レバイ ヴィオラとギターのためのソナタ:ウィーンのギター詩人

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ヴィオラとギターのためのソナタ ニ短調

フェルディナンド・レバイ(1880-1953)というウィーンの作曲家がいる。辞典などにも載っていないので、知っている人は殆どいないだろう。生没年を見てもらえばわかる通り、シェーンベルクやベルク、ウェーベルンらと同じ時期にウィーンで活動した人物である。ウィーン音楽院で作曲をロベルト・フックスに、ピアノをヨゼフ・ホフマンに学んだ。フックスに学んだ有名な作曲家と言えば、マーラー、ヴォルフ、シベリウス、ツェムリンスキー等々枚挙にいとまがないが、レバイは残念なことに彼らのように後世に名を轟かせるには至らなかった。だがその理由は、決して音楽に魅力がないからではない。
CD解説には、レバイは新ウィーン楽派に歩み寄ることなく、後期ロマン派のイディオムの中で音楽を作り続けたとある。実際は後期ロマン派どころか、古典派から初期・中期ロマン派の音楽まで立ち返っているようなところも見られる。革命的ではなかったが、レバイが成し遂げた仕事は音楽史的にも重要なものだと僕は思った。その仕事とは、19世紀後半から20世紀初頭にかけてクラシック音楽の歴史で無視されてきたギター音楽を再興させようと努めたことだ。


レバイは1920年にウィーン音楽院でピアノ教師の仕事を得て、そこで音楽院の教授で友人でもあるヤコブス・オルトナー(1879-1959)に影響を受ける。オルトナーは、1923年に初めてウィーン音楽院にギター科が設立された際に教授を任された人物である。そこでオルトナーのクラスに顔を出すうちにギター音楽に目覚め、ジュリアーニやソルの伝統を自分こそが受け継ぎ、真剣な芸術音楽としてのギター作品を書こうと考えたのである。オルトナーの発行するギター誌に論文を掲載し、ここ半世紀ほどギター音楽は忘れ去られてきたこと、ギター作品が他ジャンルの作品に比べレベルが低いこと、リートを作曲の経験を活かし管楽器とギターの組み合わせで作曲するとオーボエやクラリネットはピアノ伴奏よりもギターの方が相性が良いと発見したこと……そうしたことを指摘し、そして最後には、自身の音楽で他の作曲家にも刺激を与えたい、歴史上初めて、ギタリストではなく作曲家がギターの重要性を主張する!と、並々ならぬ熱意を情熱を表明したのである。


タレガ、リョベート、セゴビアといった名ギタリストたちが歴史を紡いできたスペインとはまた別に、ウィーンでもこうしたギター音楽再興運動が(ひっそりと)あったということを、ほとんどのクラシック音楽ファンは知らないと思う。僕もレバイのCD解説を読んで初めて知ったことばかりだ。「ウィーンのクラシック音楽とギター」と言われてもあまりピンと来ないかもしれないが、もしかするとウィーンの偉大な作曲家であるシューベルトを思い出す人はいるかもしれない。↓の鈴木大介さんのインタビューも参考にしていただきたい。シューベルトの時代にも、ギター伴奏歌曲が出版されていたそうで、レバイはそれも研究したそうだ。


シューベルトの歌曲の影響もあってか、レバイ流とも言えるギター音楽の形――つまりギター独奏ではなくデュオないし室内アンサンブルで、またギターはソロ楽器の伴奏ではなく自身もアンサンブルの主たる一員として扱われる、そういう室内楽作品を多く残した。オペラや交響曲、協奏曲、歌曲など、幅広いジャンルの曲も書いているが、作品の多くはギター室内楽であり、現在聴くことのできるレバイ作品も、例えば木管楽器とギター、弦楽器とギター、それらの混合など、ギターが活躍する室内楽作品に限られる。レバイはユダヤ人である妻を守ろうとしたためナチス・ドイツの支配下では大きく活動することができず、残念なことに死後は忘れ去られてしまった。これから徐々に録音も増えてくると信じよう。


さて、今回僕が挙げたいのは、ヴィオラとギターのためのソナタ ニ短調(1934)である。先日たまたま、ヴィオラとギターのデュオによるスペイン音楽集を聴いていて、良いなあと思い、他に無いかなと探っていたところ、パガニーニのヴァイオリンとギターのデュオをヴィオラ向けに編曲したものに出会った。やはりパガニーニよりも、アルベニスやグラナドスの方がヴィオラとギターの組み合わせに合うなあ、なんて思って満足していたのだけど、もう少し漁ったら、このレバイの作品を見つけたのだ。この2つの楽器のデュオの音色とスペイン音楽との相性の良さは想像がつくかもしれないが、ウィーンの作曲家の音楽はさてどうだろうと聴いてみたところ、さすが編曲ものではなくオリジナル作品なだけあって、大変によくマッチする音楽で驚いたのだ。そして調べてみたところ上述の通りである。それはそれは、果てしない情熱を捧げて作られたものだけはある。そもそもヴィオラとギターの組み合わせの作品がレバイ以前にあったかしら。20世紀に限って言えば、当時ヴィオラ作品もギター作品もレパートリー数は少なかっただろうし、そのデュオであれば尚更だ。
まずもって、4楽章のソナタであるという点が凄い。ちょっとした小品ではない、このジャンルを背負って立つぞという意気込みがある。1楽章から、雰囲気はさながら古典派~ロマン派、19世紀の曲ですと言われても違和感がない。ヴィオラとギターの、音色の親和性、また音域の親和性が、ハーモニーでもユニゾンでも、非常に上手く活かされている。例えば一方の高音に着いてくる他方の高音など、ただそれだけでも新しい、面白さがある。加えて、技巧的なパッセージ、見せ場、アンサンブルの妙など、多くの要素が組み込まれながら、ソナタという構成でしっかりまとめられている。
個人的には、ウィーンらしさというか、独墺的なローカルさが、この楽器によって表現されているのが、なんとも絶妙なのだ。イタリアやスペインの民謡風音楽がギターで奏でられるのは耳に親しいが、そういうちょっと大げさで派手な感情の発露ではなく、どこか素朴で、真面目で、真摯に胸に響く旋律が、特にギターで歌われるのは新鮮ですらある。「アルハンブラの思い出」や「アランフェス協奏曲」などとは対極にあると言ってもいい。2楽章の緩徐楽章のヴィオラのメロディを聴いてほしい、ちょっと言葉にならない。3楽章のスケルツォも4楽章のロンドも、確かにウィーンやドイツの古典派、ロマン派のソナタにありがちな音の並びではあるが、これがヴィオラとギターで奏でられるだけで、まるで今まで出会ったことのない音楽のように聞こえる。

他の楽器とギターとの組み合わせの曲もそれぞれに面白さがあるので、ぜひ聴いてみていただきたい。これがヴィオラからヴァイオリンに変わると、こうなるのか!など、色んな楽しさがある。レバイはブラームスも敬愛していたそうで、ソナタの他にも組曲や変奏曲などの形式を用いた曲が多いそうだ。そうなると、この内省的なヴィオラとの組み合わせのソナタは、レバイ作品の中核的なものなのではないだろうか。今のところ数少ない、複数の録音が聴けるレバイ作品でもある。


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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