ドメニコーニ 地中海協奏曲 作品67
暑くなるとすぐに地中海に行く。行くと言っても音楽鑑賞での話だ。本当に行ったことはない。いつか行きたいなあ。それまでは家でオイルサーディンでもつまみながらレモンサワー飲んで音楽を聴くのが良い。あれ、なんか趣旨が違ってきそうだな、そういう話は別のコーナーでやると決めたんだ。
このブログは2008年開始。早くは2011年8月で、すでに地中海に避暑へ赴いている。ベルリオーズの序曲「海賊」について書いた。ベルリオーズが地中海の保養地ニースに滞在中、バイロンの『海賊』に影響されて作曲した序曲だ。
それからしばらくご無沙汰だったが、日本も暑くなってきたからか、2017年にロドリーゴのアンダルシア協奏曲について書き(これ書いたの夏じゃないけど)、2021年7月にはスーザの喜歌劇「選ばれた花嫁」について書いた。この喜歌劇は地中海が舞台だ。ここ数年は暑すぎるため、2023年7月にエスプラの「南のソナタ」、9月にはまだ暑いからと言ってカステルヌオーヴォ=テデスコの「3つの地中海前奏曲」を取り上げている。この調子だと今年は4つか5つくらい地中海ネタに逃げそうだが、僕が悪いんじゃない、暑い地球のせいである。
話題にするのがヨーロッパの芸術音楽なので、当然ながら地中海でもヨーロッパ寄りの音楽が多いわけだが、今年はちょっと気分を変えてアジア側、トルコの方へ行ってみようと思い、トルコに縁深いドメニコーニの「地中海協奏曲」にした。カルロ・ドメニコーニ(1947-)はイタリア生まれのクラシックギター奏者/作曲家。アドリア海にほど近いチェゼーナの街に生まれ、13歳でギターを始める。ペーザロにあるロッシーニ音楽院で学び、その後ベルリン音楽大学でハインツ・フリードリヒ・ハルティヒに師事。卒業後は同大学で長く教職を務めた。
ベルリンで教鞭をとっている間、ドメニコーニは足繁くトルコを訪問し、その文化に魅了されていった。1977年から1980年には実際に現地で研究活動を行い、イスタンブール大学国立音楽院で初となるクラシックギター科を設立、指導にもあたった。1985年に作曲した、トルコの聖人の名を冠した作品「コユンババ」はドメニコーニの代表作となり、多くの奏者たちに演奏されている。ソロや室内楽、協奏曲、教育的作品など、多くのギター作品を作曲。作風はトルコの音楽からの影響はもちろん、インドやブラジルなど撥弦楽器が盛んな地域の音楽に目を向けた、それらの影響が色濃く現れた作品が多い。
地中海協奏曲は2本のギターと管弦楽のための協奏曲で、1993年に作曲。ドメニコーニ自身が「美しく、毒のない」と言う通り、保守的な作風の音楽だ。地中海の海洋生物や沿岸の環境が破壊されているのを目の当たりにし、自然が尊重される世界、自然の美しさが人間の暮らしにとって必要不可欠だと認識される世界、そんな世界になってほしいというドメニコーニの思いが筆を走らせたという。本人はもちろん、音楽で環境を守るなどというのは夢物語であって根本的な解決にならないと自覚しているが、それでも願いが叶ってほしいと強く思っているとのこと。
日本に暮らしていると、地中海なんてどっちかというと憧れみたいなものしか思い浮かばず、あくまで僕は、あまり環境云々を意識したことはないが、地中海もキラキラなだけではない。まあ当たり前か。他所から見るのと当事者が見るのとでは別物である。音楽においても、地中海を描くクラシック音楽がどこかカラッとしていて明るいイメージなのは、ヨーロッパから見れば地中海は「南」だからだと思っているけど、トルコにとってはまた違うのだろう。もちろんトルコの南部ではあるけどね。ヨーロッパにおける位置づけとはまた異なる印象なんだろうなと、そんなことを音楽を聴きながら思った。
