ザバ 滅びゆく種族のための練習曲:永劫を一瞬に縮めて光るこの生命、この人間の魂は……

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ザバ 滅びゆく種族のための練習曲

万法は流転する。希臘の古哲 Herakleitos の此の言葉は詢に真理である。現世は無常であるが、それが故に私達も茲に新たに転生して、改めて神の栄光に浴する事を得た。この私達を生み出した大自然の力と愛とを思ふ時私達の頭は下る。永劫を一瞬に縮めて光るこの生命、この人間の魂は愛なしには片時も生きられぬ。―― 北原白秋。

最近ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」が、都内で(国内で?)、何箇所も同時発生的に公演があったらしい。なんで?今年ってトリスタン初演何年記念とかなの?たまたま? しかしすごいことだ、人気なんだなあと感心してしまったのだが、僕はこういうわけだしワグネリアンではないし別に行っていないので、あしからず。とか何とか言って実はトリスタン自体は、ワーグナーの中ではとても好きな演目である。なんと言っても本物の愛があるよね、たとえ歪んでいたとしても。


さて、僕は誰も話題にしないであろう「トリスタン」の話、カナダの作曲家トリスタン・ザバを取り上げよう。トロントを拠点とし、クラシック(現代音楽)だけでなく様々な芸術的挑戦を続けるザバ。とりわけ声楽や合唱のジャンルでは大いに活躍しているそうだ。
今回紹介したいのはアルバム“Unfinished Business”に収録されている「滅びゆく種族のための練習曲」(Études for a Dying Race)である。ザバの作詞作曲による4曲からなる歌曲集で、現代音楽の初演をいくつも手掛けるソプラノ歌手マッケンジー・ワリナーと、若きピアニスト、ポール・ウィリアムソンが録音している。歌詞はこちら


解説などが無いので正直言うとさっぱりわからない。だからこれは僕が自由に書いた感想になるのだけど、まあ、こういう世界もあるのかと思って読んでいただけたら嬉しい。でもどうせ、コンテンポラリーについてブログ書いたってアクセスなんかほぼ皆無だし、しかも歌曲の記事も人気低いので、重なったもんなら尚更読まれないと思っている。でも良いのだ、たまたま読んだ誰か一人でも刺さってくれたら、それで十分。
この曲はとにかくザバの詩がちょっと難しいというか癖が強いというか、まあ自由な芸術表現にほかならないのだが、独特の世界である。ギリシア神話の神々をタイトルに付けた4つの詩、第1曲が「ゼウス」、第2曲が「アテナ」、第3曲が「ハデス」、第4曲が「ヘラ」、それぞれの神の視点で書いたものでもなさそうで、シンボリックなタイトルに古風な言い回しと、古代神話の時代を彷彿とさせる。人間の力の遥か及ばないところ。ここで言うDying Raceが具体的に何を指しているかも定かではないが、この世界観から考えるに、滅びゆく種族とは主として我ら人類のことを指していると考えても良いのだろう。もっと抽象的な話かもしれない。ただ敢えて神と対置させるなら人間がいい。


