ムソルグスキー 忘れられた者:心を燃やせ、歯を食いしばって前を向け!

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ムソルグスキー 忘れられた者

このブログでは初登場となる、モデスト・ムソルグスキー(1839-1881)。初って、おいおい嘘だろ……なんか展覧会の絵とか、てっきり書いてる気になっていたわ。ということで、今回は2008年にブログ始めて以来、始めてムソルグスキーの曲を取り上げる。タイトルの「忘れられた者」とは、僕が長年ブログに書き忘れていたムソルグスキー本人のこと、ではない。彼の歌曲のタイトルである。

実は何年か前からロシア歌曲に興味が出てきて色々聴いたりしているのだけど、ちょうどそういう話もブログやTwitterでしようかなと思い始めた頃に不届き者の指導者がアホな戦争を始めたせいで、そういう雰囲気でなくなってしまった。
昨年はボロディンの歌曲についてブログ書いたので、興味のある方はどうぞ。

別に自粛する必要も何もないのだが……特に僕のように個人で楽しんでいるだけの人間ならなおさら。2022年2月からしばらくの間は、様々な場面でロシアの作曲家が敬遠されていた。そうであればなおのこと、ムソルグスキーの「忘れられた者」のような、強烈な反戦歌であればむしろ盛んに演奏されてしかるべきだったのではないか。実際のところどうだったのかは知る由もないのだけれど。
今回取り上げる「忘れられた者」は、ムソルグスキーが詩人アルセニイ・ゴレニーシチェフ=クトゥーゾフ(1848-1913)の詩に音楽を付けた短い歌曲で、この両者は戦争画家ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン(1842-1904)の絵画に触発されて作詞・作曲している。ゴレニーシチェフ=クトゥーゾフはムソルグスキーの歌曲集「死の歌と踊り」の作詞者と同じである。二人は遠縁の親戚だったそうだ。歌曲集「死の歌と踊り」はショスタコーヴィチはじめ管弦楽編曲もあるので、もう少し有名だろう。

ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン(1842-1904)。画像掲載元:Wikipedia


戦争画家ヴェレシチャーギンは何度も従軍し、戦場で見たものをその通り描いた。ときにはプロパガンダに用いられることもあったが、後半生は平和主義者として戦争の悲惨さを絵を通して伝えた。生涯を通して戦争画家として活動し、1904年、日露戦争で従軍した際に戦艦の中で戦死している。
1871年に彼が描いた絵、その名も「忘れられた者」が、1874年のサンクトペテルブルクで開催された展覧会で発表される。ムソルグスキーらはそこでこの絵を目にし、大きな衝撃を受けて自身の芸術のインスピレーションとなったのだ。その絵が↓である。1枚目の方が「忘れられた者」で、2枚目は同じ「トルキスタン・シリーズ」の絵である「戦争の賛美」(戦争の結果、と訳されることもある)で、ヴェレシチャーギンの最も有名な代表作。当時のトルキスタン遠征を率いたカウフマン将軍はヴェレシチャーギンを贔屓にし、彼を従えて多くの絵を描かせ、個展の開催も支援した。

忘れられた者
戦争の賛美

多くの人がこの絵を見にきており、当時の皇帝も来場し、この絵を見て「我が国の軍には同朋の遺体を異国の地に置き去りにする者はいない」と批判した。それを知ったヴェレシチャーギンのパトロンであるカウフマン将軍は激怒し、こんな絵は嘘だ、彼の妄想で書いたのだと公然と批判した。これを含む3作品が展覧会から撤去され、後に画家自身の手によって焼却破棄された。自身の絵を嘘呼ばわりされ(それも支援者であり共に戦場に赴いている将軍に、しかも後付けで、である)、ヴェレシチャーギンはかなり精神的に参ってしまったという。絵が燃やされたというニュースが広まると、多くの民衆は政府に怒りの声を上げたそうだ。だから上の「忘れられた者」の方の画像は現存する絵ではなく、スケッチから復元したものである。


絵は焼けてしまったが、芸術家たちはその絵を自身の芸術で表現しようとしたのだ。ゴレニーシチェフ=クトゥーゾフによる歌詞は↓

Он смерть нашел в краю чужом,
В краю чужом, в бою с врагом,
Но враг друзьями побежден,
Друзья ликуют, только он,
На поле битвы позабыт,
Один лежит.

