アッテルベリ 弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 作品2/作品39
アッテルベリは自身の弦楽四重奏曲第3番について次のように語っている。
「最終楽章の初めの主題にも少し歴史があります。数年前、私はヨーテボリの母校のギャラリー(実際には存在しませんが)に座っている夢を見ました。私の隣に座っていたのは、他でもないシベリウスだったのです! 不思議なことに、私は手すりを指でトントンと叩いて聴衆にパフォーマンスをしました。夢の中ではとても良い音がしました。そしてあまりにも長い間演奏していたので、目が覚めたときにもトントンと叩いていたテーマを覚えていたのです。それが新しいロンド・フィナーレの最初の主題の初め16小節です。付点リズムで現れるのは、シベリウスのヴァイオリン協奏曲のフィナーレでしょうか?」
前々回の記事はタルティーニの「悪魔のトリル」で、夢の中で悪魔が弾いたというエピソードを持つ曲だが、今回は夢の中にシベリウスが出てきたというもの。タルティーニの夢と違い、別にシベリウスが弾いてくれたのではないようだが、夢で北欧作曲家の偉大な先輩にも聴かせた音楽ということで、悪魔のトリルのように小ネタとして盛り上がったりしないかしら。まあ、そんな小ネタなどなくても、つい先日、秋山和慶指揮広島交響楽団によって、アッテルベリのピアノ協奏曲(独奏:福間洸太朗)と交響曲第5番が演奏され、界隈は盛り上がっていたようである。後者は日本初演とのこと。僕もネットでそんな盛り上がりを見て、今回はアッテルベリにしようと決めたのだ。2013年に交響詩「川」について書いて以来、11年ぶりの登場となるスウェーデンの作曲家クルト・アッテルベリ(1887-1974)。今年は没後50年だそうだ。
僕が初めて聴いたアッテルベリの曲は有名な交響曲第6番、ドル交響曲とも呼ばれるコンクール受賞作品で、十数年前だったと思うけど、その当時はあまりに素晴らしい曲で大変興奮したのを今も覚えている。その後も好んで色々なアッテルベリ作品を聴いているが、先の広響のように日本初演されたりして国内での実演も増えているとは知らず。いや増えているのかたまたまなのかまわからないけど、話題になるのは喜ばしいことだ。ということで、アッテルベリはオケも良いけど室内楽も良いぞと、ここでアピールしておこう。
アッテルベリが15歳の頃、ブリュッセル弦楽四重奏団の演奏会を聴いて大いに魅了されたそうで、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第8番は生涯のお気に入り曲になり、自身もチェロを弾くアッテルベリにとって同カルテットのチェロ奏者ジャック・ガイヤールは生涯のお気に入り奏者になったという。ガイヤールはサン=サーンスのチェロ協奏曲を作曲者自身の指揮で演奏したこともあり、またショーソンの秘書を務めた経験もある名チェリストである。
グリーグ、ブラームス、ショパン、ルビンシテインらのチェロ・ソナタに早くから親しんだアッテルベリ。チェロ以外の弦楽器のための作品も若い頃から作っており、1905-06年、まだ10代の頃、友人たちと演奏するために弦楽四重奏曲を書いている。友人たちにはあまり好評ではなく(難しかったようだ)、1909年に演奏会で披露した後はお蔵入り。このOp.2とされる若書きの曲は第2,3楽章を除き破棄したものの、第1楽章の一部が第2楽章と同じ紙に残されていたため、アッテルベリが1937年にOp.39の四重奏曲を書く際そのOp.2の第2,3楽章と、残っていた第1楽章の主題も活かした新しい第1,4楽章を作曲。現代ではこれが一応「第3番」のナンバリングとなっている。
アッテルベリの弦楽四重奏曲は、この第3番よりも第2番の方が有名だろう。記事冒頭に挙げているCPOのディスクには両方収録されているが、第2番は他にもいくつか録音があるのに対し、第3番はほぼ見つからない。第2番は1916年に、交響曲を作曲している途中で書いたもので、作曲者いわくストックホルムの室内楽協会のレパートリーに関して抗議するためにナタナエル・ベリと互いに15分ほどの室内楽曲を提出する目的で作曲したものであり、ベリは自分史上最も保守的なピアノ五重奏曲を、アッテルベリは自分史上最も前衛的な弦楽四重奏曲を書いた、のだそうだ。この第2番は演奏時間も長過ぎないし、アッテルベリはかなり伝統的な作風なので、前衛的と言ってもそれがちょっとしたスパイスになるくらいなもの。北欧らしさもすぐに感じ取れる、奏者にとっては取り上げやすい都合の良い作品だと思う。良い曲なので知らない方は第2番もぜひ。一方、第3番は30分もある大作だ。しかし第2番以上に傑作だと僕は思う。こちらの方の演奏、録音も増えてほしいと思っている。広響の団員さん、いかがですか?
