ダヴィッド トロンボーン小協奏曲 変ホ長調 作品4
2025年のバンベルク響来日公演の演目でTwitterが盛り上がっている。クラオタ諸氏が言うには良くないようで、人気ソリストを迎えた協奏曲との抱き合わせ販売も気に入らないと。ああ、まあね……。いや、拙者オタクではござらんのでよくわからんけども、オタクには刺さらないプログラムのようだ。バンベルク響は伝統のある良いオケだとして、やはり日本でのバンベルクという都市の知名度の低さは集客にも影響するのだろう。せめて名前に「バイエルン」とか何か有名ワードが一つでも入ってたら、それらしくなって「クラシック、私、詳しくないけど、聴くのは好きですよ、あーら奥様、ヨーロッパの有名な街のオーケストラが来日されるんですって、聴きに行きませんこと?」みたいな人たちもチケット買ってくれるのかもね。しらんけど。あまりにも「バンベルク」が「バンベルク交響楽団」以外で耳にしない名前なのは、日本での訴求力にかかわるだろうなあ。
それはそれとして、では何の演目だったらオタクが満足するのか。拙者オタクではござらんので(以下略)、ただまあ、ベートーヴェンの7番とブラームスの1番なんていう飽きるほど聴いた有名曲では満足できんと憤慨するバンベルク響に熱い情熱を抱くクラオタ諸氏や、三浦氏やかてぃん氏のコンチェルトなんてこれっぽっちの興味のかけらもないわと忌避する熱いコンチェルトオタク諸氏は、きっとバンベルク響にフェルディナンド・ダヴィッドのトロンボーン・コンチェルティーノをやってほしいと思っているに違いない。そうでしょ? わかる、わかるぞ、君たちの心の中は。そこのクラオタ氏よ、10月にセーゲルスタムが逝き、悲しみに暮れてペンティネンやリンドベルイと共演したバンベルク響のBIS盤録音を取り出して聴き直したんでしょう。CDが擦り切れるまで聴いたであろうこの名盤に、再び感動の涙を流したことでしょう。ああ、ああ、バンベルク響でダヴィッドを聴きたい!と、そう思ったことでしょう。うんうん、僕もそうだよ!
はい。おふざけはこのくらいで終わりにして、フェルディナンド・ダヴィッド(1810-1873)の協奏曲の話に移ろう。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の初演者であり、ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターを務めたことでも知られる、フェルディナンド・ダヴィッド。あまり現代で彼の作った音楽が取り上げられることはないが、1837年に作曲したダヴィッドのトロンボーン協奏曲は、現代でもトロンボーン奏者たちにとって貴重なロマン派のレパートリーである。音大のトロンボーン専攻では皆が通る道のようで、よく知られている曲らしい。
カール・トラウゴット・クヴァイサーという、当時のゲヴァントハウス管のトロンボーン奏者のために作曲された。このクヴァイサーという人は首席ヴィオラ奏者も務めていたらしい。ヴィオラとトロンボーン兼任という、現代ではおよそ考えられないけれども、他の楽器も独学で大体できたらしいから、当時基準にしたって凄い人物だったのは間違いないだろう。シューマンは彼のことを「トロンボーンの神様」と呼んだそうだ。1836年にイエナで行われた音楽祭ではゲスト奏者がクララ・シューマンとクヴァイサー、1841年にハンブルクで行われた音楽祭のゲスト奏者はフランツ・リストとクヴァイサーだそうで、どれだけ尊敬を集めた奏者だったか想像できるというもの。
同オケの指揮者を務めていたメンデルスゾーンもクヴァイサーの演奏技術に感激し、協奏曲の作曲を約束するが、父の死や自身の恋愛などの事情で結局書けず、コンマスのダヴィッドが代わりに作ることになった。なおクヴァイサーとメンデルスゾーンの逸話で、クヴァイサーがメンデルスゾーンの「讃歌」のフレーズで頭っからターンをぶっ込んで吹いてメンデルスゾーンが激怒したという話がある。真偽不明だがめっちゃ面白い。どこで入れたかしらんけど、マジでド頭かしら。いやあ、そこターンは絶対ダメだろ、想像しただけで爆笑である(笑)
ダヴィッドは演奏するのがメインで作曲はそう多くなく、自作オペラが失敗してからはもっぱら他の作曲家の編曲作業しかやらなくなったそうだが、メンデルスゾーンの代理で書いたこのトロンボーン協奏曲は初演から大成功、ドイツ国内だけでなく広く人気になった。この曲の2楽章は葬送行進曲であり、ダヴィッド自身の葬儀ではピアノ伴奏に編曲した版が演奏されたほか、ダヴィッドの追悼演奏会でも協奏曲が取り上げられた記録がある。3楽章合わせても20分に満たない小協奏曲だが、初期ロマン派の魅力にあふれた、ダヴィッドの最高傑作と呼ばれても不思議でない音楽だ。
1楽章Allegro maestoso、オーケストラの序奏から、いかにもこの時代という感じがして気分が良い。トロンボーンの登場も華々しくて非常にカッコ良い。徐々に高音に登っていくソロ・フレーズ、心も舞い上がるようだ。叙情的な歌もとっても素敵。弦楽が奏で、そしてトロンボーンが深みのある音色で再び奏でる、感動もひとしおである。カデンツァを経て次の楽章へ。
2楽章Andante marcia funebre、この楽章が本当に良い。全体的にはメンデルスゾーンよりも渋い雰囲気の音楽だとは思うが、ダヴィッドのその渋さが、軽やかさではなく厳粛さが求められている音楽にはよく合う。決して退屈ではない。もっとも、これが倍の時間あったらそう思ってしまうかもしれないが、そう思わせない分量だけしかないのも良かったかもしれない。トロンボーンも高音から低音まで満遍なく聞かれ、美しい歌の音楽をなす。
3楽章は再びAllegro maestoso、この楽章も勇壮な音楽でとてもカッコ良い。やはり協奏曲はソリストが映えてナンボだなあと、惚れ惚れする。強く鼓舞するようなフレーズから、優しく慰めるようなフレーズまで、トロンボーンの奥深さを味わえる。ダヴィッド、作曲の方では全然知られないのに、こんなにもリリカルな、まあ今風で言えば「エモい」フレーズや和声進行をバンバン出してきて、ちょっと想像以上に作曲の方もスキルフルな人だったんだなと驚いてしまう。ゲヴァントハウスのコンマスは伊達じゃない。
しかし残念なことにこの協奏曲のオーケストラ・パートの原譜は紛失している。ドイツ生まれでアメリカに移住し活躍したトロンボーン奏者、ヨーゼフ・セラフィム・アルシャウスキー(1879-1948)が、1923年11月18日にフリッツ・ライナー指揮シンシナティ響とこの曲を演奏した後、楽譜を持ち歩きそのまま紛失したと考えられている。ブログ冒頭に貼ったリンドベルイの演奏は彼自身がピアノ版から復元したもので、他の奏者もそれを用いることが多いようだ。作曲家ダヴィッドの真の姿を拝めないのは悔しいけれど、それでも素晴らしい作品である。音楽史的にはここからしばらくトロンボーン協奏曲は脚光を浴びず、1877年のリムスキー=コルサコフの作品の登場を待つこととなる。ドイツ初期ロマン派、ある意味ではクラシック音楽におけるボリュームゾーンにあたる時代に、素晴らしいトロンボーン協奏曲を残してくれたダヴィッドに感謝しよう。これ一つあるのと無いのとでは大違いだ。ダヴィッド、良い仕事してますねえ!
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more