フローラン・シュミット 組曲らしからぬ組曲:フランスのエスプリ

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フローラン・シュミット 組曲らしからぬ組曲 作品89

「フローラン・シュミットは、あなたが聞いたことのない最も重要なフランスの作曲家です。熱狂的で、陰鬱で、驚くほど美しく、シュミットの言語は深く個人的なものであり情熱的でありながら、極めて緻密で洗練されていて、捉えどころがありません」

アメリカの指揮者、ジョアン・ファレッタはこのように評した。またオリヴィエ・メシアンも「彼の偉大さについて言い争うなど私には考えられない」と敬意を示す。今回はそんな偉大なフランスの作曲家、フローラン・シュミット(1870-1958)を取り上げよう。


2月にカントルーブの組曲「高地にて」を取り上げたときも書いたが、Hyperionレーベルのサブスク登場で多くの人が気軽に聴けるようになった今、Hyperionレーベルでしか聴けない曲は積極的に紹介したい。もちろんイギリスの音楽が多いし、僕もイギリスものを中心に色々買った。買っただけに、サブスクで見かけると切ない気持ちになってしまい……という理由ではないけども、イギリスではなくまたしてもフランスの作曲家だ。
このブログ読者諸氏には不要な注意かもしれないが、オーストリアの作曲家フランツ・シュミット(1874-1939)ではない。同じ姓で、同じ時代に活躍し、名前のイニシャルも同じなので、フルネームで書かれることが多い二人。どちらも好きだけど、フランツより先にフローランを書くことになったのは、やはり好みが出ちゃったなあと自分でも思う。フローラン・シュミット、音楽もヤバいが人格もヤバい、「無責任な狂人」や「アルデンヌの猪」と呼ばれた、なんかヤバい作曲家なのだ。


吹奏楽経験者であれば「ディオニソスの祭り」という古典作品でフローラン・シュミットの名前を知る人は多いだろう。↓のような吹奏楽古典名曲集CDにホルスト、ヴォーン=ウィリアムズ、ミヨー、グレインジャーらと並び収録される中で、その吹奏楽の名曲「以外」の作品がどのくらい知られているかという点では、多分最も知られていないクラシックの作曲家だと思う。

ディオニソスの祭りー海外オリジナル作品集 1


記事冒頭に貼ったHyperion盤の解説でも、繊細な色彩や簡潔な機知を思い起こす「フランス音楽」がラヴェルやフォーレ、サン=サーンス、プーランク、そしてフランセやドビュッシーなどである一方、豊富な色彩や異国情緒、野蛮さ、強さのある伝統もまた「フランス音楽」には存在し、それはベルリオーズやフェリシアン・ダヴィッド、ルーセル、ジョリヴェ、メシアンが挙げられると書かれている。前者はアポロン的、後者はディオニソス的だとも。ベルリオーズの吹奏楽曲の流れを汲む名曲「ディオニソスの祭り」を残したフローラン・シュミットは、まさしくそのフランスのディオニソス的傾向を代表する作曲家と言えるだろう。
音盤の入手に一苦労だった頃と違い、大サブスク時代、今は数多くの作品に気軽にアクセスできるようになった。吹奏楽で知った人は、凄腕ピアニストだったシュミットのピアノ作品にも触れてほしい。スクリャービンとか好きな人はぜひ。シュミットはスクリャービンの2つ年上、彼に劣らぬ圧巻のピアニズムである。好きな人はとことん好きになると思う。ただ、もう少し古典寄りの雰囲気だと一般人受けも良さそうだし、もう少し新しい雰囲気だとこれまた現代系ファンが好みそうなところだが、その中間くらいなので多数のファンを得られる気はしない。しかし作品数はそれなりにあるので、色んな人がお気に入りを見つけられると思う。

Schmitt: Works for Piano by Laurent Wagschal


吹奏楽では「ディオニソスの祭り」が有名で、バレエならバレエ・リュスの「サロメの悲劇」、協奏曲ならサクソフォンのための「伝説」など、各ジャンルにそれなりの有名曲がある。ピアノ曲以外で他にオススメしたいのは、室内楽のピアノ五重奏曲と、そしてフルネ指揮都響のライブ録音も残る「詩篇第47篇」。どれも素晴らしい曲ばかりだ。だが今回はどうしても、この「組曲らしからぬ組曲」を挙げたい。フローラン・シュミットはシリアスな曲ばかりが有名なので、こんな曲もあるよとアピールしておこう。

