レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」:イタリア礼賛研究序説1

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レスピーギ:ローマ三部作~ローマの松、ローマの噴水&ローマの祭り

レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」


やっとブログに登場するオットリーノ・レスピーギは、イタリアの作曲家。擬古典的な作風もあるが、こと管弦楽曲については印象主義的な作風で、師であるリムスキー=コルサコフの影響が大きく、またラヴェルなんかとも近いものがある。
「ローマの祭り」はレスピーギの有名な管弦楽曲で、ローマ三部作の1つであり、他の2つについて一般に言われるのは、最初に作られた「ローマの噴水」が一番バランス良くかつわかりやすく、次の「ローマの松」が一番人気である、ということか。
個人的には、人気の松、実力の噴水、そして祭りはというと、「気合の祭り」とか「根性の祭り」と言いたい。
レスピーギはイタリア音楽の復興を色々な面から推し進めた人物であり、それは例えばヴェリズモからの脱却と現代的な音楽の構築であったり、ルネサンスやバロックを顧みた新古典主義の旗揚げであったりと、まさしく“芸術の国”イタリアを取り戻そうという気概が感じられる作曲家だ。
古来イタリアは西洋芸術の中心地であり、ヨーロッパ各国の多くの芸術家たちがこぞってイタリアに出かけ、模倣し、芸術を学んだ地である。
そういう芸術において深い歴史を持つイタリアだからこそ、レスピーギが管弦楽法の限りを尽くし、古代から続くローマの歴史・文化を描こうとしたことは納得がいく。
ローマ三部作はいわゆる歴史絵巻であり、イタリアがいろんな意味で輝いていた時代を聴衆に振り返らせ、楽しませるものである。
多くの歴史的・芸術的名場面を描出したものであり、聴く方にある程度の知識を必要とするものの、そのための面倒を解消させるかのような、非常にぱりっと分離の良いオーケストレーションの存在が、レスピーギの作品の長所だ。
4つの切れ目のない部分で構成され、それぞれチルチェンセス(Circenses)、五十年祭(Il giubileo)、十月祭(L’Ottobrata)、主顕祭(La Befana)と表題が付いている。


歴史絵巻は古代から始まる。チルチェンセスは古代ローマ帝国時代の祭り。キリスト教を迫害した皇帝ネロが円形劇場で行った祭で、キリスト教徒を猛獣に喰い殺させるというもので、その通り重く激しい音楽である。
トランペットの別働隊も加わった金管群は猛獣たちである。キリスト教徒の祈りである聖歌が弦楽で奏でられる裏でも、常に獣の唸り声が聴こえる。
五十年祭は中世のお祭りだ。巡礼者たちがモンテ・マリオの丘へと歩いている様子が描かれる前半と、丘の頂上にたどり着き感極まった巡礼者たちが聖歌を歌い、永遠の都・ローマを見渡す後半。特に後半の描写は圧巻だ。巡礼者たちの魂に応えて教会の鐘がなり、ホルンのソロで次の時代へ。
中世の次はルネサンスの収穫祭である十月祭に移る。これは葡萄の収穫を祝う祭りで、遠くから聴こえる角笛や甘美なヴァイオリン、夕暮れ時の長閑だが情熱的なマンドリンの愛の調べと、ずいぶん曲の照明は明るくなってくる。
クライマックスは狂乱の主顕祭。ナヴォナ広場で行われる主顕祭の前夜である。人々は歌って踊り、手回しオルガンやソロ・トロンボーンによる酔っ払っいのシーンは面白い。“オーケストラの洪水”とはまさにこの曲の主顕祭にこそ相応しい。ひたすらに狂乱のクライマックスだ。
オルガンや特殊な打楽器、別働隊、マンドリンなど、大編成でごちゃごちゃしているようで、意外と各々がすんなり聴こえるという、レスピーギの腕の良さがわかる作品である。熱狂はするが、当然のことながら叙情感には欠ける。レスピーギ自身はかなりリリカルなところがあるのだが。
斯くの如く、イタリアの祭事史を描いた素晴らしい芸術であるが、当のイタリア本国では、第二次大戦後しばらくレスピーギの作品は演奏されなかったという歴史がある。これは、レスピーギの音楽の「イタリアの栄光の復興」というテーマが、ムッソリーニの古代ローマ帝国の文化の復興というファシズムを、いわば応援していたのだという見方によるものだ。
事実、レスピーギはムッソリーニと親交があり、むしろファシスト寄りの作曲家であったようだ。「ローマの祭り」初演を指揮した名指揮者トスカニーニはムッソリーニの国家主義的な音楽の使用(これはヒトラーも同じだ)をはっきり拒否したそうだが、それによって暴徒に襲われたという記述も残っている。
ファシズムが生んだ音楽かどうかという議論はレスピーギ解釈にとって重要なことかもしれないが、レスピーギのイタリア礼賛と古代ローマ文化の見直しの重要性は、少なくとも確かなことではある。そして、それは芸術としてひとつの成功であったことも事実だ。
三部作の最終作であるこの「ローマの祭り」は、1928年の作品。奇しくもファシズム大評議会が正式に国政の最高機関となった年だ。
僕はもちろん、この音楽は悪ではないと思うし、大いに演奏されるべきだとも思うし、そう言っても誰も不思議に思わないだろう。
だが、僕が大声で「大日本帝国時代の音楽は芸術的に優れているから今でも演奏するべきだ」なんて言ったら、そこらじゅうから袋叩きにされるだろう。
極端な例かもしれないが、「ローマの祭り」は芸術の都イタリアを礼賛しているだけだから誉めても良いが、軍歌を誉めてはならないとなったら、それはとんだお門違いだ。ムッソリーニと同じ思考回路でレスピーギを称えていながら、日本の帝国主義を理由に当時の音楽を批判することになるのだから。
イタリア礼賛研究序説1と題したので、もちろん2,3とローマ三部作を遡る形で、イタリア礼賛がローマ三部作を正当化する理由にならないということ、また何がこの音楽に正義を与えうるのかということを考察したい。

レスピーギ:ローマ三部作 レスピーギ:ローマ三部作
トスカニーニ(アルトゥーロ),レスピーギ,NBC交響楽団

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