ブラームス 大学祝典序曲:明日はもっと楽しくなるよね

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ブラームス 大学祝典序曲 ハ短調 作品80

あんまりマニアックな曲ばかり書いていると客離れしそうなので有名な曲の話をしよう。そもそも客なんていない、なんてツッコミは結構。長く続けているので僕も立派なブロガー様であるが、別に客商売じゃないので気楽なものである。
ブラームスは好きな作曲家だから、年に一度くらいのペースでブログに取り上げても良いと思っているんだけど、なかなかそうもいかない。今回のように敢えて「有名作曲家の有名曲にしよう」と思い切らないと、世の中は沢山の知られざる傑作で溢れているからね。昨年書いた前回のブラームス記事「4つのバラードとロマンス」も有名ではないけど良い曲なので、ぜひ読んで、聴いてみてください。


さて、我が家の小学生たちは夏休みが終わったけれども、世の中の大学生はまだお休みかな。今回取り上げるのは、ブラームスの全作品の中で一番元気の良い音楽、「大学祝典序曲」だ。元気が良い、なんて僕の主観だが、反論できるものならしてみてほしい。色んな曲に色んな言い方ができるけど、一番元気モリモリなのはこれだろう、さすがに。別にブラームスの他の音楽に元気がないと言うつもりはないが。編曲以外のブラームスの管弦楽作品で、バスドラムとシンバルが使われる曲って他にあっただろうか。それだけでもこの曲が若さと元気とやる気に満ちていると言って良い。
元気があって人気もあるがゆえにプロはもちろん、多くのアマチュアや学生オーケストラがコンサートの開幕に用いており、必然的に日本語で書かれる解説文も世の中に豊富にある。検索すれば楽曲解説もいっぱい出てくるので、プログラムに楽曲解説を書く担当になった学生さんやアマチュアオケマンのあなたも、ここじゃなくてWikipediaとか色々見てくださいね。
原題はAkademische Festouvertüreで、日本語訳だと「大学祝典序曲」。元気が良いだけでなくて曲名に「大学」が入るから、きっと学生オケも好んで取り上げるのだろうが、この訳はいつから使われているのかしら。一応調べてみたけどよくわからず、楽報社の『音楽年鑑』昭和5年版には「ブラームス作大學祝典序曲」と記載があるので、それよりも前から使われていることは確かだ。元気だし曲名は大学だし正しく大学のオケにうってつけ。しかし当のブラームスは大学に通っていないので、そこの学生オケの諸君、もし学歴でマウントを取ろうだとか、高卒や専門卒をバカにしたりとか、そんなことを考えるようであればブラームスの前で己の浅薄な精神性を恥じ入りなさい。
ちなみにブラームス心の師であるシューマンは、二十歳そこそこのときはハイデルベルク大学で大いに遊び歩き、今の大学生たちと似たようなパーリーピーポーの愉しみを知ったわけだが、ブラームスはどうだろう。同じく二十歳そこそこの頃、1853年、大学都市ゲッティンゲンで同大学に在籍していたヨアヒムと過ごし、共に大学の講義を聴講したそうだが、そこできっと2個上のヨアヒム先輩から愉快極まる学生ノリを教えてもらったのではないだろうか。知らんけど。そんなブラームスの「ひと夏の大学生体験」はおよそ2ヶ月の期間だったという。なおヨアヒムは後に、ゲッティンゲン大学の思い出について、先生がオックスフォード大学の人だったので英語訛りはそこから学んだと語り、その後もイギリスでも長く過ごして英語がペラペラだったのに対し、ブラームスはずっと英語が苦手である。40代になって交響曲で作曲家として成功すると、1876年にケンブリッジ大学から名誉博士号を授与したいと申し出があったときも、船旅も式典も英語も苦手だからと断っている。その3年後、1879年にドイツのブレスラウ大学(現ポーランドのヴロツワフ大学、中欧の歴史ある名門校)からも名誉博士号の授与の話があり、それを受けたブラームスがお礼に作曲したのが「大学祝典序曲」である。


有名なドイツ学生歌“Gaudeamus igitu”を含む4つの学生歌が用いられており、ブラームスは大学祝典序曲について「学生の酔いどれ歌のひどくがさつなメドレー」と自虐風に言っている。学生歌の楽しいメロディがあってこそ、ブラームスの曲の中でも異質なほどに元気な曲になっているのだ。この「学生歌」というものが当時のヨーロッパ、特にドイツの大学生にとってどのようなものだったかは知っていても良いと思う。それぞれの歌について調べて書いているブログも発見したので良かったらどうぞ。


学生生活の様々な場面で歌われてきた学生歌は、真面目なシーンで歌うときもあれば、要は飲み会のコール的に使われていたこともあり、先輩は後輩にビールをひたすら飲ませ、新入生は吐くまで飲む、ぶっ倒れるまで飲む……そうした通過儀礼的な「新入生いびり」に使われた歌でもあるのだ。そういう歴史を詳しく調べたい人は調べてみてほしい。飲んで飲んで飲まされて、逆さ吊りにされて吐かされて、そしてさらに飲むという、現代の感覚から言わずとも、当時でも普通にやばい悪ノリである。今の日本の大学でも、さすがにそこまではいかないとしても、歴史ある大学なら尚更そんなノリが残っているだろう。でも減ってるだろうな、体育会とかはいまだに激しいのかしら。僕の母校の話だけども、大学のレセプションなどで昔からある学校の歌を歌う伝統はあったが、さすがに学生同士の飲み会で歌うことはなかったなあ。でも体育会とか、そういうとこでは歌っている人たちがいるという話は聞いたことがあるし、学生歌関係なく先輩から酒の洗礼的なものは受けたよね。あと大学じゃなくて高校の話だけど、旧制中学のノリである応援団が新入生をしごく儀式が残っていて、応援歌を全部覚えさせられて絶叫して歌わされたなあ。そんな、いわば「いじめることで仲間意識を高める」という古い風習、今や悪しき風習の、その象徴でもあったのが「学生歌」である。

