaku) January 12, 2020
「作曲家が付けた副題以外は排除すべし」という意見もあり、それは「楽曲についての正しい理解の妨げになるから」とするのも、もちろん理解できるけれども、僕はどちらかというと「愛称」的な副題については賛成派である。例えばドヴォルザークの交響曲第8番に「イギリス」という副題が付けられていることがあり、ドヴォルザーク本人が付けたものでもないし、曲の内容もイギリスと関係ないからと最近は外されることが多くなってきた。それはそれで結構だが、そもそも「イギリス」という副題が付いているせいで例えば「なるほど~、ドヴォルザークの8番はイギリス(風)の音楽なんだな、へー!」などと思う人はどのくらいいるのかと、ちょっとツッコミたくなってしまう。昔ならまだしも、一人一台スマホ持ってる時代。というか、この曲を聴いてそんな風に思う人は、そもそも音楽に興味がないのではないか……と僕は思うのだが、どうだろう。むしろ音楽に興味がある人は「なんでこの曲がイギリスなの?調べてみよう、ふーん、そういうことだっのか、ドヴォルザークとイギリスにはそんな関係があったのか」、という風になる人も多かったと思う。
1875-77年、幼い子を立て続けに3人亡くしたドヴォルザークはスターバト・マーテル作曲の筆を進め、1880年初演、1883年のロンドン公演でオラトリオ好きの英国民にヒット。翌年ドヴォルザーク自身がロンドンで指揮し大成功、ロンドン・フィルハーモニー協会の名誉会員になり、出世作の一つとなりました。 pic.twitter.com/dgg51nFw6e
— ボクノオンガク (@bokunoongaku) March 27, 2022
その曲がどのように親しまれ、受容され、愛されてきたか。また同時に、どのように誤解されてきたか、どのように恣意的に利用されてきたか……そういったことを知る手がかりになる愛称的な副題は、あまりに目の敵にすることもないよなあと思っている。まあ「イギリス」にしても何にしても、不要だと思う人が多くて無くなること自体に異論を唱えることもないけど、これといった意図や信念なしに「作曲家が付けてないからパス」とするのも詰まらないというか、これも一種の「作曲家の意図に忠実」と称した演奏側の怠慢だと感じる。現役作曲家が「勝手な愛称で呼ぶな」と言うならまだしも、ベートーヴェンが「運命と呼ばないで」と言った訳ではなかろう。ドヴォルザークが「イギリスと呼ばないで」と言ったなら、それは作曲家の意図に忠実だ。だがもしかすると「イギリス」と呼ばれていることをドヴォルザークが知ったら喜ぶかもしれない。知りようもないが、そんな想像することは自由だ。ヴォーン=ウィリアムズの講演記事も読んでほしい。「楽曲についての正しい理解」とは何なのか、「スコアに忠実」や「作曲家の意図に忠実」とは何なのか……それは副題を消すことで本当に達成できるのか、それによって得られるものと失うものは何か。そんなことも、気になってはいる。
大分長い余談になってしまった。むしろそっちが本題な気もするが……まあ、ウッチェリーニの時代の作品の副題については、正直な話、わからないことだらけなので、あまり深く考える必要はないのかもしれない。「ソナタ、コレンテとアリア集」にも、様々な副題がある。これも研究者たちを悩ませていることでしょうね。宮廷では、音楽の演奏も、そして、そこに添えられた副題も、フランチェスコ1世やエステ家の繁栄を祈るものだったことは違いないだろう。顔も名前も残っていないが、そのときそこにいた人々の特徴を描いたり、喜ばせたり、おべっかを使ったり、からかったり、知識や富を誇ったり……この曲集が、いつかのどこかの時間と場所を切り取った、エッセイや絵画のようなものかもしれない。
La hortensia virtuosaも、紫陽花ではなくて、古代ローマのホルテンシウス氏族のことを指しているのかもしれない。キケロの著述でも名高い政治家、弁論家の名を挙げたのは、宮廷にいる誰かを褒めるためかもしれない。あるいはhortensia virtuosaなので、特定の女性のことかもしれない。短い曲だが、高潔な雰囲気がある。高音と低音を行き来する様も面白いし、リズムも活気があって楽しい、でも他の曲と比べるとちょっとシリアスさが強い気もする。真面目な人だったのだろうか。というか、他の曲もとっても素敵な曲が多い。ウッチェリーニ、実は本当に凄い人なのかもしれない。色々他の曲を聴いても、結構キャッチーだったり、コントラストもくっきりしていて、民謡とか舞踏の影響もあるのかもしれないし、とにかく当時のヴァイオリンの魅力を最大限に発揮させようという意識が強かったのだと思う。
La hortensia virtuosaについては、まあ上に書いたことなども全くの見当違いかもしれないが、色んなことを想像しながら聴くのは楽しい。おそらくは、紫陽花というのは違うんだろうね(笑) でも、紫陽花と音楽という関係で調べなければ、僕はこの曲と出会うこともなかったので「紫陽花のヴィルトゥオーサ」という愛称で呼ぼうかしら。紫陽花の色をした、八重咲きの花のような美しいドレスを着ている、高潔で上品な淑女。なんだろう、こんな想像をするだけで、ずっとこの曲のことが好きなってしまうなあ。
kamakura 鎌倉の紫陽花 ペーパーバック – 2017/10/16
榎本壯三 (写真)
キケロ『ホルテンシウス』 断片訳と構成案 単行本 – 2016/1/20
廣川 洋一 (著)
Violin Sonatas from Op. 3 5
Uccellini / Gricmanis / Cicic (アーティスト)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more