ドビュッシー 弦楽四重奏曲:さよならフランク

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ドビュッシー 弦楽四重奏曲 ト短調 作品10


暑いときこそ熱いブラスを聴いて暑さを吹きとばせ!と思い、クラシックもポップスもブラス系を中心に聴いていたらやっぱり暑苦しくてリタイア。涼し気な弦楽をと思い、先日ドビュッシーの弦楽四重奏曲の弦楽合奏編曲と、チャイコフスキーの弦楽セレナードを聴いた。J・スウェンセン指揮NFMレオポルディヌム管の新譜。


ドビュッシーの弦楽四重奏曲は名曲で録音も多いが、弦楽合奏版となると多くはない。上の録音の他にアグニェシュカ・ドゥチマル(Agnieszka Duczmal, 1946-)指揮、アマデウス室内管の録音もある。下のリンクがそれだ。ドゥチマルはポーランドの指揮者で、女性として初めてスカラ座に立った指揮者でもある。Twitterではそんな話もしているので、詳しく知りたい方はTwitterをフォローしてください! 以上、宣伝でした。

Amadeus Chamber Orch of Polish Radio Plays
Beethoven / Amadeus Chamber Orch of Polish Radio (アーティスト)


さて、前置きが長くなったが本題に入ろう。弦楽合奏ももちろん素敵だけど、やはり原曲の弦楽四重奏で聴くのが一番楽しいに決まっている。
ドビュッシーの弦楽四重奏曲は1893年の作品。当時ドビュッシーは31才。この曲の作曲に際し彼に影響を与えたとされるものは、非常に多く指摘されている。
例えば、グリーグの弦楽四重奏曲(1878)、また1880年にチャイコフスキーのパトロン、フォン・メック夫人のおかげでロシアを訪問でき、そこでボロディンを知ったこと、あるいは1889年のパリ万博で聴いたジャワのガムラン音楽、あるいは1893年にサン・ピエール・ド・ソレーム修道院で聴いたグレゴリオ聖歌……大雑把にまとめると「異国情緒」であり、そういうところにインスピレーションの源泉を求めていたのはドビュッシーの特徴だ。


そしてもう1つ、この時代のフランスの音楽界は、1890年に他界した巨匠フランクと、ドビュッシーより17才年上のフォーレの影響力が大きかった。要はフランクの循環形式と、フォーレの古典への眼差しと頻繁な転調のことである。ドビュッシーにしては珍しく、この弦楽四重奏曲が古典的な4楽章構成(動きのある1楽章、スケルツォ的な2楽章、3楽章が緩徐楽章、4楽章で再び動きのある楽章)になっているのも、フランクの後任であるダンディが総裁を務める「お堅い」国民音楽協会で初演されるからという理由もあるだろう。ちなみにダンディの弦楽四重奏曲の初演も、ドビュッシーは聴いていたようで、その辺の話も含めて以前記事を書いたのでご参照願いたい。


ドビュッシーは学生時代、純粋に古典音楽への興味から、パリ音楽院でフランクのオルガンのクラス(即興に重点を置いた非公式の授業で、ショーソンやダンディらもこぞって参加した)を聴講している。しかし嫌気が差して途中で止めており、この頃のドビュッシーはフランクについて「あの指導スタイルさえなければ、作品は称賛に値する」と書いている。
フランクの交響曲(1889)が初演された際は、ドビュッシーは興奮気味に「私は4小節フレーズなんてちっとも書きたいと思わないが、これはなんて素晴らしいアイディアなんだ!」「数え切れないほどの美しい部分をそなえている」「今まで好きだったクインテットよりもこちらが好き」と語っている。

直接的な指導の下にあった訳ではないが、若い頃のドビュッシーはいつもフランクを意識していたということが、両者の作品の作曲年を見比べるとわかる。
1886-88年、フランクが交響詩「プシュケ」を作曲すると、1886-87年にドビュッシーは交響組曲「春」を作曲。どちらもオーケストラと合唱を用いる曲だ(ドビュッシーの「春」は初めは女声合唱があった)。
フランクのピアノと管弦楽のための協奏的作品である「交響的変奏曲」は1885年の作、ドビュッシーは1889年に「ピアノと管弦楽のための幻想曲」を作曲。
そしてフランクの弦楽四重奏曲は1889年、これはかつてブログでも取り上げた。ドビュッシーの弦楽四重奏曲は1893年。
ちなみに、フランクは名曲ヴァイオリン・ソナタを1886年に書いており、ドビュッシーも弦楽四重奏曲に続いて、1894年にはヴァイオリン・ソナタと弦楽四重奏曲第2番の作曲を試みていた。しかしドビュッシーはここから文学や絵画をテーマにした音楽へと突き進み、それらの室内楽作品は放棄、古典的な室内楽作品はドビュッシーの後期作品になってから再び現れることとなる。
以上のように、ドビュッシーは常にフランクの作品ならチェック済み、という感じなんでしょう、多分。当然、循環形式という手法も余裕で掌握していたはずだ。


第1楽章、妙に頭に残る主題が素敵。この主題の3連符はいい味出している。フリギア旋法のト短調で、たしかに旋法的な曲ではあるが、「主旋律と伴奏」という分担で動くところと、4本が同音型で揃って動きハーモニーを聴かせるところ、このバランスも良い。オクターブで揃えてくるラストもかっこいい。
まるで交響詩「海」を思わせるようなうねりも感じる。こういうのはもちろん後になってからわかることだが、海のほかにも、「牧神の午後への前奏曲」や「映像」といった後の作品に用いられている音形などが、弦楽四重奏曲の要素として含まれていることがわかる。
第2楽章はピツィカートが活躍する。Appleか何かのCMでも使われたことがありますね。循環形式の素材はオスティナートのように繰り返し繰り返し用いられる。
第3楽章、この楽章は本当にいい。循環形式の主題はここでは登場しない。ただ息の長い旋律、これが美しい。フランクの交響曲の第1楽章の主題を思わせる。別にそっくりそのままではないしドビュッシー風に洗練されているが、近いものを感じる。上がドビュッシー、下がフランク。どうでしょう。こんなことを書いておきながら、この楽章が最もドビュッシーらしい音楽だと言ったら矛盾していると言われるだろうか。さよならフランク、ありがとうフランク、これからはドビュッシーの時代がやってくる……なんてね。

第4楽章では循環形式復活、これでもかと、様々なバリエーションを見せる。しかし、最後の方になると非常に古典的な調性感もある。フランクの背中だろうか。
弦楽四重奏曲の翌年、1894年には、ドビュッシーは「牧神の午後への前奏曲」を作曲し、フランクどころか、ベートーヴェンからワーグナーまで続いたクラシック音楽の一時代に終止符を打ち、新しい時代の1ページを拓くことになる。


【参考】
Wheeldon, M., Debussy’s Late Style (Musical Meaning and Interpretation), Indiana University Press, 2008.
杉本秀太郎訳『音楽のために:ドビュッシー評論集』(白水社,1977/1993)

音楽のために―ドビュッシー評論集 単行本 – 1993/12/1
C. ドビュッシー (著), Claude Debussy (原名), 杉本 秀太郎 (翻訳)

ドビュッシー Debussy 弦楽四重奏曲 Op.10 ラヴェル Ravel 弦楽四重奏曲 DGG 2530 235 GE ED1 Original ラサール弦楽四重奏団 (アーティスト), & 5 その他


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