ブラームス 4手ピアノのための「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲」作品23
にわかに秋めいて来て、ブラームスがよく似合う季節になってきた。昨年の秋には大学祝典序曲、一昨年の秋には4つのバラードとロマンスという歌曲を取り上げてブログ書いている。
今年は、ブラームス作品の中でも特に秋冬シーズンに聴きたい、じんわりと心に染み渡る作品を取り上げよう。4手ピアノのための「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲」である。
ブラームスの連弾作品というとやはりハンガリー舞曲が最初に思い浮かぶ。それ以外となると途端にマイナーになってしまい、歌の伴奏か編曲ものしかないし、数もそう多くはない。また、4手ではなくピアノ独奏用に書いたシューマンの主題による変奏曲(op.9)も存在する。そちらの方は今回取り上げる4手(op.23)とは別の主題を用いた曲。シューマンがライン川に身投げし、エンデニヒの療養所に収容されている頃に書かれたもの。夫不在かつ身重だったクララも、また療養所にいるロベルトも、両者ともにブラームスから送られた変奏曲の楽譜を見て喜び、称賛している。
今回紹介する4手のための変奏曲では、ブラームスは俗に「天使の主題」と呼ばれているシューマンの主題を用いている。それはシューマンが投身自殺を図る10日前、2月17日~18日の夜、夢に現れたシューベルトとメンデルスゾーンの亡霊が歌った歌を書き留めたもの。なおその後、シューマンの夢(幻覚)の中では、音楽の天使たちは悪魔へと変わり彼に襲いかかり、自分は罪人で地獄行きだと苦しみ続け、聖書を読み耽ったという。そうして27日にはライン川に向かってしまうのだった。
音楽の天使が歌った主題と言いつつ、前年(1853年)に自分で書いたヴァイオリン協奏曲の2楽章の主題とそっくりなのだが……シューマン自身もこの主題でピアノ独奏のための変奏曲を作っており(ライン川に飛び込む直前に書き始め、救出された翌日にも書き進めている)、Geistervariationen、亡霊変奏曲とか、天使の主題による変奏曲とか、最後の楽想による幻覚の変奏曲というタイトルで書かれる。夫の名誉のためというクララの意向もありこの変奏曲は出版されず、クララは楽譜こそ残したものの、ブラームスと共同編纂した1893年刊行のシューマン全集では「主題」のみ収録、全曲が出版されたのは1939年のこと。

MOZART SCHUMANN
Fantaisies
PIOTR ANDERSZEWSKI
クララにとっては非常にデリケートな扱いの主題であり、そして神聖な主題もであった。1861年にブラームスが4手ピアノのための変奏曲にこの主題を使いたいとクララに伝えた際、クララは主題の作曲時期を明かさないでほしいと頼んだほどだ。
シューマンの自作変奏曲を聴いてからブラームスの方を聴くのが順番的には正しいだろうが、まあ、どちらが先でも構わない。シューマンの方がそんな大変な状況下にも関わらずまともな変奏曲になっていると個人的には思う。ブラームスの方は1863年に完成、それこそ4手である利点を活かしたスケールの大きな音楽だ。主題と10の変奏で、演奏時間は15~18分ほど。
主題はLeise und innig(静かに、そして親密に)と指示が書かれている。そもそも、この主題が大変に美しいのである。二部構成で、前半ももちろん美しいが、後半で動きが大きくなったフレーズ、跳躍して上がってから下がってくるフレーズの2連続、これがたまらなく良い。心地よく歌うテンポでも、それこそシューベルトやメンデルスゾーンのような旋律の魅力が表れるし、シューマンの状況やクララの思いを慮るなら、重たい演奏をするのもわかる。柔らかな16分音符で飾られる第1変奏の後、行進曲風の第2変奏からもう主題は見えなくなり、自由な展開が繰り広げるられる。第3変奏は完全にブラームスの世界に入っている。ブラームス好きにはたまらないだろう。複雑だが優雅さも備えた音楽。第4変奏は短調になる。セコンドの低音の動きからは葬送行進曲のような雰囲気が醸し出される。第5変奏は8分の9拍子、ロ長調に変わり、優しく美しく、どこか感傷的ですらあるワルツのようだ。第6変奏は快活で陽気な音楽、プリモは跳ねまわまり、セコンドは連符で駆け回る。それもあっという間に終わると第7変奏はやや落ち着いて、高音部と低音部が交互に繰り返される音楽。
第8変奏は面白い。ト短調で、それこそハンガリー舞曲のような、民謡的な味付けが出てくる。第9変奏は激しいハ短調、素早い音階に強い和音。第10変奏はぐっとテンポを遅くして、壮大なコラールのよう。セコンドが低音でティンパニの連打のような音を入れるのが面白い。最後の方になるとシューマンの元の主題も現れ、静かに消えるように終わる。
早々に主題は姿を消すので、最後に再び現れてくるのは効果的で感動的だ。主題は消えるが、和声や二部構成なところは崩さない。ヘンレ版のページには「1861年に作曲されたこの変奏曲は一種の葬送行進曲で終わり、亡き友人への哀愁に満ちた別れとも解釈できる」と書かれている。最後の変奏を葬送行進曲と取るかはなんとも言えないが、少なくとも第4変奏はそうだろう。シューマンへの別れなのも納得できる、しかし哀愁に満ちたというほど悲しくメランコリックかというと、そこもなんとも言えないところ。第4変奏の葬送行進曲も、第10変奏の讃美歌のような悲歌にしても、そこに哀愁もあるだろうが、シューマンに対する称賛や賛辞の色が濃いように思う。

シューマンの娘ユーリエに献呈。ユーリエと言えば、シューマンの娘たちの中で、病弱だが一番美しいと評判であり、ブラームスの「アルト・ラプソディ」作曲のきっかけになった人物でもある。1869年、ブラームス36歳、ユーリエは24歳、当時ブラームスはユーリエに若きクララの面影を見出し、ほんのりと恋慕の情を抱いていたそうだが、そうとは知らない母クララはユーリエをイタリア貴族と結婚させてしまう。ブラームスはもやもやを大爆発させ、アルト・ラプソディの作曲に注力した。というようなことをブラームスが友人に語ったそうだ。
このシューマン変奏曲を書いたのは1863年、ブラームスが30歳、ユーリエが18歳、すでにユーリエのことを意識していたのかもしれない。だから「純粋なるロベルトとの別れの音楽」というよりは、なんかもっと、邪な気持ちがあったかもしれないよね。邪って言ったら失礼か、純愛かもしれないし。そこは想像の域を出ないけど、貴女の父そして私の師であり友人のロベルトはこんなにも素晴らしい音楽家で、そして私自身もまたこれほどの創造力がある音楽家なのですと雄弁に語るような作品だと思う。同じ時期に書いたヘンデル変奏曲が金字塔であり傑作なのは間違いないし、独奏と連弾の違いもあるし作品の規模も違うが、あれほどの変奏曲がある一方でこういう変奏曲を書くのには、何か意図があるだろうと、そう思わずにはいられない。30歳で18歳に手を出したら、現代だったら一発アウトかな。アウトだからこそ、芸術という都合の良いものがあるのではないか。まあ知らんけどね。「いつか一緒に弾きましょう」くらいは思っているんじゃない? この曲、やたらプリモとセコンドで音が重なるのも……なんて、僕の方が邪かしら。天国に行けばシューベルトやメンデルスゾーンの歌が聴けるようだが、ダメっぽいな。天使と悪魔が、あなたを天国に連れて行くの!いや地獄行き。
Author: funapee(Twitter)都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more