初演かどうかは定かでないが、1938年にストックホルムで演奏された際には、若かりし頃のアラン・ペッテション(1911-1980)がヴィオラ奏者を務めており、アッテルベリも演奏を賞賛した。評論家たちからも、今までのアッテルベリの作品の中でも最高のものと高評価だった。
第1楽章Allegro、若書きの主題を再利用し、新しく作った楽章である。ドヴォルザークのような濃厚なロマンティックさもあるが、フランクやフォーレ、ダンディ、ドビュッシーのような、フランスのカルテットを思い出させる柔らかな光も。しかしまあ、どこどこの国風、というのも少し違うような気もする。曲の終わり方も1909年の頃と同じにしているそうだ。
若い頃に書いた第2楽章Scherzoと第3楽章Romance: Adagioは、現存するアッテルベリ作品の中でも最初期の音楽とも言える。その早熟ぶり、彼の才能もよく伝わることだろう。スケルツォは速い動きもとても良いけど、特にトリオが良い。悲哀がたっぷりと込められているような、雰囲気抜群の音楽が味わえる。溜息をつきながら、苦しい心情を吐露するかのようだ。良いスケルツォだと思う。ロマンツァも若い頃の作かと思うと、いったいどんな青春を過ごしたんだろうと勝手に心配してしまう。ブラームス顔負けの重厚な音楽が繰り広げられる。大迫力のオーケストラにはない、こういう濃密さは弦楽四重奏ならではの魅力でもある。
夢でシベリウスに聴かせた第4楽章Allegro deciso、decisoははっきりと、思い切って、決然と、という意味。速い三連符と息の長いメロディ。どの楽器も、非常に美しい。当時の評論家たちはこの曲の民族音楽的な要素も評価したそうだが、この楽章ではどうだろう、シベリウスのヴァイオリン協奏曲の3楽章も思い出しつつ、グリーグなんかも思い出したりして。駆け抜けるような音楽からフーガ風のコーダへ。演奏会でも盛り上がること間違いなし、勢いと格式のあるフィナーレだ。
第2番もアッテルベリらしいと言えばそうだけども、第3番は様々な音楽的要素や作曲者自身の音楽の変遷も含む、深みのある音楽だと思う。少し長い分、良い音楽、良いカルテットを聴いたなあという満足感も大きい。コンサートのメインになる作品だ。もしこれが「夢に出てきたシベリウスが弾いてくれたのだ」とかだと、なんか神がかり的で話題性も大きいのだろうけど、そこまで強いエピソードじゃないんだよなあ……そもそもシベリウスとアッテルベリは12歳差、一回りしか違わない。後にアッテルベリの交響曲を、シベリウスも高く評価したそうだ。この弦楽四重奏曲も、きっと夢の中のシベリウスは褒め称えてくれただろう。
ATTERBERG, RANGSTRÖM String Quartet
Stenhammar Quartet
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more