3楽章構成で、各楽章が10分ほど。30分近くある、それなりの大作だ。イントロから、いわゆる明るい太陽のイメージではなく、いかにも東洋的な雰囲気を彷彿とさせる。これは日本人の(あるいは僕の)固定観念なのかもしれない、勝手なイメージを浮かべるのが間違っているのかもしれないなと、そんな風にも思う。もしかするとトルコの人にとっては、明るい海を想起しがちな音楽なのかもしれない。もっとも、少し音楽が進むと僕にも明るい光が感じられる。スペインやイタリアとはまた違う雰囲気を持つ、けれども地中海のギター。マリンバや鐘の音も印象的だ。ギターと鍵盤楽器、そこに加わるフルート、明るい響きとアラベスク模様のようなリズム、ちょっと不思議な感じ。しかし何とも言えない、独特の魅力がある。ギターが主役でオケが脇役というコンチェルトは多いが、この「地中海協奏曲」は管弦楽の編成も大きく、まるで交響詩を聴いているかのようなスケール感を覚えるところも。ギターはさながらハープの役割を果たす場面もある。2楽章は緩徐楽章、オーボエのメロディを聴くとやはり、ここはトルコに近い地中海なんだと確信させる。2本のギターの噛み合い方、ときに全く噛み合わないようなデュオも面白い。おそらく伝統音楽での撥弦楽器の用い方も参考にしているのだろう。3楽章は舞曲風。どこか哀愁が漂うが、その哀愁もアンダルシアのような地中海の西の端とは温度感が全く違う。しかし、妙に良いのだ。何かこう、胸に迫るものがある。中盤のギターの掛け合いも良い。楽章を通して、テンポは時に揺れ動くが、常に波のような一定のリズム、グルーヴが意識される。終盤が訪れ、止まるように消える波、その直後にギターが再び主題を奏でると、不思議な感慨があるのだ。日出ずる海、地中海の極東レバント海の音楽的精神をここに見る……なんて言うと門外漢の勘違いか、良いように考え過ぎているだけにも思うが、どこか肌に合う気もしてしまう。
ドメニコーニ自身とマルコ・ソシアスのギターによって、イスタンブールで初演。ソシアスはその後何度も再演している。ベルリンではアマデウス・ギター・デュオが演奏し、記事冒頭のNAXOS盤も同デュオの演奏。同デュオのデール・カヴァナに捧げたドメニコーニのソロ作品も収録されている。彼女のために書いたという「青のトッカータ」(Toccata in Blue)も本当に良い曲、こちらをメインでブログ書こうかと思ったくらいだ。この曲は日本のギタリスト、河野智美さんも録音している。
リュクス
河野智美
CD解説で濱田滋郎さんが「特に讃えたいのが、彼女の選曲眼の素晴らしさ。何らかの意味で魅力的な曲目が精選され、それも余りに知的で教条的に思われるような前衛的作品は避けて、感性的・叙情的な満足感、加えて難技巧克服の満足感を聴き手と楽しく分かち合うような、充実しきったプログラムなのである」と選曲を絶賛しているのだが、そこに含まれている。僕ももっと早くブログ書いていれば、僕も濱田さんに褒められていたかもしれない。そう言えば、2021年にドメニコーニの「イスタンブールの雪」を取り上げてツイートしていた。こっちの方が地中海よりずっとずっと涼しくなれるかも。天国の濱田さん、褒めてください!
「イスタンブールの雪 Op.51a」は、1991年12月にイスタンブールで作曲。ペアになる曲「雪解け Op.51b」と合わせて、穏やかに雪が降る様子と、なんとも言えない哀愁を帯びた余韻と、どちらも巧みに描かれています。画像は適当に見つけたイスタンブールの雪。都内でも明朝は積もるらしい……嫌だなあ⛄ pic.twitter.com/bev14U0l4x
— ボクノオンガク (@bokunoongaku) January 23, 2021
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more