マリピエロ 弦楽四重奏第1番「リスペットとストランボット」:なんとなく、ルネサンス

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マリピエロ 弦楽四重奏第1番「リスペットとストランボット」

昨年はヴォーン=ウィリアムズ生誕150周年で、RVWファンの僕としてはちょっと頑張ったんだけど、実はそんなに生没年や誕生日で騒ぐタイプではない。でもTwitterやってると情報も沢山目にするし、そういうのに乗っかってフォロワーが増えたら良いなとも思い、何やかんや騒いだりしちゃう。でも案外増えないもんだな……。2023年のアニバーサリーも何度か見かけたけど、結局よく覚えていない。そんなもんです。


さて、2023年はイタリアの作曲家、ジャン・フランチェスコ・マリピエロ(1882-1973)の没後50年だそうだ。僕は結構、クラシック音楽ファンになってから早い段階でマリピエロのことを知ったので、長いこと愛聴している録音もいくつかある。がしかし、先日ツイートしたら思ったほど反応が良くなく、もちろんコアなファンはいるだろうが、「ああ、やっぱりマリピエロって別に人気でも有名でもないんだ」と思い知ったところだ。しかしマリピエロが凄い音楽家であることは事実。カゼッラと並び、オペラが台頭するイタリア音楽界で器楽の再興に尽力した人物でもある。そう言われるマリピエロも、オペラや劇音楽を多く残しているし、他に作曲家としての功績に加え、モンテヴェルディやヴィヴァルディ作品の校訂という功績も大きい。様々な事情で音楽を学ぶことを妨げられてきたマリピエロは、図書館で古いイタリア音楽の写本を実際に書き写して学んだ時期もある。それが校訂にも役立ち、また彼自身の作曲活動にも大いに影響している。


僕が最初にマリピエロを知ったのはMarco Poloレーベルの交響曲集だったが、交響曲の話はまたの機会にしたい。せっかく2023年、ヴェネツィア弦楽四重奏団による弦楽四重奏曲全集(1996年録音)がマリピエロ没後50年を記念して再リリースされたので、その話をしよう。
マリピエロはキャリアを通して8曲の弦楽四重奏曲を書いている。第1番が1920年で、第8番が1964年の作。20世紀の作曲家としては、初期から晩年まで書いているというのは割と珍しいのではないか。どの曲もとても面白いが、とっつきやすいかどうかは微妙なところだ。つまらないと思う人も多いかもしれない。敢えて言えば、僕は第5番「カプリッチョ風」から聴いてみるのをオススメするが、世の中の99%の人が第1番から聴き始めると思うので、ブログでも第1番について書こうかなと思った次第。第1番を聴いて「うーん、よくわからんな」と思った人がこの作品を楽しむことの手助けになれば嬉しい。

弦楽四重奏曲第1番「リスペットとストランボット」は、室内楽の振興に人生を捧げたクーリッジ夫人の創設した賞、クーリッジ賞を1920年に受賞している(クーリッジ夫人についてはプーランクのフルート・ソナタの記事もご参照ください)。
「リスペット」も「ストランボット」もイタリアの詩の形式で、14~15世紀、ルネサンス期に人気だったもの。一般的にリスペットは愛の詩だと言われるが、両方とも内容の分類ではなく、6行ないし8行で11音節で構成される詩のことを指すようであり、この辺は調べてみたものの専門的過ぎたので省略。マリピエロ自身は出版時に「このタイトルは多くの誤解を生んでいる」とか「文字通りに当てはめてることはできない」と書いている。ざっくり言うと、古典詩のような形式で表現することを知らせんがために副題を付けたのだろう。多くの場面やエピソードが、独特な旋律や生き生きしたリズム、大胆な和声で描かれる。


単一楽章で20分ほどだが、そのように多くの事柄を描くための形式として、マリピエロの初期作品に特徴的な「パネル構造」という楽曲の作りになっている。要は短いパートが並置されて一つの曲を構成しており、この曲は20パネルある。これこそが、マリピエロの古楽研究が導いた独自性であり、反ロマン主義、新古典的……などと言われるが、この曲の本当に面白いところは、第1~第7パネルの後と、第8~第13パネルの後にそれぞれ空白の4小節が挿入されており、実際のところ20個の場面というよりは普通の3楽章構成に近いところである。「いや、それやと普通の古典派やロマン派の形式やないか!」というツッコミ待ちなのかもしれない。
それは冗談だけども、まず形式ありきで3つの楽章を、と考えて書いたのではないと思われる。ルネサンス絵画を好む人はわかるかもしれないが、あの時代の絵は連作が多い。二枚、三枚、あるいはより多作の連画など。この曲もそういうものに近いのではないだろうか。1つ楽曲に20場面あり、それが大きく3つに分けられる、と。
マリピエロは「ほとんどリトルネッロ形式」と言っており、ヴィヴァルディの「春」よろしく、執拗に繰り返されて耳に残る主題があり、それがこの曲に不思議な統一感を与えている。冒頭の開放弦の五度のモチーフ、これが一種のジングルのように場面転換を知らせたり再現部っぽい役割を果たしたり、繋ぎやきっかけ作りとして機能する。というか、これ以外はほとんど脈絡がないし、主題が展開してどうのこうのとかそういうこともなく、突如別の主題がバーンと出てくる。これをルネサンス絵画的と言っていいのかどうか知らないけど、何となくそういうものかもしれないとも思う。


具体的に何を描いているかはわからない。解説などを読むと聖職者と農民という説もあるようだ。何となく聖歌のような音楽や、あるいは民謡のような音楽が聞こえてくるような気もしないでもない。マリピエロ自身はこんな風に書いている。
「18世紀後半から、2本のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの組み合わせが作曲形式を決定し、その誕生以来古典的だと見なされてきたが、弦楽四重奏の楽器の持つ音の可能性は無限であり、室内楽という雲の上のような希薄な環境から、街や田舎の開かれた空気の場所まで出向くことができるのである」
音楽学者のCesare Orselliは、「ヴェネツィアの通りや運河の周囲を散歩し、夜にテラスでセレナードが歌われ、遠く聞こえるはゴンドラの歌、晴れた広場ではダンスのリズムや笑い声が聞こえる……こういうイメージはときに荒々しくときに高貴な古い舞曲などを思い起こさせるとしても、すべて断片的で、まるでマリピエロの思慮深い歪んだレンズを通して小さなアイコンになってしまう」と評した(スーパー意訳)。もちろん特定の風景を思い浮かべて聴く必要はないが、マリピエロの目指すところを知った上で聴くと、とても面白い作品だとわかると思う。4楽章構成、ソナタ形式、主題とその発展、そういうのを退けて、もっと昔に目を向けた。過去を愛した音楽家の作った曲なんだ、ということだけでも伝わったら嬉しい。なお第2番はこの続編のような曲なので、そちらも併せてぜひ。


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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