コルンゴルト ピアノ五重奏曲:眠れない夜は空を思ってる

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コルンゴルト ピアノ五重奏曲 ホ長調 作品15

「ウィーンのロマン主義精神の最後の吐息」とコルンゴルトを評したのは音楽学者ニコラス・スロニムスキーだが、コルンゴルトは同時に「ハリウッドの映画音楽精神の最初の息吹」でもある。これは誰の言葉でもなく今僕が擬えて言っただけだが、そう思っている人は多いはずだ。エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897-1957)は、マーラー、リヒャルト・シュトラウス、プッチーニに絶賛され、帝政末期のウィーンの空気を目一杯吸い込んで大作曲家に育ち、ナチの台頭でロサンゼルスに亡命し映画音楽の世界のパイオニアとなった。


なぜハリウッド関連の記事が続くのかは前回のブログ記事やTwitterを参照していただきたいが、それはともかく、コルンゴルトは偉大な作曲家であり、また人気作曲家である。亡命し映画音楽を作るようになると当時のウィーン楽壇からは見下され、その後もヨーロッパに戻ることなく亡くなったコルンゴルト。70年代から再評価が始まり、今や多くのクラシック音楽好きから愛されている。僕個人の正直な感覚として、コルンゴルトの人気はヨアヒム・ラフの人気と似ている。要は教科書レベルの有名作曲家を一通り知った音楽ファンが、そこからちょっとマイナー作曲家を知り始める、その第一歩のようなポジションにいるのが、カリンニコフやラフ、そしてコルンゴルトである。


そんな大人気作曲家コルンゴルトの魅力と言えば、豪華なオーケストレーションが楽しめる管弦楽作品やオペラ、そして映画音楽。ということなので、このブログはひねくれております故、それらではなく、彼が残した小規模作品を取り上げたい。と言っても、室内楽も大規模作品に負けず劣らずの傑作揃いだ。この「ピアノ五重奏曲」だって、オーケストラで楽しめるコルンゴルト音楽のエッセンスをシンプルに抽出したような作品である。むしろ室内楽をオーケストラに近づけてやろうというような、そんな気概というか、メンタリティも感じる。マーラーもR・シュトラウスも大管弦楽に偏り室内楽をあまり書かなかったが、コルンゴルトは小編成でも自分の語りたいことを語らせることができたのだろうし、むしろそこに、いっそうの固有の口調や主張も見て取れる。その分、奏者たちは大変そうだが。


このピアノ五重奏曲 ホ長調 作品15は、歌劇「死の都」初演の翌々年にあたる1921年の作。明らかにその大作の影響が現れている。コルンゴルトの親友で彫刻家のグスティヌス・アンブロシに献呈されている。アンブロシは現在その名を冠した彫刻美術館がウィーンにあるほどの大家である。若い頃にコルンゴルトの彫像を作り、コルンゴルトはそれを家に飾っていたが、オーストリア併合後にナチが家に侵入した際、粉々に破壊されたそうだ。


