レスピーギ 交響詩「ローマの松」:イタリア礼賛研究序説2

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レスピーギ:ローマ三部作~ローマの松、ローマの噴水&ローマの祭り

レスピーギ 交響詩「ローマの松」


レスピーギは聖チェチーリア音楽院の院長を務めた人物だが、院長になってからは多忙で作曲活動に勤しむことがかなわなかったようだ。「ローマの松」は、彼が院長になる前からちょうど院長になったばかりの頃の作品で、1923年から24年に手がけられた管弦楽曲だ。
先日は「イタリア礼賛研究序説1」と題して、「ローマの祭り」について記事を書いたが、この両者はどちらも歴史絵巻で、大河ドラマチックな交響詩である。
それにしても、「松」なんて不思議な主題だが、これは印象派が最も得意とする“自然描写”であり、レスピーギの手腕が最もよく活かされていると言っても過言ではない。
レスピーギがテーマにした「噴水」は造形芸術であり、「祭り」は文化である。それぞれに歴史があり、人々との関わりが大きなものだが、それに加えてさらに「松」は自然というより大きなキャンバスが用意されているのだ。
この曲のアメリカ初演(トスカニーニ指揮ニューヨーク・フィル)の際、レスピーギはプログラムに以下のように書いたという。
「『ローマの松』では、私は、記憶と幻想を呼び起こすために出発点として自然を用いた。極めて特徴をおびてローマの風景を支配している何世紀にもわたる樹木は、ローマの生活での主要な事件の証人となっている」
この曲が自然を通して描いたローマの歴史絵巻であることが語られている。そしてこの曲は、古代ローマへの憧憬と賛美が、感情的に非常にわかりやすく伝わってくる曲である。
オーケストラの持つ、力強さや激しさの魅力と、叙情的に歌われる音楽の魅力の、両方がバランスよく楽しめる名曲だ。
曲は、ボルゲーゼ荘の松(I pini di Villa Borghese)、カタコンブ付近の松(Pini presso una catacomba)、ジャニコロの松(I pini del Gianicolo)、アッピア街道の松(I pini della Via Appia)の4つの部分からなるが、やはり聴きどころは静かに歌われる部分と、そこからの盛り上がり方だろう。
そういう意味でアッピア街道の松は、非常に完成度の高いクライマックスだ。ここが上手くいくかどうかが、名演かどうかの分岐点というもの。ラヴェルのボレロ、ハチャトゥリアンのスパルタクス「ガディスの娘の踊りとスパルタクスの勝利」のように、盛り上がり方が微妙だと何一つ面白くないが、上手くすると信じられないような興奮を引き起こす。もう本当、興奮して鼻血が出る。


高音で華やかなメロディーから始まるボルゲーゼ荘の松は、終始高音域で奏でられる。この高音域は、ローマのボルゲーゼ公園で遊ぶ子供たちの様子だ。元気な声で駆け回る子供たち――これは時代を越えて共通のイメージかもしれない――を想像して聴きたい。
カタコンブ付近の松は、一転して低音中心の荘厳な音楽。カタコンブとは古代ローマのキリスト教の地下墓所のこと。グレゴリオ聖歌の音楽も用いられ、暗い地下からの呻き声のように響く。
ジャニコロの松は、レスピーギの叙情性がよく現れた、とても美しい音楽。彼自身の説明は「そよ風が大気をゆする。ジャニコロの松が満月のあかるい光に遠くくっきりと立っている。夜鶯が啼いている」。これが全てだろう。鍵盤楽器の奏でる夜の情感、そしてクラリネットのソロに注目。これが自然描写としての「ローマの松」の白眉だ。ちなみに、夜鶯の啼き声は録音されたものが流されることになっている。
そしてアッピア街道の松。テンポ・ディ・マルチャと指定されるように、これはローマ軍の行進である。夜明け頃、遠くから現れる軍隊の行進が、アッピア街道を進む。ダイナミクスは徐々に大きくなり、勝利の進軍は威風堂々。別働隊のファンファーレも加わり、音楽は最高潮に達する。なんとよくできたフィナーレだろう。
このフィナーレで興奮しないものはいない。ましてや、それがローマ軍の勝利の進軍であれば、ファシストにとっては最高の音楽であったに違いない。
アッピア街道の松は、レスピーギをファシズムの作曲家として語る際、もっとも取り上げられるものだ。
「古代ローマ帝国の復興」を掲げたムッソリーニの国家主義は、この曲の作曲された1924年には、すでにイタリアを席巻していた。
そんな中、古代ローマ軍の進軍までもが含まれるイタリア礼賛色一色のこの音楽は、国威発揚の音楽としてもってこいであろう。
日本でも非常に人気が高く、しばしば演奏される「ローマの松」だが、日本の同じような音楽はタブーなのに、西洋の曲となると簡単に賞賛するものだ。
当然、本国イタリアではレスピーギの演奏がタブーであった。そしてようやく、イタリアでも演奏されるようになってきた。諸外国で価値が認められたことも影響はあるだろうが、いずれにせよイタリアには勇気の要ることに違いない。
これは、戦争という忌まわしい過去から脱却し、イタリアでレスピーギの芸術性を認めるようになってきたからということに加え、やはりイタリア人がレスピーギを聴き、演奏し、愛でることの意味の大きさが、次第に認識されてきたからではないだろうか。
国家主義的な思想に与するつもりは微塵もないが、自分の国の音楽を大切にすることの意味は大きい。イタリア礼賛=ファシズムではないと示すこと、イタリアの歴史の闇からレスピーギの音楽を救うことができるのは、ほかならぬイタリア人である。
日本の音楽も同じだ。僕は戦争の記憶を捨てろというのではない。反戦を訴える芸術は無数にあるし、素晴らしいものも多い。その一方、戦争のしがらみから抜け出せない、憐れむべき芸術もあることを忘れてはならない。

レスピーギ:ローマ三部作 レスピーギ:ローマ三部作
トスカニーニ(アルトゥーロ),レスピーギ,NBC交響楽団

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