ラフマニノフ チェロ・ソナタ ト短調 作品19
2023年はセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)の生誕150周年である。不届き者の指導者が始めた戦争のせいでロシア音楽そのものは受難の時代だが(よろしければこちらの記事もお読みください)、好きな作曲家のアニバーサリーくらい普通に祝わせてほしい。とかなんとか言いながら、もう年末になってしまった。いつもギリギリなんだよなあ。
何かラフマニノフの曲でブログを書こうと思ってはいたけど、特に曲は決めていなかった。先週行った演奏会で、白井翼さんというい若いテューバ奏者の方がラフマニノフのチェロ・ソナタの3楽章を演奏するのを聴いた。感想記事はこちら。この曲も含めとても良い演奏会だったので、せっかくならチェロ・ソナタについて書こうと決めたのだ。
この曲の第3楽章アンダンテは、それだけ抜粋して演奏されたり、様々な低音楽器用にアレンジして演奏されたりと、いわばラフマニノフの「ヴォカリーズ」に準ずるような扱いをされている。実際、第3楽章はこの曲の白眉、核心でもあるだろう。ロシア・ピアニズムの大教授であり、何度もこの曲の伴奏ピアノを弾いたコンスタンチン・イグムノフ(1873-1948)は、3楽章について「ラフマニノフの抒情性の一つの極致である」と語ったそうだ。これはモスクワ音楽院の教授を務めたチェロ奏者、タチアナ・ガイダモヴィチ(1918-2005)の証言による。ラフマニノフの抒情性の極致……少し考えてみて、思うところがあったので、書いてみようと思う。学術的な解説を求める方は専門家の文章をあたってくださいね、これは個人的な話も含むエッセイだけども、もしかするとちょっとだけ、誰かの音楽鑑賞の助けになるかもしれない。
まずは一応、全般的な楽曲解説もさらっておこう。1897年、野心に燃えた交響曲第1番の初演が失敗に終わり、人生のどん底を味わっていたラフマニノフは精神科医ダーリの催眠療法等を受け、1901年にはピアノ協奏曲第2番で大成功を収め復活、というのは有名な話。その第2協奏曲の直後に書かれたのがチェロ・ソナタであり、友人のチェロ奏者アナトリー・ブランドゥコフに献呈している。1901年12月2日にブランドゥコフのチェロとラフマニノフのピアノで初演。同じくピアノの大家であるショパンの作曲したチェロ・ソナタ(1846)とよく比較されるし、両曲を同時に収録した音盤も多い。様々な点でラフマニノフがショパンのチェロ・ソナタに倣ったのは間違いないだろう。しかしショパン以上に、ラフマニノフの曲の方が「抒情的」な楽曲に仕上がっていると、よく解説などでは書かれている。
ラフマニノフのチェロ・ソナタの全体的な特徴を挙げるなら、その豊かなメロディの美しさであり、息の長いフレーズが、ラフマニノフらしい豪華で時に圧の強過ぎるほどのピアノが支えているところ。第1楽章Lento – Allegro moderato、このメインテーマでもそうだ。だがまずはLento、曲の始まり方が非常に興味深い。ピアノはハ短調で始めたがっていそうだし、チェロはト短調で始めたいような素振りだ。この楽章では、両者は戦うというよりも、切磋琢磨し、刺激を与えあっているという感じで展開していく。途中、リズムの反復が目立つようになると、有名なピアノ協奏曲第2番の1楽章のメロディが流れていく様を彷彿とさせる。最後には、やや優勢とも言えるラフマニノフのピアニズムという圧倒的パワーと、チェロがまるでオーケストラの弦楽器群を代表するように巨大化したパワーがぶつかりあう。
第2楽章Allegro scherzandoは、暗いながらも劇的な雰囲気と、夢想的でメロディアスな雰囲気が交互に現れる。シューマンやショパン、もっと言えばシューベルトさえも思わせる音楽だが、ピアノは1903年に出版することになるラフマニノフの傑作「前奏曲集 作品23」のような音楽を先取りして弾いているようでもある。スケルツォであり、ノクターンのようでもあり、プレリュードのようでもあり、またファンタジーに近いものもある。