第1曲は「ゼウス」、全知全能の神。どんなに夜が我らを捉えようとも、こちらは自信に満ち溢れた無敵の存在。目の前にあるのは常に希望、この大地をどんなに揺さぶっても落ちることなどない。という内容の詩(※すべて僕個人の見解です)、ここではまだ滅びの予感すらもないが、しかしそれこそが滅びの始まりでもあるのかもしれない。ソプラノは現代歌曲らしい自由さ、ピアノも即座に内部奏法が登場する。本物のハープでは本物の神が現れそうなところ、あくまで象徴的な神のご登場でならばチープさすら感じるピアノの内部奏法の方が合うのかもしれない。ピアノの低音の力強い音や変拍子ながらも強烈な調子で進む拍感など、やはり力の誇示、驕り高ぶるような様も感じられる。最後のアトラスのくだり、ここはスコアもIntense, with rubatoの指示で、実に感じの悪いやつ(良い意味で)を印象づけている。驕れる者久しからずただ春の夜の夢の如しなのだろうなと続く3曲の展開を想像する。人間にとって全能感なんてものは衰退の第一歩だろう。万物は流転する、盛者必衰の理。
第2曲は「アテナ」、文芸・技芸の神であり戦いの神。夜など知らぬと跳ね除ける前曲と違い、空模様は夜へと移り変わる。ああ我らは何をしているのだろうと生きる意味を問うているうちに、時は淡々と流れていく。希望はどこに、知らない知らない、この暗闇を迎えなければならない、変化は確実に現実のものに。という内容の詩(※個人の見解です)に、合わせる夜の音楽はややシャンソンのような趣き、しかし静謐さとシリアスさが常に充満するもの。Left to face this darkness?と繰り返す熱唱はこの曲、いや全曲の中でも一番の聞き所だろう。その後に続く静かなパートのピアノも、なぜか妙に泣かせる。こういう要所で挟む調性感も、歌詞を考えれば至極納得。無意味にぐちゃぐちゃした和音使って無意味に整ったハーモニーを入れてそれっぽい感じ出すだけのどっかのクソ現代音楽とは違う。歌手の吐き出すブレスも意味深くてとても良い。
第3曲は「ハデス」、冥府の神。闇の中も目を凝らせば何かが見えてくる、いや見えてしまうのだろうか、死の世界の住民は温かく迎えてくれるようだ。夜が明ければ、晴れた日が来れば、太陽が雲を追い払えば、また会えるのだろうか、わからない、全ては運命の決めること。という内容の詩、かどうかわからん、この詩はちょっと意味がわからんのだけど、音楽は非常に面白い。冒頭はスウィングしており、スキャットから入る。後半ではCabaret/Lounge feelとあり、そういうのが好きな人はちょっとウキウキしてしまうだろう。冥府のキャバレーとは一体どんなところかしら。歌詞までここだけちょっとポップなのが笑えてくる。まあでも、滅びていく過程らしいと言えば、そうなのかもしれない。三途の川沿いにある名店ならば常夜で一杯引っかけるのも悪くない、ある仲間はそのまま川を渡って向こうに還るでしょう、我らは此岸でもう少し、明るくなるのを待ちましょう。
第4曲は「ヘラ」、母なる女神。ありがたい説教も人間にはわかるようでわからない、確かなのは、滅亡の向こう側には不滅があるということ。神の決めた運命は受け入れなければならない、ならないのか、それすらもこの愚かな種族にはわからない。死神が吹けばすぐに消えそうな命の蝋燭、その火の中を、炎の海の中を逝くのだ、一瞬と永遠の命がある此岸と彼岸を……という内容の詩かどうか知りません!もう!意味不明です! まあそういうもんでしょ、詩って。ピアノの使用はごく限られており、ほぼアカペラである。Speech-likeという指示の部分と、Majesticallyの指示の部分があり、前者は神が否定命令をするところ、後者は「向こう側」を語る地の文であり荘厳に雄弁に真理を語っているところだ。シンプルな分、歌手の表現力が問われる。もっとも、第4曲だけでなく全体を通してそこかしこに細かく指示があるのは現代音楽らしいが、締め付けではなく幅を広げる指示であり、歌手の多彩な表現を魅せられる良い作品だと思う。ワリナー&ウィリアムソンの録音も当然素晴らしいが、もっと色々な歌手とピアニストに、それぞれの良さを存分に出して演奏してもらいたいと思える音楽だ。


そうした奥深さを持たせられるのも作曲者の腕前だし、何よりこのタイトル、テーマが良い。滅びゆく種族のための練習曲って、今までにない観点だろう。芸術家諸氏にとって、もちろん我々リスナーにとっても、重要で、とても良いエチュードである。何しろこの界隈は滅びかかってる気もするからね。まあ、滅んでしまったら練習曲なんて必要ないのだから、まだまだ生きているってことだ。人類も、芸術も、音楽も、滅んでほしくないじゃないですか。たとえ向こう側に永遠が見えたとしても、今この一瞬を生きたいでしょう、そうでしょう! だからこそ人間にとって、芸術にとって、最も大切なものを見失ってはならないのだ。永劫を一瞬に縮めて光るこの生命、この人間の魂は……。

Unfinished Business
McKenzie Warriner & Paul Williamson

愛の詩集 (愛蔵版詩集シリーズ) 単行本 – 1999/12/25
室生 犀星 (著)


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