シュミット:詩篇第47番、ラモー:組曲「カストールとポリュクス」、ドビュッシー:「ペレアスとメリザンド」による交響曲
ジャン・フルネ


原題は“Suite sans esprit de suite”と付けられている。esprit de suiteは直訳すれば「組曲の精神」だが、普通は「一貫性」という意味で用いるそうで、sans esprit de suiteだと「一貫性がない」という意味。だから「組曲の精神のない組曲」というより「一貫性のない組曲」が正しいのだろう。でもせっかくsuiteという単語でかかっているのだから、ヤマハのサイトで「組曲らしからぬ組曲」と訳されているのが面白いと思い、僕も採用することにした。他には「形ばかりの組曲」と訳されている場合もある。
僕ははじめ「スイート・サン・エスプリ・ドゥ・スイート」として、ブログのタイトルに書こうとした。甘くて美味しそうだな。表参道に店出してそうで受けも良いかなと思ったけど「パリ」も「フランス」も入っていないとバカが釣れなそう(失礼)なのでやめました。冗談はおいといて、クラシック音楽評論で「精神性」に並んで好まれてきた「エスプリ」という単語も、現代では非論理的だ何だと嫌われるのだろう。この曲から軽妙で洒脱という意味の「フランスのエスプリ」は感じられないかもしれないが、少し軽めの酒神ディオニソス的伝統という意味の「フランスのエスプリ」なら味わえそうだ。
作曲は1937年。シュミットがル・タン紙の音楽評論家を務めていた頃であり、コンサートホールの自席から意見を叫ぶトンデモ迷惑な評論家として悪名を轟かせていた頃だ。ピアノ独奏用に書かれ、すぐに管弦楽版を作曲。今のところ記事冒頭に貼っているHyperionの音盤でしか聴けないと思う。このCDでは詩篇第47篇とサロメの悲劇の間に挟まれて、ちょうどいい間奏曲のような役割を果たしてくれている。


シリアスな作品に比べるとかなりリラックスした、豪腕オーケストレーターの凄みは控えめの音楽。少し昔の時代に戻ったような雰囲気で、「熱狂的で、陰鬱で」と冒頭で引用したような、そういうシュミットの音楽とは少し違う、温かさや明るさも感じられる。
第1曲Majeze、18世紀マドリードの貴族に由来する言葉で「閃光」や「派手」といった意味らしい。愉快なリズム、エキゾチックな管楽器が楽しい舞曲風序曲。タンバリンやシンバルも良い。勢いもあるし、華やかさもある。
第2曲Charmilles、休息所という意味だろうか。ラヴェルやドビュッシーのようなオーケストレーションで、淡い光のよう。美しい弦楽。和声と音色、その重なりと移り変わりを楽しもう。
第3曲Pécorée de Calabreは「カラブリアの農婦」という意味らしい。解説では一種のスペイン舞曲(ホタ)と書かれている。短い曲で、楽しそうなダンスだ。細かく区切れながらコロコロと場面が変わる。
第4曲Thrène、挽歌、哀悼歌の意味。穏やかな雰囲気で、モーダルな音楽。古典の時代への眼差しか。
第5曲Bronx、アメリカの街、当時であれば最も野蛮で、賑やかで、ジャズも盛んだったところ。シュミットはラヴェルらとジャズの魅力を共有したとも書かれていた。さほどジャズっぽくはないにせよ、優雅な中に毒気もある独特な騒々しさ。これぞフローラン・シュミットの魅力!
控えめなんて書いたが、オーケストレーションの巧みさは発揮されている。独奏ヴァイオリンと管楽器の重ね方など、とても素敵だ。こんなちょっと変わった作品から入ってもらって、詩篇第47篇とサロメの悲劇という傑作や、他の素晴らしい作品群にもアクセスしてもらえたら嬉しい。

Schmitt: La tragédie de Salomé; Psalm 47 etc.
Bbc National Orchestra Of Wales


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Author: funapee(Twitter)
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