(記事作成日:2025年8月25日)
ときどきTwitterでも「家族でドライブのときに車内BGMはこれでした」と紹介することがあるが、実際はそればかり流しているわけはなく、気を遣って家族の好きな曲のプレイリストを流している時間もある。というか、そっちの時間の方が長かったりする。先日は那須に行く際に僕の好きなアルバムを流していたという話をこの記事でもしたけど、これも最初はリアモニターでテレビを流していたが上の子はスイッチやり始めて下の子はすみっコぐらしのタブレットやりだして、妻はスマホでゲームし出したので「みんなゲームしてるんなら僕の好きな音楽流させてくれ!」と言って、それから流したのである。
土曜の夜はクラシック以外の音楽の話。那須のドライブBGMの一つにしたのは、森ジャケ盤といえばこれ(絶対僕だけだけど)、Band of Horsesの“Everything All the Time”(2006)。好きなんだよなこれ。緑あふれる那須グリーンラインをドライブするのに合うロック。今週は最高のロックフェスも行ったからね🥰 pic.twitter.com/2DqaoQmX1B
— ボクノオンガク (@bokunoongaku) August 16, 2025
おはようございます。昨日は土曜の夜コーナー放置でしたね、ということで、ドライブBGMの一つにしたThe Astronautsの“Surfin' With The Astronauts”(1963)を🌊 伊豆だし海だ!と思ってこれ選んだけど、実際は山道ばっかり走ってたから全然違うわ(笑) 今日の帰りは海沿いの方を走りたいと思います👍 pic.twitter.com/3wY8w307tt
— ボクノオンガク (@bokunoongaku) October 26, 2024
僕以外の家族が好きな曲のプレイリストを僕が事前に組むにあたって、適時変更していくのであるが、この度初めてプレイリスト入りを果たした曲の一つに、Snow Manの「ブラザービート」という曲がある。下の子(小2の娘)がSnow Man好きになってきたようで、推しは阿部ちゃんとめめだそうだ(なお妻はラウール推しだそうだ)。僕は興味ない、と言いつつ、必然的に目にする機会が増えてしまい段々と詳しくなってきている。Snow Man好きを自称し始めてきた下の子にとってでさえ「それスノ」よりも「GOスト」の方が番組的には面白いと思うんだけど(特に上の子は腹抱えて笑ったり絶叫したりしながら見ており、人生楽しそうである)、Snow ManとSixTONESだとまあ、小2女子的には前者の方が良いらしく、お友達の間でもやんややんや言っているようである。本当、女の子は成長が早いというか。小4男子が頭の中はゲームばっかり、まだまだうんこネタで爆笑している一方、同級生の女子たちはびっくりするような大人っぽいファッションしていたりして、この差は一体……って。だいぶ話が逸れたけど、何がきっかけか忘れたが、とりあえず家族みんなが知るSnow Manの曲として「ブラザービート」があったなということを覚えていたため、今夏のプレイリストに入れたのであった。
ときに、Googleでブラザービートを検索したら「ブラザービート 気持ち悪い」という候補が出てきた。おお、っと思い見てみた。Yahoo知恵袋なので大した内容ではないが、「歌がダサすぎて恥ずかしくなる」とか「いろんなアーティストが出る歌番組だと恥ずかしくなる」とか「家族と一緒に見てたりすると本当に恥ずかしくて冷や汗がとまりません」と書かれており、それを読んでいたら僕もなんだか懐かしい気持ちになったのだ。そうだ、こういう経験、音楽を聴いたときの共感性羞恥のような経験、最近はあまりしなくなってきたなあ、と。全くないこともないが、確実に昔よりも少なくなってきている実感はある。

こういう、音楽に関して「見ている/聴いているこっちが恥ずかしい」という経験を最初にしたのはいつだろう。最初かどうかわからないが、はっきり思い出せるのは、間違いない、2000年の紅白歌合戦である。この頃はまだ僕もファンだと自称するほどではないが、TOKIOが好きだった。彼らが「みんなでワーッハッハ!」という作詞作曲つんくの曲を紅白で歌ったのを家族で見ているとき、それをもろに体験した記憶が残っている。
