レスピーギ 6つの小品 P.44
レスピーギの曲についてブログに書くのは12年ぶりである。そのときはローマ三部作を取り上げた。今読むと稚拙な文章で恥ずかしいが、それも歴史ということで、そのままにしている。
2022年の年末に関孝弘さんのピアノ・リサイタルに行った。そのときに聴いたレスピーギのピアノ作品、6つの小品P.44から「間奏曲」と「ノクターン」が非常に美しくて感激した。感想記事はこちら。
このリサイタル以来、レスピーギのピアノ作品をときどき聴くようになった。読書の際や部屋でくつろぐ際に流したりすると案外良く合う。Toccata Classicsレーベルから出ている「レスピーギ:ピアノ作品全集」もお気に入りだ。演奏はジョヴァンナ・ガット。第1集が2017年録音で2019年リリース。第2集が2021年録音で同年にリリース。今回取り上げる「6つの小品P.44」は第2集の方に収録されている。記事の冒頭に貼った画像の音盤だ。
レスピーギ作品の中でも最も顧みられないジャンルと言っても良い、ピアノ独奏曲。それでも、上述のガットによる勇敢な試みなどのおかげか、少しずつ色んなピアニストの録音も増えてきているように思う。この「6つの小品」は、そんなレスピーギのピアノ独奏曲の中でもやや知名度のある方であり、抜粋で取り上げるピアニストは散見される。そもそもレスピーギはこの6曲に組曲的な意図があってまとめたのではなくて、出版社の慣習で6曲セットになったとのこと。1903年~1905年、レスピーギが20代前半の頃の作と見られている。もっと若い頃のアイディアを形にした曲が多いとのことで、原型となったものの方はほとんど残っていないらしい。曲ごとの繋がりはないが、6曲とも様々な表情をもつ曲で、どれを聴いても違った楽しみがある。
第1曲Valse Caressante(甘美なワルツ)、短い即興的な序奏からしてすでに美しい。フランスのサロン音楽、ショパンのワルツを彷彿とさせる音楽で、どの部分を取り上げても抜群に綺麗でキャッチーでもあるが、特に低音、まるでチェロが朗々と歌っているようなメロディが奏でられるのは格別だ。さながらサティのジュ・トゥ・ヴ。レスピーギ最初のオペラ「エンツォ王」(1905)の台本作家アルベルト・ドニーニの妻、チェザリーナ・ドニーニ・クレマに献呈している。
第2曲Canone(カノン)、その名の通り、バロック風の趣きもあるが、とても抒情的でロマンチックな趣きもある。バッハの面影が感じられるのはもちろん、フランクやブゾーニといったバッハの影響の強い作曲家たちの鍵盤作品も思い浮かぶ。ゴルトベルク変奏曲の第24変奏(カノン)と比較する学者もいるそうだ。
第3曲Notturno(夜想曲)、関さんのリサイタルでは間奏曲の後に、つまりレスピーギの曲としては最後にこの曲を弾いた。それもとても良かったと思う。一応、6曲の中で最も有名だそうで、この曲は出版された当時からよくリサイタル等でも取り上げられていたそうだ。若きミケランジェリも弾いている。人気が出るのも納得の、ロマン派ピアニズムの魅力があふれる曲だ。ショパンのノクターンが下地にあるのはもちろん、ドビュッシーの「月の光」に似た印象派風の雰囲気や、リストやラフマニノフのような、どこか退廃的で仄暗い雰囲気や、スケールの大きさも持ち合わせており、そこにレスピーギの独創性も存在する、まさに良いとこの詰め合わせである。柔らかなハーモニーとざわつく連符が、闇夜に見える幽かな光を、まるで今にも消えそうなか弱いメロディを上手く引き立たせている。
第4曲Minuetto(メヌエット)、今度は古典派に立ち返る。しかしモーツァルトだけでなく、ラヴェルの「古風なメヌエット」なんかも思い出されるだろう。歯切れ良く進む音楽だが、さり気なく挟まる高速のパッセージも、トリオで突如大きな変化をするのも面白い。友人のアデーレ・リーギ(おそらく有名な占星術師一家のひとり)に献呈している。
第5曲Studio(練習曲)、一聴してわかる、ショパンのエチュードを参考にしているのは明白だ。アイダ・ペラッカ・カンテッリ伯爵夫人に献呈。五度と六度の音程で動く練習、ということなのだろうが、練習以上の美しさを称えた素敵な曲。最も短い曲だが、演奏技術としては最も難しいのかもしれない。
第6曲Internmezzo-Serenata(間奏曲-セレナータ)、最後はフォーレのような穏やかなロマン主義の音楽。先にも挙げたオペラ「エンツォ王」からの転用であり、レスピーギ自身はこのオペラをあまり成功とは思っていなかったようだが、いくつかのメロディはお気に入りだったようだ。アンダンテで、全体の雰囲気としてはフォーレの夜想曲をはじめとするピアノ独奏曲のようだが、こちらはまるでイタリア・オペラのような極めて美しい旋律に心打たれる。というか、僕は関さんのリサイタルで心打たれた。この曲を初めに持ってきたのは、全く知らない人でも一気に引きつけるだけの魅力があるからだろう。この曲も、そして第3曲の夜想曲もそうだが、どちらもプッチーニのようなある意味強烈なメロディを、至極自然に取り入れているように思う。
ピアニストで作曲家のジュゼッペ・ピッチョーリ(1905-1961)は、この作品を「美しいが取るに足らない作品」と評した。音楽学者のセルジオ・マルティノッティ(1932-2012)は、レスピーギの文体の紛れもない方向性の誕生であると評価し、これが1919年の「グレゴリオ聖歌による3つの前奏曲」に繋がると指摘した。現代の音楽学の風潮としてこうした初期作品を過小評価する人はあまりいないと思うが、まあ確かに色彩豊かな管弦楽作品や古楽復興、新古典主義の作品と比べたらさほど重要なものではないかもしれない。だがピッチョーリにしたって、取るに足らなくとも美しいことは認めざるをえなかったというのが正直な感想なのだ。そう、これは美しい。重要な作品かどうかは一旦置いておいて、多くの人にこの美しい音、美しい音楽を聴いてほしい。音楽史的にどうであっても、もしそれが自分にとって重要な音楽になれば、幸せなことだ。
4 Pieces Op 3
Riccardo Sandiford (アーティスト, 演奏), Franco Alfano (作曲), & 2 その他
RESPIGHI/ COMPLETE SOLO PIANO MUSIC
MICHELE D’AMBROSIO (アーティスト)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more