И между тем как жадный вран
Пьет кровь его из свежих ран
И точит незакрытый глаз,
Грозивший смертью в смерти час,
И, насладившись, пьян и сыт,
Долой летит –

Далеко там, в краю родном,
Мать кормит сына под окном:
«Агу… агу! Не плачь, сынок,
Вернется тятя, – пирожок
Тогда на радостях дружку
Я испеку…»
А тот забыт один лежит…

死を彼がむかえたのは異国、
異国での敵との戦のさなか。
敵は友らによってたおされ、
友らは勝ちどきをあげるが、 彼だけは
戦場に忘れられて、
ひとり横たわっている。

そして、貪欲なカラスが
生傷から血をすすり、
開いたままの目玉をつつく、
最期の時にも死神を脅かす目を。
飲み食いにあきて満足した後、飛び去っていく――

遠く離れた故郷では、
妻が窓べで子に乳をやっている。
「よし……よし! 泣くのをおやめ、坊や。
お父ちゃんは帰ってくるよ――ピロシキを
そしたらお祝いに焼こうじゃないか……」
だが彼は忘れられ、ひとり横たわっている。

日本語訳は僕が複数の訳を参考にして書いたもの。2分ほどの短い歌曲なので、ぜひ空いた時間に聴いてみていただきたい。
さながら葬送行進曲のような暗さがあるが、この短い中でも2つの場面のコントラストがはっきりしている。悲痛な戦場の様子が語られる前半、позабыт(忘れられて)にレガートが書かれているのにも胸が痛む。後半の故郷の母子の優しい子守唄は美しい旋律、細かくクレッシェンド/デクレッシェンドが書かれ、ニュアンスも大事にされている。
戦士する兵士が故郷を思うという、ある意味ではコテコテ過ぎる内容ではあるが、まあ一年に一度、誰もが平和を祈るような時期にはなおさら、このくらいのものが良い。もっとも、徴兵制に賛成とか言っている候補者が首都で大量得票して当選するようでは、このくらいコテコテな反戦歌も年に一度どころか毎夜毎夜歌った方が良いのかもしれないが……政治家先生にはぜひ、我が国の軍人は蛮行などしなかったのだと都合よく解釈するロシア皇帝のような態度はおよしになっていただいて、また「自国民が」ではなく「当の自分自身が」カラスに生傷と目玉をほじくり返されたらどうなのか、そのくらいの想像力は持っていただけるとありがたい。


ロシアの兵士が戦場で倒れ、カラスにつつかれながら最期に故郷を思うという歌は、実はこれ以外にもあり、ロシア民謡「黒いカラス」という歌がそれにあたる。1831年にヴェレフキンという兵士がそういう詩を書き、それが軍の雑誌に掲載され大衆誌にも載ると瞬く間に流行し、軍やコサックたちの間で歌われるようになったそうだ。それから歌詞が変わったりしながら、映画でも使われたりと、民謡・軍歌として今も知られている。
歌詞の内容はとても近いけれど、音楽は全く別物だし、おそらくムソルグスキーの歌曲とは全く関係のないものと思われる。その辺の関係についても調べようと思ったが、両者を並べて書いているものは見つからなかった。各々が各々の場所で作られていったのだろう。
まあ情報がないのは「黒いカラス」に比してムソルグスキーの「忘れられた者」の知名度が圧倒的に低いからだと思う。「黒いカラス」は色んなページで日本語でも紹介されているので検索してみてください。一応、一つ紹介しよう。「赤軍合唱団のページ」に解説がある。しかしすごい名前のホームページだ。リンクはこちら


ムソルグスキーとゴレニーシチェフ=クトゥーゾフはこの作品での共作を機に、この後もいくつかの作品を共に生み出していく。そこまで知名度はないものの「忘れられた者」は録音も結構あり、男声はもちろん、後半の子守唄を考えると女声でも良いし、色々と鑑賞できて味わえる、珠玉の名曲である。絵は燃えてなくなってしまったが、その炎はまた別の芸術家たちの心に火を付けたのだ。きっとまた、誰かの心に火を灯してくれるだろう。

蚤の歌〜ムソルグスキー&ラフマニノフ:歌曲集/パータ・ブルチュラーゼ(バス)


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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