ブライアン・ジョージ・ケリー 左岸組曲
最近はAccordレーベルのジャン=バティスト・リュリ特集“Lully ou le Musicien du Soleil”シリーズをよく聴いてツイートしている。リュリは17世紀フランスの作曲家で、太陽王ルイ14世の宮廷楽長として活躍した人物だ。それはそれで楽しいのだけど、今回はちょっと300年ほど時代を進めて、20世紀パリを味わおう。
【リュリ、太陽の音楽家④】Accordのリュリ特集第4弾は有名作品。コメディ・バレ「町人貴族」を聴こう☺️ ユーゴ・レーヌ&ラ・サンフォニー・デュ・マレほか、2001年ヴェルサイユ宮殿王室歌劇場Live、ジャケット写真はその時の歌手たち。デュメストルらによる2004年の演出付き完全復興上演より前です。 https://t.co/rEriFzzcgT pic.twitter.com/6gRtNBCSkM
— ボクノオンガク (@bokunoongaku) September 16, 2025
ブライアン・ジョージ・ケリー(1934-)というイギリスの作曲家がいる。オックスフォード出身、幼い頃から聖歌隊で歌い、王立音楽大学に進学するとゴードン・ジェイコブとハーバート・ハウエルズに師事。その後パリでナディア・ブーランジェに学んだ。今回取り上げる「左岸組曲」(Left Bank Suite)はパリからイギリスに戻ってきた後、1960年代に書かれた作品だそうだ。BBCコンサートオーケストラのために書いた曲で、いかにもラジオ放送で楽しむのに良さそうな軽妙な管弦楽組曲。放送録音があるのだろうが、今普通に聴ける録音としては冒頭に貼ったHeritageレーベルのもの、バリー・ワーズワース指揮ロイヤル・バレエ・シンフォニアの2014年録音しか見当たらない。
イギリスの作曲家による作品で原題がLeft Bank Suiteなので「左岸組曲」としか表記しようがないのだけど、パリのセーヌ川左岸のことを指しているので、リヴ・ゴーシュ組曲とも言える。僕は別にパリ在住でもなんでもないので知った風に言える内容ではないが、セーヌ川の右岸(リヴ・ドロワ)と左岸(リヴ・ゴーシュ)は色々と違いがあるようで、ざっくり言うと右岸は華やかで観光客向け、左岸は知的で芸術家肌、という感じか。ブルデューが、右岸派がブルジョワで左岸派が知識人という風に言っているので、もっと興味がある人は『ディスタンクシオン』を読んでみてください。もっとも、ケリーの音楽にそこまでの深い洞察はないだろう。CD解説には「パリのこの地区の風景を気楽に描く試み」と書かれている。
ケリーの左岸組曲は4曲からなり、第1曲「前奏曲:サン・ジェルマン」、第2曲「ワルツ:リュクサンブール公園」、第3曲「間奏曲:セーヌ川」、第4曲「スケルツォ:カフェ・フロール」。4曲通しても10分ちょっとの長さ。この手の音楽というと、僕は吹奏楽経験者なのでまずはミヨーのフランス組曲を思い出す。ノルマンディー、ブルターニュ、イル・ド・フランス、アルザス・ロレーヌ、プロヴァンスの5曲からなる管弦楽による当地の描写だ。これは1945年の作品。イベールの交響組曲「パリ」は1931年作でもっと早い。こちらはフランス全体ではなくてパリの情景。地下鉄、郊外、パリの回教寺院、ブローニュの森のレストラン、定期船イル・ド・フランス、旅芸人の6曲からなる。またイギリスの作曲家によるパリの描写音楽となると、マーティン・エレビー(1957-)の吹奏楽作品「パリのスケッチ」もある。普通のクラシック音楽ファンはあまり知らないだろうが、吹奏楽界隈では人気作である。こちらは1994年の作品で、ケリーと同じくサンジェルマン・デ・プレから始まり、ピガール、ペール・ラシェーズ、ル・アル中央市場の4曲。もしかするとエレビーも、ケリーの「左岸組曲」を60年代にラジオで聴いていたかもしれない。そんなことを考えながら、色々な作曲家の「パリを描く試み」を聴き比べるのも楽しい。
せっかくなので、それぞれの曲に合った写真でも貼りながら書いていこう。第1曲「前奏曲:サン・ジェルマン」、賑やかな前奏曲。サンジェルマン・デ・プレ地区にあるカフェ・ド・フロールが4曲目に来ているので、1曲目では同じく老舗カフェであるドゥ・マゴの写真を貼っておく。マラルメ、ヴェルレーヌ、ランボーら多くの文人たちが集う場であった。リュクサンブール公園を挟んだ向こう側にはクロズリー・デ・リラがある。そちらは文人たちはもちろん、モネやルノワール、ピカソらも常連だった。今はどこも観光客で賑わうお店になっているだろうが、ドゥ・マゴ賞が創設されたのは1933年、ケリーが留学していたのが1950年代と考えると、当地ではまだそういう芸術の熱気も盛んに感じられた頃なのではないだろうか。音楽からはそんな雰囲気も感じられる。シンボルであるパリ最古の教会もそびえ立つ同地区らしく、音楽もどこか古風で厳粛な趣きもあるようだが、やはり転がるようなリズムに管楽器の様々な音色が楽しい。