第3楽章Andante、長調と短調を迷っているピアノのイントロに、五度の2音からなるシンプルなチェロのメロディー。そう言えば君たちは1楽章の冒頭でも迷っていたし、その間も五度だったな、と思い出す。この楽章は、ここまで熱くなり過ぎて自分を見失ってしまいそうなピアノを、チェロが優しく嗜めながら包み込むような音楽。しかし内向的ということもない。ゆっくりと広がり、大きくなり、強くなり、鳴り響く。チェロという楽器の音色、あるいは音域の特徴だろうか、同じラフマニノフのピアノ協奏曲の緩徐楽章や、ヴァイオリンが奏でるヴォカリーズともまた違う「抒情性」があるように思う。徒に感情を駆り立てるのではなく、もっと慎み深いもの。これも特徴的な「五度」のおかげか、豊潤なのに透明感があって雑味雑音がない。焼き払い燃え上がる炎ではなく、穏やかにしかし熱量のある暖炉の火。そう、僕は暖炉の前で聴いているはずなのに、音楽は徐々に外へと広がり、冬の澄み切った空気の中に連れ出してくれるのだ。まるで、広々とした公園の真ん中で、一人心地よく、何にも妨げられることなく歌っているチェロ。寒いけど、暖かい。ああ、音楽とはこういうものだったなと、聴く度に思う。
第4楽章Allegro mosso、悩んだ分だけ楽しもうという祝祭的な雰囲気のある終曲、あふれんばかりのピアノの情熱と衝動に、チェロの民謡風の旋律も美しい。グラズノフやチャイコフスキーのようなロシア音楽の要素が色濃く出ている。ソナタの終わりとしては大変きれいにまとまっているが、結局のところ「まとまる前」のラフマニノフの音楽が抒情性の極致なのだろう。
これがこう、とはっきり言い切れないところ。あっちが良いのか、こっちが良いのか、わからなくて、悩ましくて、うまく言い表せない感情も、音楽になら委ねることができる。愛、希望、感謝などの言葉で表すようなものでもなさそうな、ほの暗いけど、大事にしたい感情を委ねられる、それがラフマニノフの抒情性かな、なんて思いながら、これもちょっと先日のテューバの演奏会に引きずられ過ぎているかもしれないとも思う。ロシアと北欧の音楽を北海道出身のテューバ奏者が冬の上野で演奏したら、どうしても、新潟生まれで吹奏楽経験者の僕は言葉にならない気持ちが湧き上がってきて、それを音楽に委ねてしまったのだ。
幼い頃、まだ雪も大好きだった頃、緑色の新幹線に乗って家族で上野動物園に旅行に来たのは、今でもぼんやりと覚えている。故郷の雪も随分見ていないかわりに、もはや見慣れてしまった上野公園と東京文化会館。それでも未だに、冬の青空を見ると関東の冬はよく晴れて凄いなあと、雪国生まれは思うものだ。新潟は好きだけど、帰って住みたいとは少しも思わない。ふるさとは遠きにありて思ふもの、帰るところにあるまじや……なんだけど、それはそれとして、先日は懐かしい気持ち、ちょっとセンチな気持ちになってしまったのだった。でもまあ、そのセンチな気持ちというのは、ロマン派音楽を聴くのにこの上なく絶妙な隠し味なのだろう。むしろ隠し味どころか、これが音楽鑑賞におけるメインなのかもしれない。好きだけど嫌いな、あの寒い寒い故郷の冬を思ってラフマニノフのソナタを聴くのは、とても温かい気持ちだった。
最後に、そんな音楽体験をさせてくれたテューバに感謝を込めて、編曲の話もさせてほしい。家に帰ってテューバ編曲版の録音を探したのだが、楽譜はあっても、録音は見つからない。CDはあるようだけども未入手なので、代わりにトロンボーンによる3楽章の録音を聴いた。↓のリンドベルイのものだ。とても感動した。チェロよりも素朴な音色で、また吹奏楽器特有の呼吸感(息苦しさ、などと言っては失礼ですね、リンドベルイは超上手いから)が、雪国の閉塞感とノスタルジーとを増幅させてくれた。テューバ録音も増えると嬉しい。
スマイル~リンドベルイ愛奏曲集
パル・リンドベルイ(Pf) (アーティスト), クリスチャン・リンドベルイ(Tb)
ショパン&ラフマニノフ : チェロ・ソナタ集 /ジャン=ギアン・ケラス、アレクサンドル・メルニコフ
ジャン=ギアン・ケラス (アーティスト, 演奏), & 3 その他
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more