当時始まったばかりのTOKIOの番組「ザ!鉄腕!DASH!!」が面白くて面白くてしかたかなった。その時間はテレビにかじりついていたし、ダッシュやっている間にお風呂だよと言われたりすると嫌だったなあ。そんなことを思い出していると、僕も自分の子どもにも強く言えないなあ、なんて縮こまってしまう。しかし今は「見たいならあとでTVerで見ればいいだろ!」と言って子どもらに行動を促せる。便利な時代だ。まあまあ、ともかくあの頃の鉄腕ダッシュは自分にとってめちゃくちゃ面白い番組だった。電車とリレー対決したり、駅弁買い集めたり、3000歩でロンドンから日本に戻れるかチャレンジしたりとか。カエルを追っかけたりとか。渋滞の車と自転車はどっちが早いかとか。清志郎と覆面バンドやったのも面白かったなあ、あれも当時は物議を醸したようだが、それこそ小学生だった自分は気楽に見て楽しんでいた。今やったら炎上するだろうし、自分も不愉快で見ないだろう。何より曲が良かったよね。「何度も夢の中でくり返すラブ・ソング」は当時から今も大好きな曲だ。そして2000年はDASH村が始まった頃でもある。これも子どもの頃は色んな知識が得られてすごく興味深く、面白く見ていた。
そんな、まさに憧れの存在、アイドルだったTOKIOが2000年の紅白歌合戦で歌ったのが、つんく曲の「みんなでワーッハッハ!」という、それこそ「トンチキソング」である。紹介したいけど、TOKIOはサブスクにないんだなあ、残念だなあ! まあ普通にYouTubeにあるけどね、違法のやつなら。貼らないけど。これがまた、当時子どもだった自分にとって、なかなかの恥ずかしさであった。まさに上の、知恵袋の人と同じ感想だった。歌がダサすぎて恥ずかしい、いろんなアーティストが出る歌番組では恥ずかしい、家族と一緒に見てたりすると本当に恥ずかしい、冷や汗がとまらない、と。かっこいい男たち、憧れの存在の男たちが「そりゃオホホのホ」とか歌うのは、なかなかにしんどい。なにが「音楽家はバッハッハ」だ、こちとら日本バッハ界のレジェンドだぞ。大人になればこの曲で発揮されているつんくの作詞作曲の才能はよくわかるけれども、まるでこの曲は「みんなの前でもう卒業したはずの子ども向け番組がまだ好きだということがバレてしまう」のに似た、幼稚なものを晒されているような恥ずかしさがあった。
これを共感性羞恥と説明していいのかは知らないが、J-POPの特定の曲を聴いたときに感じる居心地の悪さや恥ずかしさは、僕は当時、特につんくの曲で多く感じていた。それでもまだ、モー娘。は、全く好きではないが恥ずかしいと感じることもさほどなかったように思う。問題はミニモニだよ、ミニモニ。あれは強烈だった。「ミニモニ。ジャンケンぴょん!」とか「ミニモニ。ひなまつり!」とかは、本当に聴いているこっちが恥ずかしくなったよなあ。残念ながら今はもうおじさんなので何の恥ずかしげもなくジャンケンぴょんできるし、なんなら段々と日常でも羞恥心が薄れてきてうっかり恥知らずな行動を取りそうになるのをちゃんと頭で考えて常識を守るよう努める自分に気づいてしまったけれども、ともかくミニモニが流行ったのはティーンの自分にはキツかった。でもまだね、僕の中に「こんなの男のオレが聴く音楽じゃねーし」っていう強がりなお気持ちがあったので、好きじゃないですとアピールして聴かなきゃ良いだけだったが、TOKIOは好きだったからなおさら恥ずかしさがあったのだ。
アイドル・ソングだけでなく、日本語ラップに羞恥心を覚える人も多いだろう。僕は高校生の頃にキングギドラや般若にハマってしまったのであまりそういう経験をしてきてはいないが、それでも、今でもやはり一部のポップソングに挿入される適当なラップはなかなか聴いていて厳しいものがあるし、具体的に説明するのは面倒なのでやめるが、ある特定のイントネーションで歌われるラップにはかなり嫌悪感を抱いてしまいがちだ。まあでも、それも「恥ずかしい」と思うことは減ったかな。単純に、自分の感性がもう鈍っているだけなんだと思う。興味を失っているというか。恥ずかしいすらもなく、何も感じないというか。悲しいことでもある。