3楽章構成で30分ほどの演奏時間。1楽章、中庸の速さで、浮遊感が花開く表現を伴って、と指示がある。幾分ぼんやりした指示だが、実際の音楽は他の様々な音楽と比べても、大胆で、強烈にロマンティックな主題で始まる。オシャレで広がりを感じるし、上昇志向が強いというか、音楽が外へ外へと飛び出ていくようだ。これが開花なのだろうか。内なる感情を開放するのだ。低音から高音へ、ふわっと浮かぶような感覚は独特で面白いし、心地よい。主題の展開もえげつない。やり過ぎ、語り過ぎではないかと感じるが、それが良いのだ。それがあってこその、最後の部分の美しさなのだ。君、まだ喋るの?って感じがたまらない。弦楽器も難しそうだし、それを補うピアノもなんと贅沢な音使いなんだろう。初演時はコルンゴルト自身がピアノを担当したそうだ。
傑作中の傑作と言える2楽章、豊かで独創的な和声、巧みな変奏曲、コルンゴルトの魅力が溢れ出ている。アダージョ楽章。非常に落ち着いて、常に極めて高い抑制と表現を伴って、と指示がある。さっきまで語り過ぎだったのが、確かに落ち着いて話し始めたようで、なんだ落ち着いて話せば伝わるじゃん!と思ったのも束の間、すぐうるさくなる、かわいいやつだ。情緒不安定なのかと思うくらい、委ねたり、引いたり、瞬間瞬間で表情が変わる。ときにオーケストラの響きも聴こえるのが凄いところだ。中間部のヴァイオリンの超高音にピアノが伴奏する部分の美しさ、もう限界を突破している。その後に他の楽器も加わり、胸が締め付けられるような静謐な空気を生み出す。そこからの展開も激アツである。
2楽章の主題は自作の「4つの別れの歌 op.14」から引用している。基本的には第3曲「月よ、こうしてあなたはまた昇る」からの引用だが、他の曲も僅かに登場する。この歌曲集はコルンゴルトが婚約者のLuzi Sonnenthal(1924年に結婚)に宛てた愛のメッセージで、双方の両親に結婚を反対され、もう会わないし文通もしないと約束させられ、とうとう別れるという日に、彼女に渡した作品だそうだ。この歌の中には二人にしかわからないとされる遊び(彼女のイントネーションをコルンゴルトが真似たりしていたもの)、要は「イチャイチャ」している内容が含まれ、彼女への特別な愛のしるしを忍ばせた作品なのだそうだ。それが極めて高い抑制(äusserst gebunden、婚約したという意味もある)と表現に富んだ室内楽として再構成されたものが、ピアノ五重奏曲の2楽章なのである。そんなことも思い浮かべながら聴くのも良いだろう。せっかくだから、第3曲の歌詞を少し紹介しておこう。拙訳にて失礼。

第3曲「月よ、こうしてあなたはまた昇るのか」(Ernst Lothar)

月よ、こうしてあなたはまた昇るのか
流れぬ涙の暗い谷の上に
教えてくれ、そう教えてくれ、彼女に恋い焦がれることなく
血の気が引いて青ざめることなく
この悲しみを味わうことなくいられるよう
二人の別れが引き起こす

見よ、あなたは霧に包まれている
だがあなたは暗くすることはできない、あの輝く明るい像、
夜になると荒々しく激しい痛みを呼び覚ますあの像を
ああ! 私は心の奥底で感じる
別れなければならないこの心は
永遠に燃え続けるだろう


この曲の肝とも言える緩徐楽章の後の3楽章はフィナーレ、少しアダージョの残り香も漂いつつ、前の2つの楽章より少し陽気で、とっかかりもあるかもしれない。とはいえ最後の楽章、ここでもよく喋る、よく動くロンド。次から次へと展開し、最後は冒頭の主題に回帰する。終わり方も秀逸だ。ポスト・リヒャルト・シュトラウスといった感じの音楽が繰り広げられてきていたが、ちょっと古典派的な形式感もある。展開こそ激しいが、ハイドンの室内楽の終楽章的なシンプル・イズ・ベストも感じることができる。
全体の構成が与える印象も面白い。1楽章が猛烈にロマンティックで表情豊かな雰囲気で始まったかと思えば(もうここだけで、ロマン派アレルギーの人はぶっ倒れて聴くのを諦めそうだ)、結構そこからは対位法的というか、アンチ・ロマン派が情感重視と攻撃するのも適わない、頭脳戦の様相もある。その分、2楽章は独自性の高い音楽で、いわゆる「よくある感動的なアダージョ」ではないのに、1楽章と比することで妙に深い感動がある。そして3楽章は明るく劇的、盛り上がるシンプルなフィナーレ。このバランスが何とも言えない魅力だ。それでもなお、2楽章のロマンにスポットを当てて聴きたい、書きたい気持ちが強くなっちゃうなあ。眠れない夜は、ふとベランダに出て夜空を見上げたり、月を眺めて物思いに耽ったりする、そういうのが合う音楽もある。ロマン主義の吐息やハリウッドの息吹というのは、そういうところにあるものなんじゃないかな。


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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