「大学祝典序曲」の公式な初演は1881年1月4日、ブレスラウ大学の特別集会で、ブラームス自身の指揮、ブレスラウオーケストラ協会によって行われた。ここに集まった学生たちが受けた衝撃は、ちょっと現代人には計り知れないだろう。仲間たちと歌う楽しい歌であると同時に、悪夢のような酒宴の時をも思い出させるあの歌を、よもやブラームス博士が特別演奏会で披露するなんて。今の大学生諸君は、そうだな、イッキ飲みのコールが入ったオーケストラ曲でも想像してみたらどうかな。まあでも飲み会のコールは卒業式では歌わないからな……違うかな。よく考えたら、学生よりも驚いたのは真面目な大学の先生たちかもしれない。何人かはマジギレしてそうだよな、そういう記録残ってないのかな。
そんな訳だから僕は、大学に通ったことのないブラームス名誉博士がヨアヒム先輩からゲッティンゲンでその辺のことをちゃんと「身をもって」教えてもらったかどうかというところが気になるのだ。本人が体験しているのならば「酔いどれ歌のメドレーだ」と言うのも説得力がある。しかし自分は体験していないのに「あのバカ学生どもが騒いでいる、喧しい学生歌を入れてやるか、ははは……」的なノリで使っているのなら、ちょっと酷いと思うなあ。ブラームス博士は崇高なる学生文化の精神の体現者たりえるのですか、それとも盗用者ですか、どうなんですか!?


もちろん僕はブラームス信者なので、ブラームス博士の音楽は精神性を重んじるもの、盗用だなんてもっての外と信じておりますが、曲の冒頭からまんまラコッツィ行進曲風で、あれ、ちょっと信仰心が揺らいでしまうぞ。ブラームスはベルリオーズのラコッツィ行進曲が大好きだったそうだ。大学祝典序曲で度々用いられるラコッツィ行進曲風の主題の高音部分でタメを作る演奏もあるが、ここは学生歌じゃないのであまりタメない方が真面目なブラームス博士っぽいのではないかと思っているが、どうだろう。
曲の真ん中くらいに出てくる「ソドドドドドーレ」という「狐乗りの歌」とも言われる学生歌“Was kommt dort von der Höh’?”は新入生いびりの代表歌だったそうだから、心して弾き、心して聴くべし。それにしてもこの学生歌の部分は展開の仕方が非常に見事だ。学生たちは色んな意味で青ざめただろう。多分これで終わったら初演時は大ブーイングだったと予想されるが、最後に“Gaudeamus igitur”を持ってこられたら仕方ない、誰一人ぐうの音も出ないはずである。短い人生を楽しもう、今を謳歌しようと、祝祭的に大盛り上がりさせて終わる。駆け巡る弦楽器、炸裂する管楽器と打楽器、感動的なコーダだ。元の曲がそうだからだけど、やはりここで3拍子になるのが良い。マエストーソをいっそう際立たせる。


ブラームスにしては楽観的な曲だし、楽しい大学生活を送っている学生オケマンは結構なことであるが、そうではなくて「自分は悲劇的序曲の方がお似合いだ」と、上手く行かない人生を嘆いてる若者に一言贈りたい。それこそ二十歳そこそこのブラームスは、ハンガリーのヴァイオリニスト、エドゥアルト・レメーニと演奏旅行に行き、レメーニが敬愛するフランツ・リストの家に招待された際、リストの音楽が嫌いだったブラームスは一切関わろうとせず、レメーニの怒りを買い伴奏者をクビになっている。そこで、2ヶ月前にレメーニが引き合わせてくれたヨアヒムの元へ戻り、意気投合した二人はゲッティンゲンで充実した夏を過ごし、直後にヨアヒムの紹介でシューマンに会いに行くことになる。シューマンとの出会いがブラームスにとってどれほど重要かはよく知られる通りだ。
伴奏ピアニストをクビになったから「大学祝典序曲」が生まれた、と言えば言い過ぎかしら。ブラームスはレメーニからジプシーの音楽を学び、それが名曲「ハンガリー舞曲集」に繋がったのだから、クビにならなければそういう音楽が増えていたかもしれない。わからないものだ、本当に。失敗や辛いこと、嫌なこと、悲しいこと、それにも全て意味がある……なんて簡単に断言するつもりは全くないが、人生はどうなるか、ある程度の年齢になったって、わからないものなのだ。僕は学生の頃、女の子にフラレて悲しかったときはひとりでワインをガンガン空けたけども、辛いときは歌でも歌って、グッと飲んで飲んで切り替えて行くべし。あ、でもあんまり飲ーんで飲んで、とか言うのはもうダメな時代かな。お酒じゃなくてお茶でも飲んで、ゆっくりしようじゃないか。このブログには案外沢山記事があるから、読ーんで読んで、読んでくださいね。

B(べー)ブラームス20歳の旅路 (1)
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