「ブラザービート」もラップの曲なので、特にSnow Manのファンであっても聴いていて恥ずかしいと思う人もいることだろう。「ファンなのに恥ずかしいっておかしいだろ、失礼だ、聴かなきゃいい」みたいに文句を言う人もいると思うが(知恵袋でもいたが)、違うんだよな、ファンだからこそ恥ずかしくなるんだよな。好きでもない人が何しようが別にどうでもいいけど、好きな人達にはいつだって素敵でいてほしくて、その素敵の基準が自分の中にあって、その基準から逸脱してほしくないというワガママを言っているんだよね、こっちは。
音楽を幅広く知っていくこと、自分の世界を広げていくことで、そうした恥ずかしさを減らしていくことはできるだろう。「ブラザービート」の作詞作曲は、宮崎の端の方、高千穂町、俺の腕のもんならかなりのもん、でおなじみクボタカイ君である。すごい、音楽の才能ある人だと思うよ、あのフリースタイル見たら誰でもそう思うでしょ。あと僕は個人的にRin音ファンなのでなおさら応援したい。
ただまあ、色んな音楽や周辺情報を知ったところで、別に「ブラザービート」を気持ち悪い曲だと思い続ける人もいるだろう。もし、マジで気持ち悪さをなくしたいんだったら、500回くらい真剣に聴いたら良いと思う。多分慣れてくる。それか、自分の理性を高めに高めて「全ての音楽は良いものである」のような変な思想で自己を洗脳するか、僕のように感性を鈍らせていくしかない。まあ鈍らせたくて鈍っているんではないけど……。
個人的に「ブラザービート」について語るとすれば、気持ち悪いと言う人がいるのもわかるけども、音楽としてはすごく良い曲だと思うし、特にビートがブルースなのが良くて、それはノリだけの話ではなくブルースの進行に乗ってアホな歌詞を歌うというのが、実にブルース的で、大変結構な話だということね。フックもキャッチーで、うちの下の子もふわっとした歌詞で口ずさんでいる。オチをラウールが歌うのも良いよね。正直、おそ松さんについては全く知らないし一切興味もないが、イーアルサンスーと未知なる算数で韻踏むのは面白い思う。僕なんかからすれば知恵袋の人とは逆に、ダンスの方がヘンテコでびっくりしてしまう。これもすごい振り付けだね、コミカルだなあ。天才的にダサい。このダサさが良いのだろう。
僕もアイカツ曲記事の方とか、まあたまにクラシックの方でも使うかな、結構、「ダサい」っていう言葉をカジュアルに使っていて、シンプルに観察対象の状態を語っているつもりであってディスりたい意図が必ずしもあるわけではないんだけども、普通の人にとっては「ダサい」は傷つける言葉だというのを忘れがちだ。ダサいって、別に悪いことだけではないよね。それに、この曲ダサいなあって思っていても、聴くタイミングや何やらで、めっちゃ良く聴こえるときもあるしね。ダサい曲も、あるとき突然大好きになって、自分にとって大事な音楽になることもある。その結果ダサくないと思えるようになることもあるだろうし、「いや、大好きだけどダサいものはダサいよね」ってなるときもある。僕にとって「みんなでワーッハッハ!」はめちゃダサい恥ずかしい曲だけど、普通に好きだよ。まあ紅白はおろか、もうどんな歌番組でも聴けないんですけど……。
今思えば、その「音楽を聴いていて恥ずかしくなる」というのも、大事な感覚だよなって思うわ。変に達観したり、何でもかんでも好むがあまり「あらゆる音楽は素晴らしいのだから少しでも文句を言う方が絶対に悪い」になるのもちょっとね。世界を広げて寛容になるのは良いことなんだけど。難しいところだよな。もちろん、ひどく攻撃的になってしまうのは悪いことだと思うし。やっぱり根本に愛があるかどうかは大きいと思う。「好きだから恥ずかしい」は、悪いことではないよね、多分、その羞恥心は何か大切なものに繋がっている、大事な感情の端っこなのだ。その端っこを決して離さなければ、これからもっと違った「好き」の世界へのチャンスがあると思う。でも「文句言うな!失礼だ!好きならそれをディスるな!」というのはむしろ狭量で、それこそ新しい「好き」の世界への道を閉ざしてしまうと思う。かっこいいと思ったその感動も、ダサいと思ったその違和感も、自分の中では大事にしたら良いものだし、それを誰かに向けて発信するのも悪くないと思うよ。言い方はあるけどね(笑) そうしてれば10回に1回くらいは、本物の恋に出会えて、例年より騒々しい日が続くかもしれない。ラヴ・アップ・ステーション、ステイチューン……。
Author: funapee(Twitter)都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more