第2曲「ワルツ:リュクサンブール公園」は明るいワルツ。パリらしいと言えば良いのだろうか、クラリネットやハープ、弦楽器のピチカートも可愛らしいけど、ただ可愛いだけではない何とも言えない毒気もある。中間部はメリーゴーランドだろう、この公園はパリ最古のメリーゴーランドがあることでも知られている。おもちゃのオルガンのような調子外れの音が面白い。短い曲だがオーケストラは余す所なく大活躍。タンバリンも愉快愉快。ここは市民の憩いの公園なのはもちろん、やはり多くの芸術家ゆかりの地でもある。ヘミングウェイが近所に住んでいたようで、よく散歩したそうだ。またアンドレ・ブルトンはここで恋人と出会い、作品の舞台にもしている。

第3曲「間奏曲:セーヌ川」、たっぷりとロマンティック、美しい間奏曲だ。フルートのソロから始まり、徐々にオーケストラ全体へと盛り上がっていく。いつもブログで書いているけど、やはり川をテーマにしたクラシック音楽は抜群に美しい。第2曲もワルツだが、昼の公園でメリーゴーランドまで出てくるワルツと違い、こちらの方はもっと大人な夜のワルツといった趣きで、脳内がプリパラに支配されている2025年9月現在の僕はどうしてもオペラ座の怪人のような格好をしてお屋敷に忍び込んで囚われの姫を「ボンソワール、プリンセス」と誘っては夜毎星空のもとで踊りたくなってしまうが、そんなことを思うのは僕だけで良いとしよう。アニメなんて興味ねえぞという自称オトナなパリジャンないしパリジェンヌ風クラオタ諸氏は、きっとジーン・ケリーとレスリー・キャロンの愛の場面でも想像してしまうことだろう。さながら巴里のアメリカ、いや、イギリス人といったところだ。

第4曲「スケルツォ:カフェ・フロール」、サルトルとボーヴォワールで有名な老舗カフェ。ここでも再び賑やかに、パリのエスプリを感じたい……のだけど、非常に残念なことに、ほぼ全ての日本人はこの曲を聴くとパリではなく、サザエさんを思い出してしまうだろう。いやマジで。だってサザエさんのBGMに似てるんだもん――お魚くわえたどら猫はサンジェルマン大通りを飛び出して一目散にセーヌ川へ向かった。僕と妻がかつて愛を誓った南京錠がある(今は撤去済だそうだ)ポン・デ・ザールを通って、セーヌ川の左岸から右岸へ、目指すはモンマルトルのル・シャ・ノワール、このブログのヘッダーの黒猫もきっと待ちわびているだろうよ、どら猫はエリック・サティに「夢見る魚」を届けるんだってな。それを追っかけ素足でかけてく陽気なマドモアゼルの音楽――なんて、うっかり手が動く自動記述であしからず。今調べたけど、サザエさんって24歳なのね、それは紛うことなきマドモアゼルでしょう。もう十分ふざけたし、満足したわ、こんな戯言は放っておいて、ぜひ聴いてみてください。サザエさんっぽいってことばかりではクラシック音楽ブログとしてよろしくないかしら、じゃあマルコム・アーノルドっぽいと言おうか? まあまあ、サザエさんの舞台は桜新町だから、多摩川の左岸である。とこじつけられなくもない。どうだ!
2015年のグラモフォン誌では、この曲について「フランス滞在の幸せな思い出が、驚くほど愛想よく美しい旋律に彩られ、巧みに構成された『左岸組曲』で泡のように弾け上がってくる」と書かれた。難しい顔をしながらコーヒーを飲んで聴くのも悪くないし、シャンパンを開けて聴くのも良さそうだ。

なお余談だが、パリ最初のカフェはル・プロコップ、これも同じくサンジェルマン・デ・プレ地区にあり、カフェ・ド・フロールのすぐ近くだ。1686年創業。1672年には、同地区の定期市で露天カフェが開かれ人気を博し、それがル・プロコップ開店のきっかけでもあったそうだ。コーヒーあるところに人集まり、人集まるところに文化あり。なんて、名言っぽく言ってみたりして。
もう少し時代を遡り、1669年のパリでは、オスマン帝国の使者ソリマン・アガがパリ滞在中に貴族を招きトルコ風コーヒーを振る舞う「コーヒー・セレモニー」を行い評判となる。これを機に貴族たちの間でトルコ趣味とコーヒーの人気に火が着いたという。ルイ14世はアガをオスマン帝国からの正式な全権大使と思い込み正装で豪華にもてなすも、アガは「ヴェルサイユ宮殿よりトプカプ宮殿の方が豪華だ」など不遜な態度を取ったこともあり、ルイ14世は恥をかかされたと激怒。その腹いせと貴族たちの間のトルコブームとで、王はリュリとモリエールにトルコ趣味を取り入れ、それを揶揄するような内容のバレを作るよう指示した。そうしてできたのがコメディ・バレ「町人貴族」である。そんな繋がりも意識した今回の選曲、我ながら見事な仕事、コーヒー党広報本部長は今回もお仕事がんばりました。
東京からパリまで9700km、1960年代から17世紀まで、空間も時間もぶっ飛んで楽しむパリ旅行がすぐに出来てしまう、音楽って素晴らしいですね。パリの左岸も多摩川の左岸もいいけど、やっぱり僕は神田川の左岸かなあ、こっちも宣伝しないとね。忙しい、忙しい!
Author: funapee(Twitter)都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more











