タルティーニ ヴァイオリン・ソナタ ト短調「悪魔のトリル」:人間のカンタービレ

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ヴァイオリン・ソナタ ト短調「悪魔のトリル」

ジュゼッペ・タルティーニ(1692-1770)はイタリア・バロックの作曲家/ヴァイオリニスト。同郷ヴェネツィアの有名な音楽家ヴィヴァルディより20歳ほど年下である。知名度ではヴィヴァルディと比べものにならないが、この「悪魔のトリル」という曲ただ一つの存在のみによって、現代のクラシック音楽ファンにまで名が知られている。古楽ブームが起こる前から、多くの20世紀の名ヴァイオリニストたちがこの曲を取り上げ、録音し続けてきたおかげで、タルティーニは忘れ去られることなく「悪魔のトリルの人」というイメージで生き残っている。


この「悪魔のトリル」という曲は超絶技巧で人を魅了できるだけでなく、タルティーニの夢の中に悪魔が出てきて弾いた曲を朝起きたタルティーニがすぐに書き起こしてできたという、なんとも良い感じの逸話があるのもポイント高い。現代の奏者が演奏する際にも、聴き手に興味を持ってもらうのにうってつけのナイスなエピソードである。以前ヴェラチーニという作曲家について取り上げた際にも書いたが、ヴェラチーニのテクニックに衝撃を受けたタルティーニは、すぐ家に籠もってヴァイオインの猛練習に励んだというエピソードもある。

まるで「超絶技巧派」のような印象を与えるエピソードばかりだが、実際タルティーニはそのようなテクニック偏重に関して批判的な人物だったそうだ。文学と理論を愛し、教育にも力を入れた。50歳手前で脳卒中のため手に麻痺が残ったが、その後も後進の指導と執筆活動に生涯を費やした。


タルティーニが残した作品のほぼ全てがヴァイオリン協奏曲とヴァイオリン・ソナタで、オペラも教会のための音楽もほぼ作曲しなかった。なぜオペラを書かないのかと問われた際には、タルティーニは「人間の喉はヴァイオリンの指板ではないのだから」と答えた。音楽学者のRoger-Claude Traversは、タルティーニはロカテッリのような激しい技巧や、ヴィヴァルディのような演劇性と協奏曲の境界線を曖昧にするような、伝統から逸脱した音楽性を丁寧に避けて、独自の声を見出していたと指摘する。楽器法を追求することは人間の自然な声と歌のためであり、芸術は自然に近づくためのものと考えていた。タルティーニは友人に宛てて「私はできる限り自然に親しみ、芸術にはできるだけ近づきません。自然の模倣以外に芸術はありません」と書いている。詳しくは↓のCDの解説をどうぞ。

Concerto Veneziano
Carmignola


多くの20世紀の巨匠ヴァイオリニストがテクニック披露のために(もちろんそれだけではないだろうが)「悪魔のトリル」を取り上げ続けてくれたおかげでこの曲はタルティーニの代表作となった訳だが、他のタルティーニのソナタ等を聴くと、むしろこの曲の方が異質だとわかる。例えば、コンサート向きではないと思うが、かえって「25の小ソナタ」という無伴奏ソナタ集などに、自然を目指したタルティーニの本領が発揮されているように思われる。録音も数種類あるのでぜひ聴いてみてほしい。

Tartini: Sonatas Solo Violin Vol. 2
Crtomir Siskovic


それこそ「ヴィヴァルディは過大評価されている」ではないが、「悪魔のトリルは過大評価されている」と言いたくもなってしまう、けど、実際はそもそも大した評価すらされていないんじゃないかと思うので(ヴィヴァルディ比)、そんなことは言いません。それに、美しいカンタービレの魅力にも満ちている曲だと思う。「悪魔のトリル」と呼ばれる部分が現れるのは最後の方だけど、冒頭のメロディがもう、大変に美しい。きっとこの部分が美しくなかったら、この曲はクライスラーやハイフェッツはじめ、グリュミオーもオイストラフもメニューインも、他の多くの巨匠たちも取り上げることはなかっただろう。アレグロになると華麗な旋律、既に小さいトリルが連発される。ここを「小悪魔のトリル」とでも呼んで差し上げたいが、学者先生から「いやこっちはトリルでもそっちのはトリルではなく云々」と鬼のように怒られるかもしれないからやめておこう。このアレグロ音楽でそんなに装飾が必要なのかとツッコミを入れたくなるくらいだが、それはそれで良い味出してるし、普通にメロディが良いし、生まれるリズムやノリも心地よいから不思議だ。何なら終盤の「悪魔のトリル」の部分も、それと交互に現れるアンダンテの方が素敵だったりする。夢の中で悪魔が弾いたのは最後の悪魔のトリルのとこだけなのか、他の楽章も全部弾いたのか知りようもないが、悪魔と関係ない部分の方が魅力的だと僕は思う。人間のカンタービレの勝利だ。そもそも、悪魔が夢の中でという話だってフランスの天文学者ジェローム・ラランドが『イタリア旅行記』でタルティーニから聴いた話として書かれたもので、1713年に見た夢の話とされているが、実は1740年代の作品なのではと学者らは指摘しており、ラランドがいわば「盛ってる」のかもしれない。イタリアでPizza Diavolaを食べた思い出が混ざってしまったのかもしれないし、エイドリアン・チャンドラーとラ・セレニッシマの音盤はそれを暗に示しているのかもしれない……示していないかもしれない……! ともあれ暑くなって来ると、ピザでもつまみながらキンキンに冷えたビールを飲むのが日本の由緒正しき「悪魔的な」美味しさであるので、晩酌しながら聴くのも良さそうだ。話が大分逸れてしまった。それにしても、音楽では人間のカンタービレを得意とし、自然を敬い、著作では理論を究め宇宙の真理に到達せんとしたタルティーニが、後世では「悪魔のトリルの人」として歴史に名を残すとは、やはりこの人、本当に悪魔と契約しちゃったのかもしれない。

Tartini: “Diavolo” – 6 Violin Sonatas


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