ハチャトゥリアン クラリネット、ヴァイオリンとピアノのための三重奏曲:光と影が交差してマワルまわる

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ハチャトゥリアン クラリネット、ヴァイオリンとピアノのための三重奏曲


先日は近代美術館のトリオ展にちなんでカステルという18世紀スペインの作曲家の弦楽三重奏曲を取り上げた。ものすごくマイナーな作曲家だったので、もう一つおまけに有名な作曲家のトリオを挙げようと思う。剣の舞でおなじみのアラム・ハチャトゥリアン(1903-1978)が書いたクラリネット三重奏曲を紹介しよう。

ハチャトゥリアンの音楽というと、野性的で血湧き肉躍るような熱いオーケストラ音楽を想像しがちで、このクソ暑い時期には向かないような気もするが、そんなときこそ室内楽だ。また、今年特にオススメしたいのは、↓の音盤、ミカエル・アイラペティアンの弾くピアノ編曲集。おなじみの曲が華麗なテクニックのピアノで奏でられると気分もスッキリする。涼しい部屋で、水分摂りつつ聴くべし。

Khachaturian: Piano Transcriptions
Mikael Ayrapetyan


ハチャトゥリアンは僕の大好きな作曲家なので、ブログを始めたばかりの2008年にバレエ音楽「ガイーヌ」、2009年に交響曲第3番「交響詩曲」について書いているし、2012年には組曲「ヴァレンシアの寡婦」、そして2017年に「ヴァイオリン協奏曲」を取り上げている。結構書いているつもりだったけど、まだ4つしかなかった。そしてもう、2017年が7年も前だということに驚いている。最近書いたような気がしてたのに……。
クラリネット、ヴァイオリンとピアノによる三重奏曲はハチャトゥリアンが29歳のとき、モスクワ音楽院で学んでいた時期に書いたもの。ハチャトゥリアンの室内楽作品としては、それなりの長さがあるものとなるとクラリネット三重奏曲がほぼ唯一のものである。実はヴァイオリン・ソナタもあるが、ハチャトゥリアン自身があまり評価していなかったためあまり世に広まっていない。クラリネット三重奏曲の方は録音も多いし演奏機会もそこそこあるから、インターネット上でもそれなりに解説など語られているのだろうなと思ったら、思いの外少なくてまた驚いている。
ということで、記事冒頭に貼った「ハチャトゥリアン:室内楽作品集」において、ピアノを弾いているマリアム・ハラチヤンの研究成果を参考に、ここで少し語ろうと思う。


1932年、29歳でモスクワ音楽院に在学中していると考えると、ちょっと年齢が高いような印象を受ける人もいるかもしれない。ハチャトゥリアンは1922年にグネーシン音楽学校に入学と同時に、モスクワ大学で生物学も学んでいる、実は凄い人なのである。1929年にモスクワ音楽院へ入学し、ミャスコフスキーに師事。1933年には、モスクワ音楽院を訪れたプロコフィエフに、このクラリネット三重奏曲のスコアを見てもらっている。ハチャトゥリアンは当時のことを以下のように振り返っている。

「ある日(1933年)、プロコフィエフが音楽院に来て学生たちの作品を聴きたいと言っている、とミャスコフスキーが話したときの私たちの興奮は想像に難くないでしょう。約束の時間ぴったりに、プロコフィエフの背の高い姿が校長室の入り口に現れました。彼はミャスコフスキーと活発に話をしながら入ってきて、私たちが畏敬の念と好奇心の表情で見つめていることには気づかなかったでしょうね。私たちにとってもはや伝説的な名前である、世界的に有名な作曲家に自分たちの作品を提出して見てもらえると思うと、私たちは大いに緊張したものです」
「彼は私のトリオを気に入り、フランスに送る楽譜を私に注文しました。言うまでもなく私は大喜びでした」

Grigory Shneersonの著書“Aram Khachaturyan”(1959)による。プロコフィエフは楽譜を受け取ると、すぐにパリで演奏した。このクラリネット三重奏曲はソ連国外で演奏された最初のハチャトゥリアン作品であり、またアルメニア人作曲家による、いわゆる「クラシック音楽としてのトリオ」はこれが最初のものだろう。アルメニアの民族音楽の影響、特徴的なリズム、即興的なスタイル、舞曲的要素、そして自由に展開するメロディ。若い頃の作品だが、その後のハチャトゥリアンの音楽が有するものの全てがここで萌芽している。


第1楽章Andante con dolore, con molto espressione、悲しそうに、表現豊かにという指示。揺れるようなピアノはすでに悲しげな和音を響かす。クラリネットが主題を奏で、ヴァイオリンが装飾して歌が始まる。ハチャトゥリアンはあまり民謡を直接引用することはせず、自作の民謡風主題を用いることが多いが、この主題は“Yes qez tesa”というアルメニア民謡との関連が指摘されている。聴いてみると確かに似ているし、民謡でも悲しい恋が歌われているので、似たような精神性の音楽であることには違いない。
第2楽章Allegro、若さあふれる舞曲。初めのダンスは柔らかで優雅だ。後に作曲される数々の名曲でも聞かれるが、決して激しさだけではない、この柔和なリズムを持った美しいメロディもハチャトゥリアンの魅力だ。途中で短く幻想的なレントを挟み、今度はいっそう躍動感のある舞曲へ。激しさを増していくと最後は荘厳な大合唱のような雰囲気に。冒頭の舞曲に回帰して終わる。
第3楽章Moderato、穏やかなテンポで、音楽が繰り返されながら勢いを増していく、これもハチャトゥリアンらしい。クラリネット、ピアノ、ヴァイオリンと重なっていき、ますます自由なメロディ楽器。ピアノは打楽器の役割を担いながら邁進する。しかし最後には、まるで躍る群衆から離れていくように、一人別の道を歩み出して終わる。祭りが終わった後の帰り道のようだ。この終わり方もまた絶妙、プロコフィエフが高く評価したのも納得である。


クラリネットとヴァイオリンの美しい二重唱に、ピアノのリズム。ハチャトゥリアンの伝記を書いたヴィクトル・ユゼフォーヴィチが「リズムは彼の絵の具であり、イメージであり、劇的な展開の手段である」と書いているように、メロディ以上にこの曲ではピアノのリズムが肝になる。マリアム・ハラチヤンも演奏の際は南アジアの民族楽器であるドールという太鼓を意識したと語っている。
他のCD解説を見ても、このトリオは、ドゥドゥクというアルメニアのリード楽器と、イラン周辺で使われるケマンチェという弦楽器、そしてドールというハチャトゥリアンお気に入りの民族楽器を彷彿とさせると書かれている。そうした民謡、民族楽器の影響を考えて聴くのも楽しいし、リズムだけではなく、クラリネットとヴァイオリンの音色も聴きどころだ。ヴァイオリンの眩しく麗しい雰囲気と、クラリネットの素朴で曇り空のような雰囲気と、まさに光と影の交差する音楽。どちらがより優位に聴こえるか、あるいは絶妙なトワイライトを醸し出すか、様々な演奏で楽しもう。

Aram Khachaturian: Chamber Music
Mariam Kharatyan & Adam Grüchot


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