ショーソン 終わりなき歌 作品37
「詩曲」で有名なショーソンは、フランクやマスネに学んだフランスの作曲家である。
彼の音楽はロマンティックで、デリケートで、じわじわと心に染み込んでくる、美しい音楽だ。
それだけに、日本での知名度の低さはやりきれない。
ワーグナーやフランクの影響はあるにもかかわらず、彼の音楽はインパクトに欠ける感がある。
それは、叙情感あふれる後期ロマン派の趣きの中にも、常に憂愁感と厭世感が漂っている所為かも知れない。
だが他に類を見ないショーソン独特の美的感覚の顕現はそこにある。
無論それだけではないのだが、「詩曲」や「交響詩ヴィヴィアン」の美しさも同じようなところに依拠すると思われる。
さて、この「終わりなき歌」は、シャルル・クロの詩『夜想曲』に基づいて作られた作品で、ショーソン最後の歌曲である。
女のもとを去って行った恋人に対する、女の切ない想いが、実に耽美に歌われる。歌詞はこちらへ。
ソプラノに、ピアノ伴奏、ピアノと弦楽四重奏による伴奏、管弦楽伴奏の3パターンがあり、どれも各々の魅力があるが、ピアノと弦楽四重奏の伴奏が、この曲の雰囲気に一番合っているように思う。
ショーソン独特の美的感覚、と言ったが、彼の美観、彼が生涯をかけて追い求めた美学は、現代人が到達するにはあまりにも遠いところにあるのかもしれない。
ドビュッシー、ラヴェルといったフランス印象派、ブルックナー、マーラーなどの交響曲と違って、ショーソンの音楽がムーブメントを起こすようなことは、まずあるまいが、それはショーソンの音楽が、多くの現代人が忘れてしまった情感を湛えていた時代の美を表現した音楽だからではないだろうか。
この「終わりなき歌」を聴くと、特にそのように感じる。僕が現代人としてクラシカルな美を感じるというよりも、僕自身の魂がタイムスリップして、ショーソンの世界へ美を求めて行くような体験をするのだ。
そして何よりこの曲の歌詞は、ショーソンの音楽の理解への1つのヒントとなり得るだろう。
女の愛と憂いが、繊細に、耽美に、「ある情感」豊かに歌われるのを聴けば、自然とショーソンの追求した美の世界に立ちいることができる。
その世界は、我々が忘れるべくして忘れた情感を体感できる、得も言われぬ美の世界だ。
Poeme De L’Amour Ernest Chausson,Armin Jordan,Orchestra de Monte Carlo,Michel Dalberto,Jessye Norman Erato |
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more